南相馬・小高:トンパック内の被災財を再分別するお手伝い (ボランティアチーム援人 0905便)

Posted on 2014年9月8日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、0905便、2014年9月6日土曜日の南相馬・小高でのお手伝いのメモ。

この日のお手伝い先は中心部よりやや南、山間の田畑に囲まれたの個人宅だ。

ニーズ票にあった内容はこんなものだった。

「以前家財をトン袋に入れていただいた10~15袋の中身の分別の確認(を)して2tトラックが入る場所まで移動する
家電製品も移動が必要」

他チームが一度トンパック詰めした被災材を、行政が委託した業者の収集のため、再度分別し、回収しやすい開けた場所まで移動などをするというもの。こういった依頼は以前にもあった。通常の自然災害なら被災財はもっと速やかに回収されただろうが、地域の広い範囲が麻痺し、未だ復旧していない原発事故被災地ゆえのニーズだろうと思う。

南相馬・小高でボランティア(援人号 0905便)

暑い日だった。家具の解体など力仕事やトンパック詰め、ガラスなどの細かなものの分別を延々続けるのはキツかった。地面に散らばった木片をしゃがんで拾いながら、これを必要とする人のため、文字通り地を這いつくばる仕事ができているな、と考えた。

南相馬・小高でボランティア(援人号 0905便)

この日は依頼主が立ち合いに訪れることはなかった。家屋内にはこたつが残ったままで、時計は地震が起きた14:46付近で止まっていた。ここにまた戻るのだろうか…と考えた。

ニーズは午前で終わり、午後は別のお宅でビニールハウス一つを解体し、この日のお手伝いは終わった。

全文フィードを読む | Make a Comment ( None so far )

南相馬・小高:湿気と雨でびしょ濡れの草刈り 全員が真剣な「これ」が好きだという思い(援人号 0718便)

Posted on 2014年7月22日. Filed under: Roundup | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、0718便、2014年7月19日土曜日、南相馬・小高での活動のメモ。

厚く雲がかかり、空気に湿り気が多く、ときどき小雨が降る土曜日の南相馬・小高。この日のミッションは、ある個人宅前の(元)農地の草刈りだった。住居3軒分ほどの広い畑が目の前に一枚、5mほどの斜面を登るとさらに一枚あり、その斜面を含めたすべてが依頼の範囲だった。10人のチームが1日で受け持つものとしては、かなり広いと感じた。

高齢の依頼主の「今日中に終わりますか?」という問いに「終わると思います」と答えたのは、斜面の上の畑を見る前だった。

しかし、人ができることというのは不思議なものだと思う。最初畑一枚だけを見て、なんとか終わらせられそうだと考えた。そしてさらに広いとわかった後で、ここを終わらせよう、やり切らなければという強い思いが湧いてきた。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0718便)
(さらに…)

全文フィードを読む | Make a Comment ( None so far )

草を刈ることさえしなければ、ここは一体どんな姿になるのか(2014年6月21日 南相馬・小高で)

Posted on 2014年6月23日. Filed under: 未分類 | タグ: , , |

援人の仲間と、常磐自動車道・国道6号線を北上して南相馬・小高に行ってきた、2014年6月21日土曜日のお手伝いの記録。

早朝の常磐道を行く。東北道に比べて未だに舗装がガタガタのところが多いな、と感じる。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 非公式 0620便)

東京方面からの現時点での終点、常磐富岡インターチェンジを常磐道を降りる。
道路は通行止めだらけなので、少し行くとカーナビが盛んに「リルートします」と繰り返す。が、示すのは今は通れない道だ。

富岡町で通行証を見せ、帰還困難区域を抜ける国道6号線に入っていく。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 非公式 0620便)

街中に入る枝道がほぼバリケードで塞がれた、異様な雰囲気の6号線を行く。
車内の複数の放射線量計がそれぞれ異なるアラート音やバイブ音を発し、輻輳したようになる。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 非公式 0620便)

大熊町、福島第一原発に最も近いあたりでぼくの手元の線量計が示した数値は、11.8μSv/hだった。

小高区、南相馬市ボランティア活動センターに到着。天気は晴れとはいえず重い曇りでもなく、薄曇り。

朝礼。社会福祉協議会の門馬会長の挨拶は以下のようなものだ。

「今日で発災から1199日たった。
あの日をご記憶の人もいると思いますが、まさに悪夢だった。思い出すとまだ背筋がザワザワする。
当時、強い地震だけではないらしい、という話になり、テレビはろくなニュースがなく、スタッフが外に見に行った。しばらくして女性スタッフ二人が泣いて帰ってきた。私の家が目の前を流れていきました、と。
夕方になると原発が怪しいという話が来た。炉心溶融なんかしたら、と皆が恐れた。チェルノブイリ以上という情報も出た。
市役所の屋上で南を見た連中が、白煙を見た、大変だ、と騒ぐ。
故郷を失った、と思った。それから市内では食べ物がなくなった。3月13日、スーパーを回っても空っぽだった。孫のための牛乳を必死で探し回った。電話は通じず、郵便物も届かず。まさに陸の孤島になったと思った。
でもそれも終わったこと。
今日は札幌ナンバー、京都ナンバーなど、遠いところから来て小高を救ってくださることに感謝を申し上げたい。どうか小高を救っていただきたい。
事故、ヒヤリハットには気をつけて。」

続いて、松本センター長の挨拶。

「震災当事、市役所には津波の情報はなく、初報は報道で知ったと聞いた。
昨日長崎放送が取材に訪れた。現場を何ヵ所か案内してもらった。
松本さん、何を考えてますか、と聞かれた。
被災者さんには被災をなるべく忘れさせてあげたい。私自身もできれば忘れたい。しかし矛盾することだが、日本全国の人にはできるだけ忘れないでほしい、風化させないでほしいと考えている、と答えた。
ボランティアへのニーズ、未だに月に150件は来る。地元に帰ったら、まだボランティアの手は必要だとぜひ伝えてほしい。」

この日のお手伝い先は、草刈りが二件だった。

一件め、畑に囲まれた駐車スペースのような敷地。果樹がところどころにある。こういう入り組んだ場所の草刈りはセンターに依頼が来ることが多い。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 非公式 0620便)

二件めは6号線より海側の個人宅。日本語教師だという外国人のチームなどが先に入っていたところへの応援。ここはぼくらが以前にも伺ったことがある。そのときはきれいに仕上げたのだが、完全にリセットされていた。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 非公式 0620便)

南相馬の避難指示解除準備区域(日中立ち入りのみ許され、帰還に向け準備が進められている地域)にボランティアが入ったのは、2012年春のことだ。そしてその夏から広大な田畑を雑草が覆いはじめ、お手伝いの内容に被災財の片付けと共に草刈りも加わった。

2012年と2013年の夏、強健なセイタカアワダチソウとの戦いの中で、何度も通うボランティアは刈払機の扱いに習熟していった。

正直にいえば、まだ人が帰れない場所で草を刈ることにどんな意味が? と考えたことが何度かある。草刈りは依頼主が立ち合わないことも多く(依頼主の多くは遠方に避難されているためだが)、単調なお手伝いになりがちだ。
疑問が浮かんだときは大抵、どんなお手伝いであっても押し付けではなく、被災された方自身がセンターに足を運んで依頼されたものなのだから、と納得するようにしていたが。
グループの参加者からも「帰還が決まっていない場所での草刈りに疑問を感じる」という声が何度か出た。そういった言葉を残して活動に参加しなくなっていった人もいる。

今日は特別通行許可証を使って、常磐道を富岡ICで降り、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町を通って南相馬・小高に到着した。2度めの体験だ。

このルートを通ってくると、原発事故による立ち入り制限区域を見慣れている者の目にははっきりとわかるのだが、国道から町中などに至る枝道はほぼ全てバリケードで塞がれ、草は伸び放題、建物も朽ちてきている富岡町、大熊町、双葉町、浪江町などと比べると、小高の町ははっきり“端正”な姿をしているのだ。
全ての地域とはいえないが草刈りなども行き届き、試験的に田植えさえはじまっている田んぼもある。

刈払機を操りながら、この光景の違いを思い浮かべた。

この小高で、これまで草を刈ることさえもしていなかったら、一体今はどんな姿になっていたのだろうか?
そして、そんな荒廃していく一方の町に一体誰が戻ろうと思うのか?

震災2年めから、よくこんなことが言われはじめた。「これから大切なのは心のケア。(被災財片付けなどの)災害ボランティアの役割はもう終わり」。

東日本大震災は、地震・津波だけでなく原発事故まで誘発してしまった複合災害であり、単純なフェーズ分け、被災状況の括り方などできるわけはない。が、実際にこの考えに呼応するかのように、肉体労働をするボランティアの数はどんどん減っていった。

今残っているのは、実態をつぶさに見ようとする者、小さな声に耳を傾けようとする者だけだろう。

心のケアは確かに大切だと思う。
しかし、被災財を片づけ、ときには手を止めて依頼主のお話を聞き、草刈りや清掃をし、ときどきご自宅に戻る被災者の方々の目に「やがて戻りたくなるような町の姿」が映るようにすること、それは立派な心のケアだと思う。ぼくらはそれをやっている。

被災された方の求めに応じて小高に通い、草刈りをすることを、誇りに思っていい。

帰路の車中、早くもこわばり、一部痛みはじめた身体を意識しつつ1日の作業を反芻し、そんなことを考えた。

全文フィードを読む | Make a Comment ( None so far )

60数個のトンパック出しをしたお宅はやがて取り壊しになる(援人号 南相馬・小高行き 0523便)

Posted on 2014年5月26日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0523便、2014年5月24日(土)の南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)でボランティア(援人 2014年 0523便)

この日のお手伝い先は、田園地帯のやや高台にある大きな個人宅。

敷地内には母屋の他に農具用納屋、物置、広い豚小屋内などがあり、それら複数の建物からの家財や道具の搬出、分別、トンパック(1トン入る大型土のう袋)詰めが依頼された内容だった。

小高によく来ているチームJさんと共に、合計21人でのお手伝い(その後、他の現場が終わった3人チームが駆けつけてくれ、本当に助かった)。

膨大な量の被災財の片付けがあり、他にもビニールハウス解体や草刈りも依頼されていたが、到底追いつかない、と早い段階で見切りをつける。家財出しだけでもなんとか──と、作業中少しでもボトルネックが出ないよう何度も配置替えをし、特に体力にまだ余裕がありそうな人にはキツめの作業をどんどんお願いしていった。もっと人手がいれば、と痛感しながら、ぼく自身も夢中になって作業を続けた。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)でボランティア(援人 2014年 0523便)

全員が埃まみれ、汗だらけになり、終盤は無言になるほど疲れ切って、終了時間も1時間延長した。

その成果として、最後には元は畑だった場所に62個のトンパックが並んだ。ぼくらが1日のお手伝いで扱った数としては過去最高だったと思う。もう当分トンパックは見たくもないし触りたくもない、と心底思った(次の週、またお手伝いに行くのだが)。
ともかく、なんとか区切りまで終えることができよかった。

お手伝いの最後に依頼主にご挨拶をした。すると「これで安心して(家を)壊せる」、もうこのお宅には戻らないという。正直、その言葉を聞いてガクッと気落ちした。

原発災害で、このお宅を含む地域が居住禁止となって3年以上。長く悩まれた末の選択なのだろう。せっかくきれいにしたのだから──と勝手に期待を込めてしまうけど、選択はその人のものなんだ。ぼくらが気やすく口を挟めるものではない。

わかってはいるけど、この日、帰りの車中で気分は重かった。

全文フィードを読む | Make a Comment ( None so far )

まだ人が帰れない小高神社の桜 でも2年後には沢山の人が集うだろう(援人 南相馬行き 0411便)

Posted on 2014年4月14日. Filed under: 未分類 | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、0411便、2014年4月12日土曜日の南相馬・小高でのお手伝いの記録。

深夜、東北道を二本松インターチェンジで下り、国道4号線バイパスにあるいつものガソリンスタンドで給油。ガソリンの価格が3月末の前回便のときの価格から一気に5円/Lぐらい上がっていた。消費税増税の影響か。

早朝。道の駅南相馬に併設された高見公園を少し歩いてみる。
桜はちょうど満開を迎えていた。朝の光を浴びて少し赤みをおびた花びらが愛らしい。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0411便)

2012年の同じ時期に高見公園を訪れたときは、除染のため表土がすべて剥がされ、砂が敷かれていた。
2013年には、桜の下を散歩する子供連れの人を見かけることができたのをうれしく感じたことを思い出す。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0411便)

芝生も植え直され、遊具も増え、この公園はようやく“日常”を取り戻したように思える。
周りにはまだ仮設住宅が建ち並んでいるし、できたばかりのインドアパークもあるのだが。

原町のコンビニで朝食を買い、小高に向かった。
が、センターに直行はせず相馬小高神社に行ってみる。“枝垂れ桜が満開”という投稿をTwitterで見かけていたためだ。

センターがある社協会館を過ぎ、すぐ先の貴船神社の手前を曲がると、小高川にかかる妙見橋の手前が桜の木のアーチのようになっていた。橋を渡ると、川の両岸の桜も咲き、ピンク色のベルトが続いていた。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0411便)

小高神社に登ってみた。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0411便)

その場に立つと、非日常的な美しさに、目が覚めるようなぼんやりしてしまうような、ちょっと不思議な気分を味わう。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0411便)

青空の下の満開の桜は、それだけで美しい。
それにさまざまな理由が重なれば、印象はさらに深くなる。

ここは人がまだ帰れない場所だ。それでも今年も桜は咲いている。
去年は野馬追の小高郷・標葉郷の出陣式や野馬懸の神事が行われた場所だ。
そして、ぼくらが沢山の回数お手伝いしてきた小高の家々を見下ろすことができる。

2年後の春には避難指示が解除される。そのときは、桜を穏やかに楽しむ人たち姿をここで沢山見かけることができるようになるのだろう。
(さらに…)

全文フィードを読む | Make a Comment ( まだ人が帰れない小高神社の桜 でも2年後には沢山の人が集うだろう(援人 南相馬行き 0411便) はコメントを受け付けていません。 )

2012年最後の東北ボランティア、南相馬市小高区で(ボランティアチーム援人)

Posted on 2012年12月24日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , |

12月22日(土)、今年27回め(だいたい合ってるはず)にして2012年最後の東北でのお手伝いを、南相馬市小高区で終えた。

小高区の南相馬市ボランティア活動センター、朝礼の様子。この日は個人ボランティア、大型バスツアー2台、東京電力の社員ボランティアを合わせて200人ほどだった。

2012年最後の東北ボランティア(南相馬市小高区) Volunteer at Odaka, Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

お手伝い先は小高区大井。国道6号線より海側で、海までは500mほど。このお宅はやや高台なので地震の被害だけだったようだが、付近の低い地域の一軒家はほとんど津波にぶち抜かれ、電柱は曲がったり折れたりしたままだった。

2012年最後の東北ボランティア(南相馬市小高区) Volunteer at Odaka, Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident
(さらに…)

全文フィードを読む | Make a Comment ( 2012年最後の東北ボランティア、南相馬市小高区で(ボランティアチーム援人) はコメントを受け付けていません。 )

大きな余震再び、南三陸町戸倉でお手伝い、のち大雪(DSP災害支援プロジェクト)

Posted on 2012年12月9日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , |

2012年12月7日(金)、3.11震災の余震というにはあまりに大きな、M7.2の地震が東北を再び襲った。石巻で1mの津波、牡鹿半島の鮎川でも1mの津波と心配なニュースが入ってきた。

そんな中、現地の情報を追いながら、その夜に出発することになっていた南三陸町へのお手伝い便をどうしようか迷った。が、金曜日21時の時点で、南三陸町では避難勧告・指示などは全て解除された。受け入れ元であるDSP災害復興支援プロジェクトさんと協議したところ、バス会社系のボランティアバスは全部中止になってしまい、明日はぜひ人手が欲しいという。そこで、余震などに警戒しながらも東北へ行くことにした。

早朝、石巻の上品の郷で朝食を購入。雪がうっすらと積もっている。

南三陸町戸倉でお手伝い(ボランティアチーム援人) Volunteer work at Minamisanrikucho (Miyagi pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake

コンビニで買った河北新報の一面には、昨夜の地震が大きく取り上げられていた。東北で「津波警報」が発令されたのは昨年の4月以来、実に1年8ヵ月ぶりだという。あの震災の恐怖が、多くの人の胸中に蘇ったはずだ。

南三陸町戸倉でお手伝い(ボランティアチーム援人) Volunteer work at Minamisanrikucho (Miyagi pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake

南三陸町戸倉でのお手伝いは、宅地跡の細かな瓦礫拾い(といっても大きな砕石などもごろごろ)。20人ほどの参加者が列になって拾い、分別していった。

南三陸町戸倉でお手伝い(ボランティアチーム援人) Volunteer work at Minamisanrikucho (Miyagi pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake
(さらに…)

全文フィードを読む | Make a Comment ( 大きな余震再び、南三陸町戸倉でお手伝い、のち大雪(DSP災害支援プロジェクト) はコメントを受け付けていません。 )

« 前のページ

Liked it here?
Why not try sites on the blogroll...