バーチャルペットが、ECサイトが、商業ビルが「話しかけてくる」という夢
こないだの土曜日に昼寝をしていて、夢(と言っても半ば覚醒夢)の中で面白いできごとがあった。
- PCの画面上のバーチャルペットをじーっと見つめていたら、「ん? なんだ?」と話しかけてきた
これ、ウェブカムにアイトラッキング技術を組み合わせるとできそうだな、と思った(もうそういうのあるかな?)。
このUXの、いろんな方面への応用を考えてみる。
EC方面。
- ECサイト上で、あるアイテムをじーっと眺めていると、ショップ側から「Mサイズは残り一点ですよ。いかがですか?」とか話しかけられる仕組み、とか。
AR方面。
- ARメガネ(みたいなデバイス)をかけて外出し、商業ビルの近くに立ってじーっと眺めていると「ん? なに? ぼくからお買い得情報でも引き出そうっていうの?」って吹き出しがにょろっと出てくる、とか。
親しくなると(頻繁に“会話”していると)、口調がちょっと馴れ馴れしくなってくるとか。んで、オファーされるクーポンがよりお得になったり、たまにサプライズがあったり、とか。
面白そう。
Read Full Post | Make a Comment ( バーチャルペットが、ECサイトが、商業ビルが「話しかけてくる」という夢 はコメントを受け付けていません )[murmur] フォーマット化で皆が幸せになる
株式会社ネビュラプロジェクト 忙しい方も気軽に劇場体験!演劇集団キャラメルボックスの60分公演「ハーフタイムシアター」の最新作、『ハックルベリーにさよならを』と『水平線の歩き方』の2作品が東京・神戸・名古屋で上演されます。
http://www.value-press.com/pressrelease.php?article_id=24748&php_value_press_session=d44bb131f6ffd13b200df577a8fcbcc9
へー。
皆忙しいし、アテンションは分割されまくってんだから、軽薄短小パッケージにすることは重要だよ。
たとえばQBハウスの“革命”を見ても、「料金」より「時間」の方がはるかに重要だと思う。
が、QBハウスは10分といいながら人によっては15分も30分もかかるけど、確実に「7分」でやってくれる床屋があれば、ぼくは普通の店の2倍までは払っていい。
映画だって「90分」というフォーマットに決定すれば、観客も映画館も掃除の人も、その他いろんな人が楽になるのに。そしてもっと観られるようになるんでは。
テリー・ギリアムが「未来世紀ブラジル」で編集権を巡って配給会社と大喧嘩をしたことは有名だけど、そもそも元が長すぎたんだっつの。
もちろんこれは暴論です。
[murmur] プライド、このあいまいなもの
あいまいなプライド。
それを持っていることをきちんと自分で知覚できない「自尊心」ってのは、厄介なものだ。あいまいなプライドというのは、予測不可能な状況で発動し、判断や行動を鈍らせるから。
カミュの「転落」でも読み直すか。
[religion, prayer] 感謝とか祈りとか
今日は週末、TGIF(thank god it’s friday)! ってことで。
金曜日になると、神様を信じないぼくでさえGodに感謝するわけで。
「感謝」と「祈り」とか、についてちょっと。
初期の宗教家ってのは、「感謝」や「祈り」のパワーなんて信じてはいなかったが、人が祈ることで
- 日々を振り返り、いずまいを正す効果があること
- そのようなよい経験は人から人へと伝染する性質があるだろうこと
という効能を見抜いていたために「感謝」や「祈り」をプラクティスとして取り入れたんじゃないかな、とか。
[murmur] 複雑な世界だ。やってられない。
ネガティブな感情だけど、こういうのを抑圧しておくのは健康上もよくないので吐き出しておく。
アル・ゴアとIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が、ノーベル平和賞を受賞した。
CNN.co.jp : ノーベル平和賞、気候変動問題でIPCCとゴア氏に ? – サイエンス
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200710120023.html
ぼくはこれがとてもうれしかった。
社内MLにもすぐ流したし、mixiにも行ってみた。
mixiですぐ、アル・ゴアについてのコミュニティでこのニュースを投稿している人を見つけた。
ゴア氏に「不都合な判決」=出演映画に9つの科学的誤り-英裁判所
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071011-00000227-jij-int
キリマンジャロの雪云々については、ぼくも知っていた。
初めて見る指摘もあった。でもあの映画全体の価値を貶めるものではないだろう。
今それを貼り付けることにどんな意味がある?
ノーベル賞が多分に政治的だなんてことは知ってる。
アル・ゴアだって必ずしも清廉潔白じゃないだろう。
つまり批判はどんなかたちでもできるってことだ。
でも文句があるなら、旗幟を鮮明にして議論を戦わせればいい。
少しでも多くの人が自分の主張に耳を傾けてくれるよう、まっとうな努力をすりゃいいだろう。
ほのめかしや、ねじくれた表現にどんな意味があるっていうんだ。
そういうやり方は低劣で、見ているこっちが心底落胆するんだよ。
[murmur] 温度が違うなら自分の体温をもっと上げろ
いくつかの閉塞感。
が、「温度が違う」なんてネガティブになってる場合じゃないと思った。
周りが冷めているなら、自分の体温を上げて全体をヒートアップさせりゃいい。
結局お前が、現実をどういう風に変えていきたいかって話なんだ。
変化が起こる「速さ」よりそれが浸透する「遅さ」にこそ注目すべきか
最近やらせていただいた講演や関わった原稿、顧客や同業者と交わした会話などを通じて、立て続けに「Web 2.0ブームのその後」や「マッシュアップサービスの今」について考えた。
で、ふと立ち上がってきた考えが。変化が起こる「速さ」に注目するより、変化が浸透する「遅さ」にこそ注目すべきかなぁ、ということ。
“change” by Lin Pernille Photography
速い速いと喧伝される点ばかりに注目すれば、それが浸透し、深層部分にまで影響を与えはじめる前に見切ってしまう。注視や継続的な取り組みを切り上げてしまいがちだ。そんなデメリットがだんだん腑に落ちてきた。
これを書いておく理由は、これから情報を収集したり現象を吟味したりする際のメタなテーマのひとつにきちんと据えておきたいからだ。
// 余談だけど、写真はFlickrのCC-by(Attribution License)のものを“Change”というTagで検索した結果から。
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