南相馬・小高:今年一番の酷暑の中で家財出しと草刈り 途中でやむなく撤退(援人 0731便)

Posted on 2015年8月7日. Filed under: ボランティア | タグ: , , , |

ボランティアチーム援人、0731便、2015年8月1日土曜日、福島県南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

金曜夜、集合場所の八重洲に向かう際、夜なのに空気がとりわけ熱かった。翌日のお手伝いは、今年一番の酷暑の中でかなり厳しいものになった。

朝食後、福島民報に載っていた原町のひまわり畑を見に行く。6haもあり(東京ドームよりも広いらしい)、隣接する仮設住宅の人たちのために植えられたという。

南相馬・小高でボランティア(援人 0731便)
この日は2件のニーズに対応した。

一件めはボラセンからすぐの場所で、敷地内に家屋と工場が同居しているお宅。ニーズは被災材の収集、分別、トンバッグ詰めだった(他チームからの引き継ぎ)。

南相馬・小高でボランティア(援人 0731便)

現場に着くと、入口からトンバッグが15個ほど並び、家電や家具は工場の軒下に山積みで、45L袋に詰まった廃棄物が約30個。これを引き継いで仕上げるのがミッションだ。その他に敷地内の草刈りもあった。

南相馬・小高でボランティア(援人 0731便)

朝からともかく暑い。トンバッグを組み立てるため中に入ると熱い空気に辟易する。強い日光で手袋の黒い部分がかなり熱を持つ。

このニーズは午前で終了し、センターに戻って昼食をとる。
すでにバテていて、食べ物が喉を通りづらかった。
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南相馬・小高:4年4ヵ月めの家財廃棄 小高駅前の笑い声と夕焼け(援人 0724便)

Posted on 2015年7月28日. Filed under: ボランティア | タグ: , , , |

ボランティアチーム援人、0724便、2015年7月25日土曜日の南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)でのお手伝いの記録。

この日の天気は曇り(湿度高く蒸し暑い)、ときどき小雨、のち晴れ。
そして夕方の小高駅前では、あり得ないほど見事な夕焼けを見ることができた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0724便)

朝、原町のスーパーサイヤには、福島で一番おいしい桃の品種(←勝手に認定)「あかつき」が並んでいる。もちろん購入だ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0724便)

小高川にかかる浮舟橋には、さまざまな意匠の旗指物が並んでいる。相馬野馬追が、今日から始まったのだ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0724便)

この日の依頼は、町中心部のお宅での家財道具・大型家電の廃棄と草刈りだった。

帰還まで1年を切った避難指示区域では、警戒区域の再編があった2012年ほどではないが、家財廃棄の依頼が増えてきている。

そのお宅は、洋風の新しい家だった。築3年で震災に見舞われたのだという。依頼主(ご主人)は30代後半ぐらい。シニア層と接することが多い小高のボランティア活動では珍しかった。
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南相馬・小高:家財整理の後押し、炎天下で草刈り・小屋解体(援人 0710便)

Posted on 2015年7月14日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

福島県南相馬市小高区(福島第一原発事故による避難指示解除準備区域)でのボランティア活動、援人号0710便、2015年7月11日土曜日のお手伝いの記録。

朝6時前、道の駅南相馬。快晴ですでに暑い。車中泊をしていた復興工事関連のトラックたちが動きはじめた。国道6号は、双葉方面に向かう作業員を乗せた車などが途切れることなく走っている。

南相馬・小高でボランティア(援人 0710便)

朝食後、鹿島区北海老、八沢集落の慰霊碑と観音像へ。
周囲は人気(ひとけ)がないためか、残念ながら弁当ゴミなどが沢山捨てられている。先週見てひどいなと感じたので、この日は全員で15分だけゴミを集めることにした。結果、持参した45Lゴミ袋×4、コンビニのゴミ袋×5が一杯になってしまった…。

南相馬・小高でボランティア(援人 0710便)

朝のミーティングで指示された作業内容は、小高中心部より南側、常磐線に近い住宅地にある個人宅での家財運び出し、分別、トンバッグ詰めだった。

お宅に着き、待っていた男性と共に母屋の隣の物置小屋などを見て回る。小高での「家財廃棄」は、依頼主の心情への配慮も含め、ときにはかなり気が重い作業になる。が、このお宅は整理が進んでいる様子で、何もかも捨てるという感じではない。

指定されたものを順に運び出し、分別し、ガレージ内にグループ分けしながら置いていった。

南相馬・小高でボランティア(援人 0710便)

あるメンバーが運んだものの中には品のよい陶器・漆器が多数あった。こういうものが使われる団らんの場はなくなってしまったのかな、と悲しさを感じたという。

ご主人は、これまで約1ヵ月コツコツ整理を続けてきたが、限界を感じてボラセンに依頼したという。1日仕事と見ていた作業が半日で終わってしまったことに、しきりに感心されていた。最後は近所の方も様子見に来ていて、話の内容から、この区域には堅実に帰還準備を進めるお宅が複数あることがわかる。うれしい思いがした。

南相馬・小高でボランティア(援人 0710便)

午後のお手伝い先は、同じく小高南側、細い坂道を上がった高台の畑だ。

坂道沿いの家は古い平屋が多く、庭は雑草などで荒れていた。震災後はあまり手が入っていない、戻る意向は少ない区域なのだろうか、と思った。が、お手伝い現場の下のあるお宅(依頼主のお宅ではない)では前に軽トラックが停まり、大工さん二人が内装工事をしていた。

依頼は畑の草刈り、作業小屋の解体、そして小屋内の農機具などを含めた廃棄物の分別とトンバッグ詰めだ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0710便)

草刈りでは、雑草の中を這うツル性植物に足を取られ、下には伐木や鉄材が潜りこんでいるなど一筋縄ではいかない。午後は日射しがより強くなり、逃げ場のない炎天下でのキツい作業となった。

南相馬・小高でボランティア(援人 0710便)

休憩を取り、ラスト1時間でピッチを上げて、15時過ぎになんとか終了。
しかしこの畑、一ヵ月でまた雑草だらけになるんじゃないか…と少し虚しさも感じた。

夕食は、はらまちユッサでの風呂の時間を切り詰め、食事処「かやのき」のカツカレー。カレーのルーは業務用っぽくて個性がないが、カツは揚げたてアツアツだった。夏、働いた後に、水をガブ飲みしながら食べるカレー。おいしくないわけがない。

南相馬・小高でボランティア(援人 0710便)

この便は、午後の作業中にメンバーの1人が蜂に刺され病院行きとなり(注射を打って夕方に合流)、またボラセン近くの駐車場入れの際にワゴンを車止めに擦ってしまうなど、アクシデントがいくつかあった。
小さな異変は大きな事故の芽だ。なんか変だなと感じたら、基本に戻って建て直せという教訓なのかな、と思った。

土地勘のない場所へ、毎回リセットされる10人のメンバーで行き、多岐にわたる依頼を受け、できるだけ5時間のうちに終わらせて、その日のうちに東京へ戻るということを毎週続けている。

毎回、進め方のマズさ、方針の食い違い、時間見積もりの甘さ、伝達の不徹底、ヒヤリハットなどによるストレスを、大なり小なり抱えて帰る。が、それらは夜ランをするとほどけていく。

今日も2つの依頼を終わらせることができた。盤上の2つの駒がポジティブ側に裏返った。まず、それで満足だ。10人の人間が1日でやれることの中で、これほど値打ちがあることも滅多にない。本気でそう信じている。

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南相馬・小高:そこを明け渡さないため何度も草を刈る (援人 0619便)

Posted on 2015年6月24日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、0619便(活動日:2015年6月20日土曜日)、福島県南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

この日のお手伝いは、久しぶりの草刈りだった。

南相馬・小高でボランティア(援人 0619便)
5月に入った頃から、国道6号線沿いや小高郊外では緑が濃くなり、草の背丈も伸びはじめていた。また原町では、田植えされた苗があっという間に青々と茂っている。そろそろ必要なんだろうな…と思っていたところで、順番が回ってきたらしい。

朝、朝食後に訪れた原町区の真野川漁港。
未明まで降った雨は上がり、強く陽が差しはじめたところで、静かな海面は鏡のように漁船を写し出していた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0619便)

小高区塚原でのお手伝い、まず1件め。道路から櫛状に、畑の間を500~600mほど延びる引き込み道の草刈りだった。

車一台通れるぐらいの砂利道と、畑へと落ち込んだ斜面が民家までずっと続く。草の密度はさほどないが、タンポポのようにロゼット状に地面にへばりついた葉や下草が多く、刈払機を地面スレスレで使うことになる。すると砂利がバンバン跳ね飛び、なかなか危険だ。平坦な道なのでできるだけ正確に単調な動きを繰り返す。これがなかなかキツかった。

南相馬・小高でボランティア(援人 0619便)

現場はともかく縦に長いので、離れたメンバーとの意思疎通が難しい。今回のような現場では、最初からチームを分割するべきだったと後で気づいた。

やや粗えの出来だが、1件めは午前で終了した。

センターでの昼食後、同じく塚原の2件めのお宅へ。高台の住宅群のやや下にあるこのお宅でのお手伝いは、今回で3回めだった。

見覚えがある家を囲む斜面や側道の草は、またもリセットされている。

初訪時はこのお宅だけで1日かかった記憶がある。が、今回は半日だけなので、場所に優先度を付け、担当を割り振って早速スタートする。メンバー全員が刈払機を持つことにした。

南相馬・小高でボランティア(援人 0619便)

何度も同じ場所をやることには、正直徒労感もある。が、度々依頼されるのは家に思いがあるからなのだろう。
最初に伺ったとき、依頼主(シニアの女性)は、自前の背負い式刈払機を慣れた動きで操っていた。
最近はどうされているのかな、お元気だろうか、と気になった。
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南相馬・小高:避難指示解除に向け増えるニーズ 復興に携わる「仕事」と「ボランティア」(援人0612便)

Posted on 2015年6月16日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、福島県南相馬市の避難指示解除準備区域で、2015年6月13日土曜日のお手伝いのメモ。

この日のお手伝いは、原町区(同区も一部が避難指示区域になっている)のお宅での垣根(ヒバの木30本ほど)の伐採と玉切り、そして伐採済みの雑木などのトンバッグ詰めだった。

南相馬・小高でボランティア(援人 0612便)

朝、コンビニで買った福島民友に載っていた「福島復興指針改訂版 全文」をざっと読む。

南相馬・小高でボランティア(援人 0612便)

飯舘村の宅地周辺除染はおおむね終了、東京オリンピックと絡めて双葉郡を復興──といった記述のところどころに引っかかる。
何より、報道されている通り、平成28年中により放射線量が高い居住制限区域も含めて帰還と決まれば、住民たちの当惑や怒りはかなり強まるだろう。

ボラセンの朝礼。
ぼくらが2年前にお手伝いしたある電気店からの作業依頼の説明を、あるチームが受けていた。前を通るたびに気になっていたが、今年また作業を依頼されたということは、戻るつもりがあるということだろう。少し嬉しくなった。
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南相馬:仮設住宅を訪問 帰還を迷うことに不思議はない(援人 0327便)

Posted on 2015年3月27日. Filed under: ボランティア | タグ: , , , , |

ボランティアチーム援人0327便、2015年3月28日土曜日、福島県南相馬市でのお手伝いのメモ。

深夜、10人のメンバーを乗せたワゴンは常磐自動車道を南相馬へ。
新設されたならはPA以北、帰還困難区域などでは左右の景色がほぼ真っ暗に沈み、道路だけが浮かび上がっているような錯覚に陥る。そんな中、町の灯が見えるとなんともあたたかい気持ちになる。明かりって大切だな、と感じる。

明かりって大切だよな、と思う。ならはPA以北、ほぼ漆黒の帰還困難区域なども通る常磐道。町の灯が見えると、なんともあたたかい気持ちになる。

南相馬市鹿島区北海老に車を走らせ、夜明けを迎えた。周囲は均され荒涼とした地面、一部嵩上げされた地面、防波堤が完成したところ、これからのところ…などが混じっている。
文句なく晴れそうな日の出だ。

南相馬市鹿島区、夜明け。

朝食のため立ち寄った原町のミニストップで、メンバーHさんが再会を約束していたお母さん(先日ハウス解体のお手伝いをした依頼者)とお会いした。手芸の話が盛り上がり、情報や材料(?)を交換するためだったらしい。
お手伝いのときはやや地味で元気がなさそうな印象だったが、今朝はピンクのダウンベストにスカーフなど早春らしいお洒落をしている。それを見てちょっとうれしくなった。

小高区役所の前に、相馬野馬追・野馬懸の大きな告知看板が出ていた。常磐道も全面開通したことだし今年はさらに人出がすごくなるんだろう。

うぉ、野馬追・野馬懸の告知が出てる。小高区役所前。常磐道全面開通で、今年は人出がすごいんだろうなぁ。

南相馬市ボランティア活動センターは、拠点として借りていた社協会館を3月末で返却する。そのため、この週末は引っ越し作業の終盤段階だった。
この日すでに会館前のテントは撤去されており、気持ちいい晴天の下での“青空朝礼”が行われた。

南相馬・小高でボランティア(援人)
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南相馬:常磐道開通で“つながる”感覚 依頼主の境遇に浮かぶ謝罪と怒り(援人 0306便)

Posted on 2015年3月24日. Filed under: ボランティア | タグ: , , , |

ボランティアチーム援人、南相馬市小高区でのお手伝い、2015年3月7日土曜日(0306便)のメモ。

2015年3月1日、常磐自動車道が全面開通した。
この便では、初めて高速道路だけで目的地・南相馬へ行くことができた。

これまでのボランティアの依頼者の中には、県内外の避難先、遠くから車で通うのが大変で、とこぼす方もいた。避難先の自治体と避難区域の自宅を何度も行き来せざるを得ないような人にとって、常磐道開通の恩恵は大きい。一方で、国道6号に比べると放射線量は低いとはいえ、最大5μSv/hもある地点を通る道路の一般開放には批判の声もある。それも理解できる。

往路、ならはパーキングエリアに初めて立ち寄った。小さな施設だが、有名サッカー選手の足型・手型のレリーフや相双地域の祭りを紹介する絵画などがある。地域再興の願いがこめられているんだろう。

南相馬・小高でボランティア(援人)

南相馬インターチェンジを下りる。原町の中心部へは3kmほどと、とてもスムーズな移動だ。

常磐道 南相馬インターチェンジ 南相馬・小高でボランティア(援人)

「南相馬へ行く」ということについて、身体的感覚が更新されたような気がした。

東北道を二本松ICで下りて川俣町、飯舘村を通るときは、アップダウンや曲がりくねった道で、いかにも難儀して乗り越えるという印象がある。
常磐道の開通前、富岡ICで下りて国道6号で南相馬に向かうのは、必ずしも状態がよくない一般道で、左右の町への入口はバリケードで塞がれており、あまり心地よいとはいえない。

常磐道が全線開通となった今、東京から南相馬へはスッと一本道がつながった感覚がある。


今日のお手伝い先は小高区中心部のすぐ北、小高い丘にある神社奥のお宅。依頼は(先週と同じく)ビニールハウスの解体だった。

お宅に着くと、80歳ぐらいの小さなお婆さんが杖をついて現れた。依頼主の名前は男性だったが長野に避難中であり、お母さんだとわかった。鹿島区の仮設住宅から自力で軽トラでやってきたという。

家屋二棟、トイレは外という構成の敷地の横に豚舎(だと思う)、帆布やブルーシートで覆われた大きなパイプハウス(ここで牛を飼っていた、と後で伺った)があり、その奥に田んぼ何反分もの農地が広がる。手前に長辺10mくらいのビニールハウス二棟、だいぶ奥に20mぐらいのハウスがもう一つあり、この三棟が解体の対象だった。

早速作業に入る。
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