6週間ぶりに陸前高田へ行き、筋力系ボランティアはしてこなかった話
2011年2月10日(金)深夜に伊東さん号で東京を出発、宮城県の南三陸町、岩手県陸前高田市、一関市などを巡って2月11日(金)の深夜に東京に戻ってきた。以下、点描。
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早朝、雪を被った南三陸町。
志津川の中心部は津波で破壊された建物がいくつも相変わらず残ったままであり、また建物の基礎の大半が未だに往時の区画そのままに残っていた。方々に積み上がった瓦礫も減っているように見えない。
歌津地区にある平成の森仮設住宅、千葉さん宅に挨拶に伺った。伊里前湾に近い高台の自宅が被災され、ここで暮らしている。 (さらに…)
Read Full Post | Make a Comment ( 6週間ぶりに陸前高田へ行き、筋力系ボランティアはしてこなかった話 はコメントを受け付けていません )陸前高田市小友町矢の浦で“壁”を作るお手伝いをしてきた話
2011年12月16日(金)、29回めの東北被災地でのお手伝いの記録。
5月からぼくが毎週乗り続けたレーベン号は、この回と年末最終便が「休止」となった。運営方針について見直しが必要な点が出てきたこと、毎週の長距離走行で傷んだバスの修理が必要なことなどが理由だ。
レーベン号は、もしこの週行っていれば「30回め」のお手伝いになったはずの日だった。
天気予報では、土曜の陸前高田の気温は日中でも0度から3度とこれまでで一番寒そう。が、5~6時間くらいのお手伝い、寒さは大丈夫だろう。ちょっと不安なのは、レーベン号以外のボラバスに乗るのは初めてという点だった。原点回帰のいい機会と考え、「この健康な体を復旧のために役立ててください」というマインドで行ってこよう、と考えて集合場所に向かった。
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今回お世話になったのは、山梨のNPO「甲斐のめぐみ」の陸前高田行きボランティアバス。バス内の紹介で知ったが、この団体のボラバスは今回で34回めだそうだ。
集合場所は行き慣れた日比谷…ではなく池袋。酒が入って陽気になった人混みを抜け、10分ほど歩いた先にあるサンシャインシティプリンスホテル前だ。
バスにはこんな表示が。「独りじゃないさ!がんばろう!東北 つないで陸高!なじょにがすっぺ ボランティアバス」。応援メッセージがテンコ盛りといった感じだ。
毎週金曜の夜はレーベン号で眠ることが日常になっていたので、慣れないバスでのシートの座り心地やエンジン音の微妙な違いが気になって目が冴えてしまった。いつもは感じることを省略していた高速道路のサービスエリア間の移動も、「いまどの辺だろう」と何度も気になったりする。
阿武隈パーキングエリアに着いたときには、大粒の雪が降りはじめていた。雪が降ると結構暖かいというけど、なんとなくそんな体感温度だった。
Read Full Post | Make a Comment ( 3 so far )陸前高田の広田町六ヶ浦、レーベン号+信州号合同チームで側溝泥出しをし、皆既月食の下「絆」の重みを考えた話
東北の震災被災地へ、毎週末0泊3日の行程で行き続けるレーベン号、29回めのお手伝い記録。
深夜のSAで雪が舞い、陸前高田は日中でも気温5度。レーベン号史上最も寒かったけど、レーベン二号と長野発のボラバス「信州号」の仲間を合わせて総勢81人(!)の緊密なチームワークで、どこまでも続く側溝を相手にしっかりお手伝いができた週末だった。
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23時すぎ、日比谷のレーベン二号。今夜はぼくが乗る二号が陸前高田へ、伊東さんがリーダーの一号車が南三陸へ行く。
この日は、このブログ(「東北被災地に行く機会がなかった長野・群馬の方、12月9日長野発のボランティアバスに乗りませんか?」)でも参加を呼びかけた信州号──レーベン号に触発された女性が企画し、皆のすごいがんばりで満席となった長野発のボランティアバス──も21時には長野駅前を発っていた。
バスの中、同じ陸前高田をめざすもう一台のバスのことを考えると不思議なぐらい心が浮き立ち、温かくなった。
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深夜3時45分、安達太良SAでは粉雪が舞っていた。仮眠から起き出し、体を伸ばすために不用意な恰好で外に出ると1分で震えてしまう寒さだった。
空が薄明るくなる頃、窓外を見ると家の屋根や車はうっすらと雪を被っている。また、道路沿いの細い小川は表面に薄氷が張っていた。
南三陸町、志津川の中心部。かつての街の跡を朝焼けが照らしはじめる。
セブンイレブンの仮設店舗(志津川天王前店)で、別働隊が一号車から二号車に一時的に乗り換え。歌津伊里前の千葉さん宅へ行くためだ。
セブンイレブンから見えるタイヤの山にもうっすらと雪が積もっていた。後ろに見える4階建てビルの上、津波で押し上げられた乗用車はもうずっと放置されたままだ。災害遺構として残す意図でもあるのだろうか。
Read Full Post | Make a Comment ( 4 so far )陸前高田の気仙町で瓦礫片付けをし、気仙沼横丁で「今できることを」というメッセージにうなずいた話
2011年11月18日(金)、ボランティアバス「レーベン号」、26回めの東北被災地でのお手伝いの記録。
22時半ごろ、リュックを背負い、支援物資の座布団5枚(大船渡の集会場で使われる予定)を入れた紙袋を両手に提げて、レーベン号が待つ日比谷へ向かう。
そういえば前の週は気仙沼への毛布だった。リュックを背負いかさばる荷物を抱えながら歩くと、震災直後を思い出す。被災地に送るため、粉ミルクや紙おむつを買って歩いた記憶。
日比谷。バス2台に参加者が乗り込んでいく。一号は宮城県の南三陸町行き、二号は岩手県の陸前高田市行き。ぼくは今日は二号車に乗る。
土曜日の陸前高田は、ちょうど活動時間にあたる9時から15時までが小雨の予報。バス内の「てる坊」と、翌日の自己紹介でわかった何人かの「晴れ女」パワーで天気はもつだろうか。
Read Full Post | Make a Comment ( 2 so far )一カ月ぶりの陸前高田で、この時期予想外の大きな瓦礫たちを運び、農家の人が立ち働く姿をうれしく眺めた話
一カ月ぶりに行った陸前高田。お手伝い先は、広田半島の広田町。意外にもハードな瓦礫運びで、この仕事が残った理由は現場に行ってみて納得した。被災地の復旧プロセスはさまざまだ。現地・現場を見なければわからないことが沢山ある。広大な畑に、草刈りや瓦礫片付けをする町の人の姿もあった。少しずつ動き出している。ボラセンにニーズが届いている以上、できるお手伝いを続けたい、と改めて思った。
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レーベン号にとって23回めの東北被災地でのお手伝いとなった、2011年10月28日発の便。今回は陸前高田行きの1号車だけだ。前回、牡鹿半島行き2号車が悪路で故障してしまったため。
ぼくは今回お休みしようと思ったが、リーダーの伊東さんが前日から住田町基地(内陸部にあるボランティア向けの宿泊施設)に向かうことになったため、1号車に乗せてもらうことになった。
今日乗車するのは36人。最近は2台分、倍の人数の賑わいに慣れていたので、待ち合わせ場所もやや寂しい感じがするのは否めない。
この日は、立花社長と何人かのリピーターが乗った乗用車が牡鹿半島へ向かった。2号車を修理・改修するため。安達太良SAで、社長たちが乗った車、そして宮城県の山元町で活動中のスコップ団に参加するメンバーたちの車と落ち合う。しばらく談笑した後、それぞれの行き先へと別れた。
金成SA、朝6時ごろ。朝焼けの赤みが残る、冬っぽく冴えた空。
一関ICを降り、いつものセブンイレブン一関川崎店に立ち寄る。
朝食と一緒に買った岩手日報に、一面の意見広告が。「復興より先に、やるべきことはないと思う。 NO! TPP 「食」と「農」を守ろう!!」。JAいわてのもので、大きく使われている写真は陸前高田らしい。
「復興居酒屋がんばっぺし」(横浜)に行ってきた
一昨日(2011年10月19日)、横浜の「復興居酒屋がんばっぺし」に行ってきた。
「がんばっぺし」は、こんなコンセプトのお店。
横浜に「復興居酒屋がんばっぺし」-従業員全員が三陸の被災者 – ヨコハマ経済新聞
http://www.hamakei.com/headline/6251/
「
オーナーの鎌田さんは岩手県大船渡市出身。現在は横浜で建築業などを営む。東日本大震災の後、横浜、都内、埼玉の友人や知人に託された物資を持ち何度も地元に帰り復興ボランティアを行った。そうしているうちに「被災地ではなく横浜で何かできないか」という思いが膨れ上がった。
(…)
従業員5人全員、岩手県三陸地方の震災被害者で飲食業経験者。「全員、友人や知人です。被災地には仕事がない。飲食業は今、補償も新たなテナント物件もないので、皆、働きたいけど働けない状況なんです」と鎌田さん。
」
ちょっと前から気になってたけど、今回行くことになったきっかけは、宮城県の女川町(おながわちょう)で支援活動中の大学生栗山君(@artryuboku)が、Facebookで仙台にある「復興支援酒場」について投稿していたこと。
中「横浜にも似た店があるよ。今度こっち来る機会があったら行こうよ」
栗「今週東京行きます」
中「そんなに早く来るの(笑)。じゃあ行こうか」
という経緯。
急きょ声をかけると、レーベン号リピーターが6人、栗山君、「東京と岩手を繋ごう」というボランティア+観光による復興支援コミュニティに参加されている菅野さん、の8人が集まった。
場所は横浜駅西口から歩いて10分ほどのところ。やや遠いけど、道はまっすぐだからまず迷いません。
外観はこんな感じ。最近流行りの屋台風。
Read Full Post | Make a Comment ( 2 so far )3.11震災から200日。「被災地にもう人手は不要では」と思う人にこそ読んでほしい、陸前高田市竹駒町でお手伝いしてきた話
震災から200日あまり。先週レーベン隊がお手伝いした陸前高田市竹駒町の河原は、ボランティアが初めて入った場所だ。大量の生活用具、そして忘れ難いものが見つかった。「まだボランティアに?」「半年たてば不要でしょ」という人にこそ読んでほしい。
陸前高田ボランティアセンターで活動する@HELPtakataさんは、現地がまだまだ手助けを必要とする背景についてこうTweetしている。
http://twitter.com/#!/HELPTakata/status/119592909589852160
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2011年9月30日(金)、19回めの東北へのお手伝いに向かうボランティアバスレーベン号。
23時30分ごろの日比谷公園前は、出発を待つ人たちに何人かの見送り組も混ざり、賑やかだ。
朝、バスが一関ICを降りたところで自己紹介タイムが始まる。
この日の2号車は「被災地に行くこと自体初めて」の人が1/4、「被災地入りした経験はあるがレーベン号は初めて」の人が同じく1/4ほどいた。
(さらに…)
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