6週間ぶりに陸前高田へ行き、筋力系ボランティアはしてこなかった話

Posted on 2012年2月12日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , |

2011年2月10日(金)深夜に伊東さん号で東京を出発、宮城県の南三陸町、岩手県陸前高田市、一関市などを巡って2月11日(金)の深夜に東京に戻ってきた。以下、点描。

早朝、雪を被った南三陸町。

南三陸町、陸前高田 (援人 伊東号) Minamisanrikucho, Rikuzentakata

志津川の中心部は津波で破壊された建物がいくつも相変わらず残ったままであり、また建物の基礎の大半が未だに往時の区画そのままに残っていた。方々に積み上がった瓦礫も減っているように見えない。

歌津地区にある平成の森仮設住宅、千葉さん宅に挨拶に伺った。伊里前湾に近い高台の自宅が被災され、ここで暮らしている。 かなり大規模な仮設住宅だ。木製スロープや前室が後付けされたり、収納が少ないため住人が棚を自作したり、防寒のためさまざまな工事が進行中であったりと、すでにつぎはぎの様相。耐久性の点でも2年もつのかな…という気がする。

南三陸町、陸前高田 (援人 伊東号) Minamisanrikucho, Rikuzentakata

二間の仮設に老齢のご両親含め3人が住む。狭い居間は、ぼくら6人が招かれて上がるとギュウギュウになった。
テレビではドラマ「カーネーション」の後のニュースで、今日で東日本大震災から11カ月めです、という話題が流れた。天気は快晴、外はマイナス2度くらい。仮設の室内の底冷えを実感する。

お父さんの話。去年は田んぼもやらず、今も例年に比べて寒すぎる冬のため海にも出ていないで(いつもだと2月初旬にはワカメ獲りに出ることもあるとか)体力が落ちてしまった。若い層は志津川や気仙沼、登米などに車で買い物に行くこともあるが、シニアは仮設に入ってから出歩かなくなり、体力が落ちた人が多いそうだ。 伊佐前川で行われる「ザワ」という特徴的な漁法について、楽しそうに話してくれた( 参考:シロウオ – Wikipedia )。

45号線を北上する。気仙沼の本吉地区では道路のすぐ脇にまだ大きな瓦礫が散在し、曲がった道路標識などもそのまま放置されていた。時間があまり進んでいないように感じた。

快晴の唐桑地区を過ぎ、陸前高田へ向かう。

南三陸町、陸前高田 (援人 伊東号) Minamisanrikucho, Rikuzentakata

気仙大橋から望む一本松。

南三陸町、陸前高田 (援人 伊東号) Minamisanrikucho, Rikuzentakata

災害ボランティアセンターへの途上、マイヤ滝の里店の周辺にはさらに多種多様なプレハブ店舗が増えていた。昨年何度も立ち寄った採れたてランド高田松原はより大きな仮設店舗に衣替えし、ファミリーマートを挟んで隣にはツルハドラッグの大きな店舗ができ、前面には飲食店2店舗がまさにオープンしようというところだ。

南三陸町、陸前高田 (援人 伊東号) Minamisanrikucho, Rikuzentakata

採れたてランドを訪れた理由は、震災後ずっと止まっているウェブのリニューアル提案。

元々高田松原にあったこの店は津波で被災し、7月に内陸のこの地で仮設店舗をオープンした。陸前高田を何度もボラバスで訪れていたぼくらにとって、高田の素朴で豊かな産品の数々の窓口だった。
そして、このお店のウェブサイトが震災後ずっと止まっているのが気になっていて、「ウェブ屋である自分のスキルでなんとかしてあげたい」と思う企業や事業体のひとつだったのだ。昨年末、同じボラバスに乗っていたメンバーがこの店に迷惑をかける行為をしたことがあり、そのやり取りの中でウェブの活用意向を聞き、お手伝いすることを決めていた。

打ち合わせの中で、ウェブを制作した会社の担当者を含め何人かが津波で亡くなったことを聞いた。震災後、ウェブの更新ができない理由のひとつはそれだった。
遠い場所の赤の他人ではなく、同業者の落命。これから先のキャリアの中でやりたいこともあったろう。ぼくや他の制作者と同じく、多忙な日々の中でやりたいことになかなか近づけない人生だったかもしれない。
こんなかたちでバトンを受け取ることの重みを考えた。

ぼくらが採れたてランドにいるとき、道路を挟んで向かい側では高橋昌子 a.k.a. まちゃ画伯チームが、オープン間近の「陸前高田未来商店街」のお手伝いに向けた打ち合わせをしていた。ぼく自身も、後から駆けつけ、オンラインでは何度かやり取りしていた事務局の種坂さんとご挨拶。

南三陸町、陸前高田 (援人 伊東号) Minamisanrikucho, Rikuzentakata

詳細は早速商店街のブログ( オープンします!|陸前高田 未来商店街のブログ )にアップされているが、以前は陸前高田駅のすぐ近くに大きな店舗を構えていた「ファッションロペ」さんのコンテナ店舗の外壁に絵を描くというお手伝いだ。中心はまちゃ画伯だが、チーム援人としてバックアップしていくつもり。

高田町の災害ボランティアセンターへご挨拶に。最近のボランティアニーズと、今後の見込みなどを伺う。4月以降新たに出始めるニーズなどもありそうだという。

昼食は、一関方面へ車を20分ほど走らせ矢作町にある「やはぎ食堂」で昼食。「北上市の夏油温泉のみなさんが、陸前高田の応援のために出店」したお店だという( 参考:やはぎ食堂開店です! – 陸前高田市復幸応援センターブログ )。
何人かが頼んだ「磯ラーメン」がおいしそうだった。

南三陸町、陸前高田 (援人 伊東号) Minamisanrikucho, Rikuzentakata

最後は一関へ。

岩手沿岸の各地できめの細かい支援を続けているMさんからいろいろな話を伺った。
被災された方の声は一様ではなく、世代や地域によっても違うこと。主張することが得意な中心部の人たちの声ばかりが注目されがちなこと。さまざまな支援活動の内実。
東北の復旧復興のためにと、ただ無心な駒となって働けばいいわけではない、と改めて思う。駒ぐらいの力しかなくても、問題の構造や今どこに向かう途上なのかを知ろうと努めなければ。が、全体感を掴むためにこそ駒に徹してディテールを知るべきだ、とも。

宮城と岩手へ行き、いつものガテン系ボランティアはせず、何人かにご挨拶し、話を聞いて帰ってきた。
今後の活動につなげていくつもり。

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