陸前高田の気仙町で瓦礫片付けをし、気仙沼横丁で「今できることを」というメッセージにうなずいた話

Posted on 2011年11月23日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , , , |

2011年11月18日(金)、ボランティアバス「レーベン号」、26回めの東北被災地でのお手伝いの記録。

22時半ごろ、リュックを背負い、支援物資の座布団5枚(大船渡の集会場で使われる予定)を入れた紙袋を両手に提げて、レーベン号が待つ日比谷へ向かう。
そういえば前の週は気仙沼への毛布だった。リュックを背負いかさばる荷物を抱えながら歩くと、震災直後を思い出す。被災地に送るため、粉ミルクや紙おむつを買って歩いた記憶。

日比谷。バス2台に参加者が乗り込んでいく。一号は宮城県の南三陸町行き、二号は岩手県の陸前高田市行き。ぼくは今日は二号車に乗る。

日比谷, 陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

土曜日の陸前高田は、ちょうど活動時間にあたる9時から15時までが小雨の予報。バス内の「てる坊」と、翌日の自己紹介でわかった何人かの「晴れ女」パワーで天気はもつだろうか。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

一関ICの手前、東北自動車道で最後に停まった金成PAでは、空は曇がたれこめ乳白色だった。
ややピークを越した紅葉、黄葉、そして常緑樹の緑の葉のグラデーションの中をバスは行く。車内外の温度差でガラスが曇る季節になった。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

一関の街中でいつもの自動車ディーラーを通り過ぎたとき、見慣れた「がんばろう東北」という横断幕やのぼりが全部なくなっていた。ちょっと気になった。

陸前高田の市街跡に入る。

ぼくにとって3週間ぶりの訪問だが、瓦礫の山が移動されていたり、道端にパンジーが植えられていたり、高く集積されていた廃車の山が激減していたり、といった変化を見た。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

ボラバス集中のため──といっても今日の活動人数は約700人で、ピーク時より減っているそうだが──川の駅よこたでの待機を経て、陸前高田災害ボランティアセンターに到着。

ボラセンの事務所に干し柿が下がっていた。

ボランティアセンター, 陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

今日のお手伝い先は、気仙町(けせんちょう)字中井(あざなかい)。気仙大橋を渡り、気仙川沿いを10分ほど北上した地域での瓦礫片付けだ。

ボランティアセンター, 陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

バスは気仙川の北岸を行く。ボラセンで目印と説明された「幸せの黄色いハンカチ」の塔が、前方に見える。
毎回のことだが、津波被災地、特に陸前高田のようにまっさらになってしまった場所での「目的地までの辿り着き方」の説明は奇妙だ。番地表示などないし、ランドマークもほとんどなくなっているから。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

バスを降りて作業の準備。空はだいぶ重苦しいが、まだ降ってこない。
地図上では存在していた区画だが、その場所に来るとただ広漠として見分けがつきにくい。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

一帯は重機が掘り起こした場所とそうでない場所が混じり、平地にはかつて集められた瓦礫の山(未分別)があるが、まだ散乱もしている。土中、間に合わせの用水路、すぐ北の斜面にも瓦礫が見える。
すでにある瓦礫の山を分別しつつ、新たな瓦礫集めも行うことにした。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

作業が進むにつれ、写真、身分証明書などのいわゆる「思い出の品」が少しずつ集まった。写真は退色して真っ白なものから、顔がハッキリ判別できるものまでさまざま。ぼくが手に持っているのは陸前高田市立気仙小学校の2002年度の卒業アルバムのようだ。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

残念ながら途中で小雨が降ってきた。が、作業を妨げられるほどではなかった。メンバーは黙々と瓦礫を集め続け、山は高くなっていく。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

午前、ぼくは土中に埋まった大量の屋根瓦を掘り出した。そして午後は用水路に入り、ヘドロの中の瓦礫を引っ張り出した。

陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

メンバーのSさんが、錆びた猟銃を発見した。後で調べると、近くに銃砲店( Googleマップ:杉之下銃砲店 )があったらしい。

14時45分、作業終了。途中から降った雨のせいもあり、多くのメンバーが泥にまみれていた。

陸前高田ボラセンで報告・道具返却などを慌ただしく済ませ、恒例の「採れたてランド高田松原」に滑り込んだ。プレハブ店舗の後ろに、新たな店舗の建設が始まっているらしい。

採れたてランド高田松原, 陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

ぼくは、ここで会うことができた森本( @ororomame700101 )さん(岩手沿岸南部で、取り残された地域への支援活動を続ける方)に、大船渡の三陸町に届くという座布団5枚を託し、しばらく立ち話。採れたてランドからは、参加者たちが大きな袋を持って次々と出てくる。

1号と新2号は気仙沼プラザホテルで合流した。
ぼくは今回も風呂を手早く済ませ、復興屋台村「気仙沼横丁」へ。

夜の闇と、屋台村の灯。
気仙沼の港湾部のこの区画は、荒れた地面に取り壊しを待つ建物などが未だ点在し、爆撃の跡のような姿を晒している。夜は文字通り「真っ暗」で、こんな商業施設はまだまだ稀なのだ。

気仙沼横丁と夜の闇, 陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

この日は、先週のプレオープン日より開いてる店がやや少なかったが、2人で「あたみ屋」に滑り込み、餃子焼きそばあんかけ焼きそばを注文(この店で今頼めるメニューはこれだけ)。具がみっちり詰まった餃子は、特においしかった。

気仙沼横丁, 陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

あたみ屋の陽気なおばさんの真っ赤なTシャツの背中には、「今できることを」と大書してあった。今思い出しても、うん、とうなずいてしまうフレーズだ。

帰路の感想タイム、印象に残ったもの。

作業中、「手巻き寿司」を作る道具を拾った。手巻き寿司を作る道具というのは普通の生活用具ではなく、ちょっと豊かな生活のためのもの。
ここの人たちが、またこういう道具を使えるような豊かな生活に戻れるのはいつだろう。東京で、必ずしも必要ではないモノを買ったり使ったりできる豊かな生活の意味ってなんだろう、と考えた

深夜3時過ぎ、佐野SAを出たレーベン一号・新二号は東京へ向けて走っていた。二号車、陸前高田で寒さと雨の中ハードな瓦礫集めをこなしたメンバーたちはSAでもほとんど起きず、眠っている。

バス内に陸前高田でいただいたリンゴの香りが微かに漂う中、1日を振り返った。

作業中、@HELPtakataさんが気仙町まで来てくれた。沢山のリンゴをいただき、立花社長からの桜の苗木をお渡しした。そして彼が今応援しているという「桜ライン311」について、少しお話をうかがった。陸前高田の津波到達ラインに桜の木を植樹するというプロジェクトだが、その場所に残ったお宅に話を聴きにいくことは、ほんのわずかの差で生死が分かれた人たちの辛い物語を傾聴するという取り組みになっているという。帰路のバス内で、戸羽太市長の著作(「被災地の本当の話をしよう」)と共にプロジェクトを紹介した。

また、森本さんには支援先の大船渡市三陸町の話を聞いた。津波で自宅が流され、いわゆる「みなし仮設」的に他の人の家に間借りしている人も多い集落だ。無償提供されたログハウスを集会所として活用し、コミュニティの絆を少しずつ修復していきたいと動いているとのことだった。

どちらも、話を聞きながらぜひ力になりたいという思いが湧いた。
被災地を俯瞰する映像を観たり、浸水面積や被災者数の数字を知ることではなく、そこで復旧・復興に向け動いている人と会うことで、ぜひ応援したいという思いが強く呼び起こされる。やはり鍵は「人」だと思う。

レーベン隊、今回も無事に東京駅に到着。

東京着, 陸前高田市気仙町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Kesencho, Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

またお手伝いに行きます。次回、ぼくは南三陸へ!

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こんにちわ、レーベン号で何度かご一緒させていただいたサクライと言います。
先日はお疲れさまでした。

私もブログをやっています。
先日の活動のことも書きましたが、ボランティアの記事の時にはググッと
アクセス数が増えるのが嬉しいです。

http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/20111119/

また、近いうちレーベン号に乗る予定です。

ブログ、リンクさせてください。

サクライさん、ご紹介いただいたブログ、すでに拝見してましたよ。
よかったらFacebookのレーベン号サポーターズにもぜひご参加を。(^ ^)


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