陸前高田の広田町六ヶ浦、レーベン号+信州号合同チームで側溝泥出しをし、皆既月食の下「絆」の重みを考えた話

Posted on 2011年12月14日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , , |

東北の震災被災地へ、毎週末0泊3日の行程で行き続けるレーベン号、29回めのお手伝い記録。

深夜のSAで雪が舞い、陸前高田は日中でも気温5度。レーベン号史上最も寒かったけど、レーベン二号と長野発のボラバス「信州号」の仲間を合わせて総勢81人(!)の緊密なチームワークで、どこまでも続く側溝を相手にしっかりお手伝いができた週末だった。

23時すぎ、日比谷のレーベン二号。今夜はぼくが乗る二号が陸前高田へ、伊東さんがリーダーの一号車が南三陸へ行く。

日比谷, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

この日は、このブログ(「東北被災地に行く機会がなかった長野・群馬の方、12月9日長野発のボランティアバスに乗りませんか?」)でも参加を呼びかけた信州号──レーベン号に触発された女性が企画し、皆のすごいがんばりで満席となった長野発のボランティアバス──も21時には長野駅前を発っていた。

バスの中、同じ陸前高田をめざすもう一台のバスのことを考えると不思議なぐらい心が浮き立ち、温かくなった。

深夜3時45分、安達太良SAでは粉雪が舞っていた。仮眠から起き出し、体を伸ばすために不用意な恰好で外に出ると1分で震えてしまう寒さだった。

安達太良SAで雪, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

空が薄明るくなる頃、窓外を見ると家の屋根や車はうっすらと雪を被っている。また、道路沿いの細い小川は表面に薄氷が張っていた。

南三陸町、志津川の中心部。かつての街の跡を朝焼けが照らしはじめる。

南三陸町の朝焼け, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

セブンイレブンの仮設店舗(志津川天王前店)で、別働隊が一号車から二号車に一時的に乗り換え。歌津伊里前の千葉さん宅へ行くためだ。

セブンイレブン志津川天王前店, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

セブンイレブンから見えるタイヤの山にもうっすらと雪が積もっていた。後ろに見える4階建てビルの上、津波で押し上げられた乗用車はもうずっと放置されたままだ。災害遺構として残す意図でもあるのだろうか。

南三陸町, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

伊里前湾が見える高台で、6人のチームが二号車を降りていく。早速千葉さんが出迎えてくれた。

歌津伊里前, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

ファミリーマート(歌津升沢店)で朝食購入の際に一緒に買った三陸新報に、この日(12月10日)オープンの「気仙沼さかなの駅」の一面広告があった。
ここには地元の自立を支援する目的の“ボランティアステーション”も併設されているとか。注目したい。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

9時15分ごろ、陸前高田ボランティアセンターに到着。バスが減っているためか待機なしで入ることができ、受付もスムーズに進む。
オリエンテーションでは、今日のボランティアは400人だと説明があった。最盛期の半分を割っている

ボランティアセンター, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

ここで、すでに到着していた信州号と出会った──が、着替え、受付、オリエン、資材借り出しと慌ただしく出発準備をしなければならず、ゆっくり喜んでいる暇はなかった。

信州号と並んで停まるレーベン二号(撮影:芦野さん)。

信州号とレーベン二号 (撮影:芦野さん)

今日のお手伝い先は広田半島広田町六ヶ浦(むつがうら)と決まった。レーベン隊がこれまで何度かお手伝いしてきた羽根穴などの東、大野湾に面した漁港を擁する地区だ。

広田町六ケ浦, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

いわて情報スクエア>岩手の漁港一覧>六ヶ浦漁港
http://www.pref.iwate.jp/~hp0563/contents/gyokouichiran/gyokou/1310850mutsugaura.html

刺網のほか、カキ、ホタテ、ワカメ等海面養殖業が主体」とある。砂浜より数m高いところに2m以上の立派な堤防があったが、昭和35年のチリ地震などを受けて改修を進めてきたものだという。が、東日本大震災で発生した津波はそれを乗り越え、広田町はおよそ内陸2kmほどまで浸水したのだ。

「六ヶ浦漁港」-三陸海岸漁港写真集シリーズ-
http://akita4184.blog71.fc2.com/blog-entry-781.html

釣りのポイントとしても有名なようだ。

広田町に着き、指定された駐車場所の傍には、以前岩手日報でニュースを読んだ「パークゴルフ場」が( 岩手日報:陸前高田 パークゴルフ場完成 )あり、そこでは揃いのビブスを着たボランティアらしい人たち十数人がすでに作業をしていた。

地盤沈下と浸水で地形が変わっているため、直線距離ならばそう遠くない六ヶ浦まで、大きく迂回して歩かなければならない。

作業場所に着くと土がぎっしり詰まった側溝があった。蓋が残っているのはほんの一部。作業指示には記載がなかったが、グレーチング(鋼材の溝蓋)はネジ留めされ外すことができなかった。
道路を挟んで家が点在する区域は、低い部分が大きくえぐられてクレーターのようになっている。真新しい電柱は最近新たに立てられたものだ。

広田町六ヶ浦, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

早速午前の作業をスタート。
レーベン隊と信州隊は抵抗なく混じり合い、一体となって動きはじめた。「寒さで体も硬いので、ゆるゆるとはじめましょう」と指示をしたが、シンプルな作業であり寒さのせいもあるのか、皆のペースは早い。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

12時、昼食休憩。快晴なので動いているときは温かいが、止まると急激に冷えを感じる。
信州号のメンバーの何人かの人とお話ししたが、かわいい短大生からタフな壮年男性まで多彩な人たちだ。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

午後、作業再開。
午前の作業で指定場所のひとつは終わりが見えたので、一割ほどのメンバーに残ってもらい、メイン部隊は漁港の護岸部分に長く伸びる側溝へと移動する。
もうだいぶ片付いてはいたが、漁港近くの高台にある家にも津波の跡が見えた。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

以前も経験したことだが、側溝掃除のように都度の判断があまり要らず、打ち込んだだけ成果が返ってくる作業では皆が競うようにピッチを上げていく。また今回は、レーベン隊が5月や7月に当たった側溝に比べると厄介な瓦礫がほとんど含まれていなかった。

作業に熱中するあまり狭い範囲に密集する人たち、ハードな作業を休みなく続ける人などに、こまめに声を掛ける。バールで蓋開けをしていくチームが先行しすぎないよう調整する。土を運ぶ一輪車の動きが偏らないようにする。全体最適から見れば余計な作業をしている人に、別の場所に回ってもらう。

がんばり屋が沢山揃った81人のチームのリーダー役は、なかなか大変だ。これまでで一番声を張り上げたかもしれない。
──などと言いながら、ラストスパートでは自分が率先して一輪車を押して駆けていたわけだが…。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

15時までにボラセン帰着という指示に従い、14時30分に作業を終える。午前・午後合わせて400~500mぐらいは進んだだろうか。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

帰路、陸前高田の中心部で、白煙を上げる瓦礫の山と、消火作業にあたる消防車などの光景が見えた。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

ボランティアセンターに戻り、作業報告と道具返却など。
ペットボトルで作られたクリスマスツリーの中で、やさしいピンク色の照明が輝いている。

ボランティアセンター, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

レーベン二号と信州号をバックに、両チーム合同で記念撮影。
(元データはこちらから。その1その2その3 )

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

「ありがとうございました!!」の手作り看板と共に見送ってくれるボラセンの方々。負けずに手を振り返す参加者たち。
陸前高田ボランティアセンターならではのホスピタリティだ。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

ボラセンを出て、恒例の採れたてランド高田松原に立ち寄る。早速店内は大盛況になった。
よくわからないが、レーベン号に乗ってきたはずのMがレジ内にいた。きっと「Apple Heart ☆ 採れたてランド高田松原を応援するブログ」のネタ仕入れなんだろう…。

採れたてランド高田松原, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

気仙沼へ先行する信州号に乗るOママから電話をもらい、バスを停めてしばらく眺めた希望の一本松にかかる満月
未だ残る瓦礫、津波を生き延びたが衰弱が伝えられる一本松、そして大きな月。震災から9ヵ月を迎える陸前高田の今を、目に焼きつけた。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

気仙沼港の近く。
参加者たちが気仙沼プラザホテルの温泉で疲れを取り、お魚いちばでお土産購入や食事をし、気仙沼横丁で飲食を楽しんでいる間、ホテル前で待機する信州号、レーベン1号、レーベン2号の姿。

陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

レーベン隊より出発が30分遅い信州号とは、ここでお別れになった。
最後に、信州号に参加した人たちから「またぜひ2回めをやりたいと思ってます」という言葉が聞けたのがうれしかった。

帰路、感想タイム。

目に入った景色がすごすぎて、言葉になりません…
被災地の風景よりも、会った人の笑顔や感謝の言葉が、またここに来たいと思わせてくれました
「今回、友だちを数人誘いました。慣れない作業のキツさや寒さなど大丈夫かなと思いましたが、満足してくれたみたいで、取り越し苦労だったなと思ってます」
「作業をしながら、『側溝は町の血管みたいなものだ』という言葉を思い出してがんばりました」
「ふと手を止めて周りを眺めると、みんなゴールドラッシュの時の金鉱掘りのような真剣さで必死に土を掘っている。『皆、それは金じゃなくて泥だよ』って声をかけたい衝動に駆られました

この日は、太陽、地球、月が一直線上に並び地球の影が月を覆う「皆既月食」が、23時台をピークとして観測できるという日だった。そこで、22時すぎに長者原SAに入ったレーベン一号・二号は長めの休憩を取ることになった。

厳寒のサービスエリアでバスの外に立ち、皆既月食が進んでいく様子に目を凝らした。
そしてふと、思い思いの場所で同じように月を見上げるレーベン隊の仲間と、レーベン号のボディの「絆」の文字を見比べた。昼間の作業でのメンバーたちの無心の働きぶりをいくつも思い浮かべ、また、今日は参加していない多くの仲間の顔、言葉、活躍の姿を思い浮かべた。
引き離されたらとても痛くて悲しいような関係、それが『絆』なのだろう。だったら、それはもうここにしっかりできている」。そんな考えが浮かんできた。

長者原SAで皆既月食を見る, 陸前高田で側溝泥上げボランティア(レーベン一号・信州号) Volunteer at Rikuzentakata, Destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

レーベン号の東北被災地行きは、次の便で30回を迎える。
こういうお手伝いの機会をもらえたこと、同じ志を持つ沢山の仲間に出会えたことに、本当に感謝です。

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中野さん、リーダーのお役目お疲れさまです。本当に感動のブログでした。

ご苦勞樣でした.ナカノ樣は十回のつもりだったのが.もう29になりましたね.心やさしいボランティアの働きで少しづつ良く見えて來ました.あの溝の葢津波に持って行かれなかったのですか.きちんと並んでる所を見ると強そうですね.寒いからお体をお大事に.

>のりこさん
ありがとうございます!ぼくは「レーベン隊が実際にやっていること、レーベン隊の周りで起こったこと」に多少の感想を加えてこのブログで伝えているだけなので、レーベン隊のやっていることがすごいんだと思います。(^ ^)

>akitsaiさん
はい、よく覚えてますね。最初は「5回、10回ぐらい…」と考えてましたが、いよいよ30回が迫りました。正月休みを挟んで、年明けにもニーズはあるようです。まだまだがんばりたいと思ってます。


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