南三陸町戸倉津の宮の田んぼでお手伝い 石巻の朝帰りと戸倉のピアノ練習(援人号 0607便)
援人号0607便(2013年6月7日深夜出発)は、久々に宮城県の南三陸町へお手伝いに。
お手伝い現場は、南三陸町戸倉津の宮にある「DSP災害支援プロジェクト」さんの拠点から歩いてすぐの泥沼化した小さな田んぼだった。
ばっきぃ氏(援人メンバーでもあり、現在はDSPの常勤スタッフ)の説明によると、戸倉にも行政による復旧の助けなどは結構入ってきたが、個人の敷地などは取り残されている場所が多い。この場所も以前DSPが手配したボランティアが40人入ったが、そのときは今よりもさらに泥沼が酷く、不本意ながら途中で撤退した場所だという。
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大きな余震再び、南三陸町戸倉でお手伝い、のち大雪(DSP災害支援プロジェクト)
2012年12月7日(金)、3.11震災の余震というにはあまりに大きな、M7.2の地震が東北を再び襲った。石巻で1mの津波、牡鹿半島の鮎川でも1mの津波と心配なニュースが入ってきた。
そんな中、現地の情報を追いながら、その夜に出発することになっていた南三陸町へのお手伝い便をどうしようか迷った。が、金曜日21時の時点で、南三陸町では避難勧告・指示などは全て解除された。受け入れ元であるDSP災害復興支援プロジェクトさんと協議したところ、バス会社系のボランティアバスは全部中止になってしまい、明日はぜひ人手が欲しいという。そこで、余震などに警戒しながらも東北へ行くことにした。
早朝、石巻の上品の郷で朝食を購入。雪がうっすらと積もっている。
コンビニで買った河北新報の一面には、昨夜の地震が大きく取り上げられていた。東北で「津波警報」が発令されたのは昨年の4月以来、実に1年8ヵ月ぶりだという。あの震災の恐怖が、多くの人の胸中に蘇ったはずだ。
南三陸町戸倉でのお手伝いは、宅地跡の細かな瓦礫拾い(といっても大きな砕石などもごろごろ)。20人ほどの参加者が列になって拾い、分別していった。
Read Full Post | Make a Comment ( 大きな余震再び、南三陸町戸倉でお手伝い、のち大雪(DSP災害支援プロジェクト) はコメントを受け付けていません )南三陸町歌津で伊里前で草刈りのお手伝い(ボランティアチーム援人)
ボランティアチーム援人のマイクロ援人号、8月4日(土)は南三陸町歌津地区へ。
仮設店舗の「伊里前(いさとまえ)福幸商店街」の前に広がる津波被災跡の区画に生い茂った草の刈り取りのお手伝いをしてきた。
歌津地区では、元々夏には「恋来い祭(こいこいまつり)」という夏祭りが行われていた。そして震災で町が壊滅した昨年はもちろんやる余裕はなかったらしいが、今年は少し形を変えつつ開催に漕ぎ着けたとのこと(8月11日に開催)。そこで、仮設商店街から目に入る雑草をなんとかしたい…と話を伺ったのが、今回のお手伝いの背景だった。
作業は朝8時前からスタート。
朝は空がもやっていて気温は高くはなかったが、体を動かすと早速蒸し暑くなる。空は次第に晴れはじめ、地面近くはムッとした熱気が強く漂い、以後の作業は暑さとの戦いになった。
Read Full Post | Make a Comment ( 南三陸町歌津で伊里前で草刈りのお手伝い(ボランティアチーム援人) はコメントを受け付けていません )南三陸町歌津で伊里前川の清掃ボランティア(ボランティアチーム援人)
ボランティアチーム援人の大型バス「援人号」は、2012年6月29日(金)から7月1 日(日)早朝までの0泊3日の旅程で、宮城県本吉郡南三陸町へボランティアに行ってきた。
今回は 歌津(うたつ)伊里前川(いさとまえがわ)の清掃がミッション。
干潮のうちに河口付近の作業を行う必要があるため、作業は8時前からスタート。
メンバーは、いつもの安全長靴の他に胴長靴やウォーターシューズを履いて川に入り、川底に残る被災材を引き上げていった。
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南三陸町戸倉字長清水で瓦礫片付けボランティア (ボランティアチーム援人)
ボランティアチーム援人の大型バス「援人号」は、2012年5月25日(金)から27日(日)早朝までの0泊3日の旅程で、宮城県本吉郡南三陸町へボランティアに行ってきた。
今回のお手伝い場所は南三陸の南の方、戸倉(とぐら)字長清水(ながしず)。
(※ボラセンの方針によりお手伝い中の写真はなし)
そして早朝とお手伝い後、南三陸の北部、歌津(うたつ)伊里前(いさとまえ)でシロウオのザワ漁の様子を見せていただいたり、三嶋神社を巡りながら震災当時の話を聞かせていただくなど、お手伝い以外にも充実した旅程となった。
志津川の中心部に着く。
一見何も変わっていないように見えるが、最後まで残されていた建物の解体が徐々に始まっている。解体工事が始まった公立志津川病院。
この建物の4階でも亡くなった人がいる。ご遺族は、なんの形見もなかったため、しばしばここを訪れていたという。
「投げられねえ(捨てられない)」
早朝、伊里前川で珍しい「シロウオのザワ漁」を見せていただき、そしてWさんから聞いた震災当時の話。
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南三陸町の歌津で“嵐のあと”の片づけをお手伝いし、おいしいワカメをいただく (援人ヨネザワ号)
2012年4月6日(金)、久々に宮城県の南三陸町へ行ってきた。
といってもボラセンを通してのボランティア活動のためではなく、援人の“隊長”伊東さんを中心に昨年から何度かお手伝いをしているCさん宅へ。
4月6日(金)夜、桜が満開の東京日本橋を「ヨネザワ号」で援人メンバー8人が出発。
この日は、同じく援人の「イトウ号」が6人のメンバーを乗せて陸前高田へと向かった。「陸前高田 未来商店街」で、コンテナ店舗にペイントをするというお手伝いのためだ(こちらのお手伝いは2~3回続く予定)。
ヨネザワ号は、朝7時ごろ志津川に到着。
荒れ地が広がる中心部で、今も鉄骨の骨組みだけが残る防災対策庁舎の前でメンバーは車を降りる。そして亡くなった方々の冥福を祈った。
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歌津伊里前(いさとまえ)のやや高台にあるご自宅が被災したため、現在は平成の森仮設住宅に住むCさん。高齢のご両親は震災で気落ちされ、昨年は所有する田んぼにも手をつけることがなかった。が、今年はそろそろはじめるという。そこで今回のお手伝いは、田んぼ仕事の再開に伴うお手伝いに──。
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6週間ぶりに陸前高田へ行き、筋力系ボランティアはしてこなかった話
2011年2月10日(金)深夜に伊東さん号で東京を出発、宮城県の南三陸町、岩手県陸前高田市、一関市などを巡って2月11日(金)の深夜に東京に戻ってきた。以下、点描。
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早朝、雪を被った南三陸町。
志津川の中心部は津波で破壊された建物がいくつも相変わらず残ったままであり、また建物の基礎の大半が未だに往時の区画そのままに残っていた。方々に積み上がった瓦礫も減っているように見えない。
歌津地区にある平成の森仮設住宅、千葉さん宅に挨拶に伺った。伊里前湾に近い高台の自宅が被災され、ここで暮らしている。 (さらに…)
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