南相馬・小高:避難指示解除前最後のお手伝い完了 まだ先へ(援人 0708便)

Posted on 2016年7月11日. Filed under: ボランティア, 福島, 東日本大震災 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、2016年7月9日土曜日(0708便)、南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

この便はぼくらにとって住民の方々の帰還前最後のお手伝いになった。7月12日、東京電力福島第一原発事故によって5年4ヵ月続いた避難指示がようやく解除されるからだ。

常磐道を深夜に北上。2時半、助手席に座った四倉PAから先は穏やかな雨が降っていた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0708便)

朝、原町火力発電所の北側の烏崎海岸に行ってみた。目当ての馬の練習の人はいなかったが、こんな天気でもサーファーたちが出ている。

南相馬・小高でボランティア(援人 0708便)

朝礼、センター長のお話。

「最近の傾向、ボランティアが減った。以前は年間1.5万。今年は4,000人ぐらいになるだろう。引っ越し作業の依頼が増えている。要望は聞くのだがその日には対応できないことが多い。今月、ボランティアは300人を割るだろう。ブログを書いても無駄。先週、内閣府と県から5人、視察に来た。今後について、いつまでやるかと。エンドレスだと考えている。
帰ってくるのは主にお年寄り。木の伐採ニーズは終息に向かうだろうが、竹はまた生えてくる。国としては5年は継続してやっていきたいと。高速無料化も要望してみたが、話はよくわかる、ただ他省庁のことだからと。県には2年前から言っているが、無理か。一人でもボランティアに来ていただきやすい環境を作りたいが」

5回もの継続となったKさん宅の竹林伐採の追い込み、今回は全員この現場の経験者だ。
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南相馬・小高:この竹林終わるのか 行動したように考えること(援人 0624便)

Posted on 2016年6月26日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、0624便、南相馬市小高区(避難指示区域)での2016年6月25日土曜日のお手伝いの記録。

避難指示解除まであと3週間。5年間ほぼ毎週末、東北に通うことができた。健康な体に産み育ててくれた親のお陰。そしてもう一つ、キャラバンのシートの揺りかご効果のお陰も。初期の風邪、筋肉痛、そして今晩の頭痛に至るまで、キャラバンで仮眠すれば南相馬に着く頃にはだいたい治ってしまうから。

朝、ミーティング前の小高で見た光景。

朝礼、センター長のお話。

「昨日も4人ぐらい。毎日1、2人。伐採などあと10件。200人ぐらい。竹の伐採、8件、のべ500人。草刈り、家の掃除など、明日5件。残っているニーズ、87件。今日は3件。新たな依頼が1日3、4件ある。昨日は7件あった。
住民の方は7月12日に皆さんお帰りになるが、7月12日以降も、また来年もやってくれるのか、という質問が多い。1、2年は間違いなく続けていきたい。
土日だけの活動としたかったが、無理だ。当分月曜と火曜日のみ休みでやっていく」

日差しは強くなかったが体を動かすととても蒸し暑く、作業中は汗が水のように流れ続けた。そんな中水分補給は大事だが、ほどほどにしないと逆にバテてしまう面もある(長時間の有酸素運動では水の摂りすぎで悪化するケースもあるそうだ)。

ニーズについての依頼主の表現は微妙なのだが。すっきりさせたいという意向を叶えようとするとやはり全伐採しかなさそうだ。
今日は高台にトンバッグを置いていい許可を取り付け、高台での作業に集中。場所も広く効率的にできた。チッパー、またも不調。今回は歯がなぜか逆回転のみ。が、Nさんが機転を利かせなんとか使った。

南相馬・小高でボランティア(援人 0624便)

Iさんがノコギリで手を怪我、病院へ。自分も似たような怪我は何度かしている。改めて注意したい。


今日、なぜ小高で醤油を買ったのか?

南相馬・小高でボランティア(援人 0624便)

  1. 今日は非常に蒸し暑く、竹林伐採のお手伝い中汗が滝のように流れた。で、水分と塩分を補給するため。
  2. 家で醤油が切れそう。日用品はなるべく南相馬で買うようにしているから。

正解はもちろん2番。

終わらない竹林伐採。ぼくらのチームだけでのべ40人ぐらい入っている。毎回作業手順は研ぎ澄ましているし、今日も必死で働いた。でも終わるのは避難指示解除ギリギリになってしまいそうだ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0624便)

正直、感情的に強く思い入れできる作業ではない。でも完遂しなければならない。

考えたように行動するか、行動したように考えるか。人を助けると決めたら、苦しくても後者を選ぶべきだ。

やっているとニーズの根底にあるものが染み込んでくる。善悪も好悪もなく。「自分が」気持ちいいかどうかじゃない。「自分と周りの世界にとっての」意味があるかどうか。やり終えれば、それが何らかのかたちで腹に落ちてくると思うんだ。

避難指示解除までのお手伝い、あと2回。


帰路、四倉PAで「サービス丼」(と、ラーメン)を食べてみた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0624便)

ご飯の上にキャベツが敷かれ、コロッケ、メンチカツ、目玉焼きが乗り、ドロッとしたデミグラスソースが回しがけしてある。これに味噌汁、お新香、おかず味噌がついて500円。サービスし過ぎです!

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南相馬・小高:重量級の竹と苦闘 桜はどこも満開に(援人 0408便)

Posted on 2016年4月10日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、2016年4月9日土曜日、南相馬市小高区での災害ボランティアの記録。

ニュースで、ある議員が虚偽報告したという「地球X周分のガソリン代」が話題になっていた。ふと調べてみたら地球一周は約40,000kmだ。東京~南相馬は往復で約560km。約70回行くと地球一周分になる。ぼくらの活動1年半ぐらいで地球一周分走ってることになるんだな、と思った。

南相馬は桜が満開だった。

早朝、道の駅南相馬に隣接する高見公園の桜。

南相馬・小高で災害ボランティア(援人号 0408便)

雲雀ヶ原祭場地では、馬と桜。

南相馬・小高で災害ボランティア(援人号 0408便)

夜ノ森公園では、お祭り用の提灯が連なっていた。

南相馬・小高で災害ボランティア(援人号 0408便)

そして昼は小高神社にも行き、美しい桜を眺めながら昼食を食べた。

南相馬・小高で災害ボランティア(援人号 0408便)

お手伝いは、継続の竹林伐採。
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南相馬・小高:竹林伐採の数珠つなぎ 小高神社では桜が開花(援人 0401便)

Posted on 2016年4月4日. Filed under: ボランティア, 福島 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、福島第一原発事故による避難指示区域、南相馬市小高での2016年4月2日土曜日のお手伝いの記。録。

世の中は新年度。南相馬の20km圏内も、先週と今週では違うことある。「駐在さん」が日中だけでなく夜間も常駐するようになったのだ。帰還の日に向け、準備宿泊中の方々にとっては心強いだろう。

朝、ボラセンに向かう前に小高神社へ。手前の枝垂れ桜はもう見ごろになっていた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0401便)

先週の竹林伐採の継続作業となった場合の作業の留意点として、グループ内でこんな認識合わせをする。午前中でしっかり終わらせるためだ。

  • 細い竹が多いので、まず3cmを越える太さの竹はノコで切って運び出してしまい、それから3cm未満の竹は刈払機で一斉にやると早いのでは?
  • ノコで先に切った竹は、あえてかかり木状態にしておき、最後に一気に倒した方が安全かもしれない(Iさん案)
  • 集積場所と運び出し動線を考慮して「根本」の方から運び出すよう統一しよう(0325便ではこの点で作業の無駄があった)

お手伝いは、予想通り小高のやや北側で竹林伐採の継続となった。

事前に作業イメージを共有できていたため、いきなり急ピッチに作業に入ることができた。継続現場のメリットだ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0401便)

刈払機での伐倒は、歯をじりじり押しつけるのではなく叩きつけるように使えば、5cm程度の竹まではいける。倒す作業・寸断する作業が狭いスペースで混在したが許容範囲だろう。ただ人の近くに倒すなどのヒヤリハットは、自分含め何度かあった。またかかり木になることを許容して作業を進めるのはいいが、しつこく周知しておかないと倒れるとき一気に巻き込む危険がある。

この現場は昼前に余裕を持って終わらせることができた。
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南相馬・小高:小雨の中で竹林伐採 景色を一変させたい(援人 0318便)

Posted on 2016年3月22日. Filed under: ボランティア, 東日本大震災 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、東京電力福島第一原発事故による避難指示区域で、2016年3月19日土曜日のお手伝いのメモ。

今週、シリア難民をめぐってトルコとドイツなど欧州の国々が、欧州の難民を押し返す代わりにトルコに居住している難民を欧州が受け入れる交渉が進んでいるというニュースを、憂鬱な思いで「見た」。

またネットでは、イランに逃れたシリア難民が医療費などが高すぎるため、命の危険があるシリアに再び戻るというレポートを「読んだ」。

遠く離れた難民のことは、見たり聞いたりしかできない(支援団体に定額寄付はしているが)。

今世紀最大の人道危機といわれるシリア難民問題は、2011年1月にチュニジアからはじまった民主化運動、「アラブの春」に端を発している。

2011年、ぼくは特にエジプトとリビアで起こっていたことを注視し、理想のため命を賭して行動する若者たちに強く印象づけられた。

そして3月、日本で東日本大震災が起こった。最初は自分の専門領域での支援を試みた。

しかし、そういう「大人として洗練された」「穏当な」「ノブリス・オブリージュとしての貢献」の枠を抜け出て、体力的にもハードで泥や埃にまみれる活動に傾倒していったのは、アラブの春のアクティビストたちに強く心を揺さぶられ、自分は何ができるか? という問いを自らに突きつけた結果だ。

なぜこういう話をしているのかというと、先週南相馬でお手伝いした夜、「なぜ震災のボランティアをはじめたのか」について仲間と話し合う機会があり、久々に思い出したからだ。

シリア難民の元に駆けつけて何かしてあげることはできない。
だけど日本の被災地に行って何かしてあげることは「できる」。

改めて振り返ってみるとシンプルで、そういうことだった。

被災地でのお手伝い、6年目。


小雨降る中、朝は相馬太田神社へ行ってみた。相馬野馬追の地元らしく、馬にまつわるものが多く奉納されていた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0318便)


この日のお手伝いは、個人宅の敷地内、後背の裏山の竹林伐採と後処理作業。範囲を考えれば10人一日では無理な量だった。よくやったと思う(センター長にも進捗を誉められた)。また怪我の注意喚起も都度行い、大きな事故なく終わることができた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0318便)

作業中にした注意を棚卸ししておく(覚えておくため)。

竹を置くときは極力向きを揃える。
竹を積みすぎない。同じ向きでも絡み合ってしまう。
竹を切って運び出すときは太い方を持って出す。逆だと枝がささくれ状に引っかかる。
作業場所は定期的にきれいに。枝打ちした笹などが積もり足元が不安定になると、転倒しやすい。
また作業場所は混みすぎないようにする。必要なら複数箇所に分ける。
トンバッグは大量に入れるもののギリギリ傍まで近づいて詰め込む(運んでくる、置く、入れるという流れは無駄)。
トンバッグに限らず、何らかの処理作業と集積場所はできるだけ近くする(改めて運ぶのは無駄)。
トンバックの中央に入れない。四隅へ四隅へと詰めていく。

南相馬・小高でボランティア(援人 0318便)

またあの続きをやることになるだろう。今日も一部スッキリしたが、次は全面的に景色を変えたい。


帰りは常磐道上り、四倉PAのよつくら亭でイカスタミナ定食を食べた。使い切ったエネルギーがだいぶ補充される感じだ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0318便)

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南相馬・小高:2日間でトンバッグ53個の家財出し 過去が切り捨てられることがないように(援人 0311便)

Posted on 2016年3月15日. Filed under: ボランティア, 福島, 東日本大震災 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0311便(一泊便)、2016年3月12日土曜日・13日日曜日、南相馬市小高区でお手伝い。

3月11日、岩手日報、河北新報、福島民報の合同紙面、「3月11日にだけ振り返るのではなく、毎日ちょっとだけでも想ってほしい。」というメッセージ。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア

Sさん宅で二日間、大きな家屋と二階建て納屋からの家財出しのお手伝い。分別してトンバッグに詰めたもの、多数。加えて大型家具、家電、農機具類なども搬出した。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア

運び出していると、例によって貴重品や思い出の品がいくつも出てくる。お父さんは全部捨てる方針、その後ろでお母さんは言葉が少ない。お金なんかもよく出てくるんですよ、と話すとお父さんは「そんなものはないよ」と笑った。しかし案の定出てきた。

一階はそれなりに片付いていた。順調に進んだので次に二階に上がってみると、三つある子供部屋はほぼ避難時のままという有り様。獣害(糞や死骸など)の痕跡も沢山あった。

そこから出てくるアルバムや賞状なども取り分けておいたが、二日目、お父さんの改めての指示で全部廃棄になった。

明るくテキパキ指示するお父さんの影響もあり実務的に進んだ。が、子供がスポーツで獲得したメダル類をトンバッグに運んでいくときに一度だけ、「俺は何をやっているんだろう? どうしてこういうものを全部捨てなきゃならないんだろう?」という疑問が胸に湧いてきた。

センター長の見立てはトンバッグ10個ぐらいだろう、というものだったが、道路を挟んで畑の脇に並んだ数は53個も。2日間の奮闘を物語っていた。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア

2日目午後は早く終わったので、別のニーズにも対応。解体予定の個人宅の庭に猛烈な勢いで生えてしまった竹林の伐採だ。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア

原発事故から5年。

再起を決意した人たちが、一人でも多くうまく軌道に乗れるように願う。
一方で、今も過去と訣別することができないあのお母さんのような人が切り捨てられることがないように、と思う。

公的な助けは、全ての人には行き渡らない。だからよりミクロな「目配り」と「差しのべる手」が必要だ。これからも、ニーズがある限りは駆けつけたい。


宿泊便だったので、土曜夜は宿泊したホテルで飲み会。皆がボラをはじめたきっかけなどを話し合った。それぞれに深さがあり、聞けてよかった。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア


一時の熱情ってのは続かない。平熱でもできることをやった方がいいと思う。ぼくは金曜夜に東北へ行くことを、続けたいと思う。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア

帰宅すると寄ってきた猫たち(おちゃか、ちっこ、こまる)とぬくぬく。一番幸せな時間だ。

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南相馬・小高:津波被災地の白鳥 除染現場と隣り合わせのお手伝い(援人 0115便)

Posted on 2016年1月18日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、0115便、2016年1月16日土曜日、南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

早朝。南相馬市内は、前日降ったという雪が、日陰など溶けにくいところを中心にところどころで残っていた。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア(援人 0115便)

これ、東北エリア限定かな? 道の駅南相馬近くのセブンで発見。ちゃんと宮城の工場で作ってる。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア(援人 0115便)

コンビニでの朝食後、小高の海側、村上海岸よりやや南あたりで白鳥ハントについに成功。よかった。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア(援人 0115便)

しかし同時に、小高沿岸の瓦礫ものぞく溜め池に浮かぶ優雅な姿は、もの寂しい感じがした。

この日の天気は曇り、雪、のち晴れ。最後は小高らしい晴れ(ぼくらが勝手に名づけた「小高晴れ」)となった。

一軒目、高台のお宅で庭木伐採、単管パイプで作った果樹棚の解体・搬出など。切る切らないが不明瞭なものがあり依頼主に電話、しかし不在。次いでセンター長に来てもらうが依頼票記載以上の情報なし。曖昧なままの“完了”となった。依頼がクリアであれば、1時間半でしっかり完了できたはずだが…。

南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)で災害ボランティア(援人 0115便)

このお手伝い宅周辺は除染真っ最中で、ぼくらと同じような作業を2~3倍以上の人数でやっていた。

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