3.11震災から200日。「被災地にもう人手は不要では」と思う人にこそ読んでほしい、陸前高田市竹駒町でお手伝いしてきた話

Posted on 2011年10月4日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , |

震災から200日あまり。先週レーベン隊がお手伝いした陸前高田市竹駒町の河原は、ボランティアが初めて入った場所だ。大量の生活用具、そして忘れ難いものが見つかった。「まだボランティアに?」「半年たてば不要でしょ」という人にこそ読んでほしい。

陸前高田ボランティアセンターで活動する@HELPtakataさんは、現地がまだまだ手助けを必要とする背景についてこうTweetしている。

2011年9月30日(金)、19回めの東北へのお手伝いに向かうボランティアバスレーベン号。
23時30分ごろの日比谷公園前は、出発を待つ人たちに何人かの見送り組も混ざり、賑やかだ。

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

朝、バスが一関ICを降りたところで自己紹介タイムが始まる。

この日の2号車は「被災地に行くこと自体初めて」の人が1/4、「被災地入りした経験はあるがレーベン号は初めて」の人が同じく1/4ほどいた。

今回も自己紹介はさまざまだった。
3月11日は海外にいたため震災体験を自分のものとすることができず、被災地へ行くことを宿題としてきた人
仕事で関わる書店の震災関連コーナーが縮小されたのを見て、バスへの参加を思い立った人。
息子さんと参加しようと思ったが説得できず、1人で参加されたお父さん。
土曜日は授業があるけど、教授と交渉して参加を許された大学生。
まだ行ってるんですか」「半年もたってるんだから、もう終わってるでしょ」という周りの声を背に、今回もまたバスに乗った人。

震災から半年たった今でも、初めて被災地に行くという人が常にいる。この意味を感想タイム後に考えた。
人が何かを感じ取るタイミング、行動するスピード、そして置かれた環境は多様だ。誰もがすぐ行動に移せるわけではなく、誰もがずっと続けられるわけでもない。多様な人たちが、バラバラにバスに乗るそれを束ねることでレーベン号は東北被災地を手伝う力を得ている。他のグループも、また後方支援プロジェクトも同じだろう。
多様さは「厚み」であり、それが大きな力の源なのだ、と改めて気づく。根気強く仲間を増やしていこう。

陸前高田。今日も「奇跡の一本松」が迎えてくれた。が、訪れるたびに樹勢は衰えているように思う

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

晴天の下、茶色い表土と雑草で覆われた広大な土地に瓦礫の大きな山が並ぶ中を、バスが行く。ふと気づいたが、初夏から夏には青々と輝いていた草の多くが、もう黄色や褐色に変わってきている。季節は変わった。
真夏、津波後にできた荒れ野を覆う雑草のたくましさに驚いたが、それが枯れていけば、この風景はさらに寂寞としたものになるだろう

ボランティアセンター到着。先週おいしい米崎リンゴを沢山いただいた@HELPtakataさんにご挨拶。
またここで、奥州市に住み、震災後は釜石市などで精力的に支援活動を続ける徳田(@adol_c)さんが特別にレーベン号に合流した。

ボランティアセンター, 陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

ボラセン前に、いつもとは雰囲気が違う人だかりができていた。その中心にいたのは瀬戸内寂聴さん。カメラを従え、ボランティアたちと話をしている。

ぼくはあちこち駆け回っていたので後で知ったけど、レーベン隊メンバーSさんもインタビューされ、また寂聴さんはレーベン1号にメッセージを書いてくれたという( @mizmaki03さんのTweetその1その2)。

以下、岩手日報の記事から。

寂聴さん、感謝の心を説く 二戸市・天台寺で例大祭
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111003_9


寂聴さんは、1日に訪れた陸前高田市で出会った若者ボランティアについて触れ、「若者たちは不平不満を一切言わず、見返りを求めず、誰かにお礼を言われることもなく後片付けをしていた。その姿を見たとき、日本は大丈夫と確信した」と語った。

生きていくことについて「有り得ないことがあることを『有り難い』という。健康であること、お金があることを当たり前と思わず、感謝や思いやりの気持ちを忘れずに過ごしてください」と呼び掛けた。

今日のお手伝い場所は竹駒町と決まった。陸前高田の西側を広田湾へと流れ込む気仙川沿いの場所で、瓦礫片付けだという。

ボランティアセンター, 陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

バスは気仙川沿いに到着。東岸の細い道路沿いに大船渡線の土手があり、線路は錆びついていた。
広大な川沿いの土地は、中心部と同じく粗く整地され沢山の大型車両の轍が付いている。津波が舐めた場所だとわかる。

土地の所有者である依頼主にお話を伺った。家を失い、現在は仮設暮らし。
ここは元々牧草地だった。北海道や県内で牧畜を営む人たちに牧草を卸していた(事務所や、個人宅も数軒あったようだ)。現在は津波で冠水した後に重機が入り、大きな瓦礫などを撤去した状態。が、まだ細かな瓦礫などが沢山残っており、このままでは再利用ができない。業者に見積もりを依頼したところ、かなり高額を提示されたため、こんなことでも頼めるだろうか、と思いながらもボランティアセンターにお願いしてみた…とのこと。

もう震災から200日以上がたつのに、ボランティアのお手伝いが入るのは初めての場所だった

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

今日のレーベン隊は約60人。これだけの人数でも到底1日で終わる広さではない。範囲を区切って作業にかかった。

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

この日の陸前高田の最高気温は17~18度。快晴なので体感的にはもう少し暖かかったと思うが、日が陰ったり風が吹いたりすると寒い。川岸の外れでは、群生するススキが風にたなびいていた。秋だ。

秋, 陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

実に沢山の生活用品が土の中から出てきた。
その種類も量も、これまでの何回もの瓦礫片付けの中で群を抜いていた。集めていくごとに、生活を具体的に“記述”できそうなほどなのだ。
写真でぼくが持っているのは、モデルカラー(プラモデルの塗料)、Appleのマウス、パッケージに入ったままのルアー(釣りの仕掛け)。

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

ぼくの傍で作業をしていた女性が、拾い上げた生活用具をはたいて丹念に土を取っているのが目に留まった。パンパンパン、という音が繰り返し聞こえる。捨てるために集めるものに対して、それは不要なことだけど、そうしたい気持ちには共感できる。

写真、身分証明書などの各種カード、お金なども大量に出てきた。最終的に土のう袋丸々一袋分の量が集まった。

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

地面には、大きな瓦から小さなガラス片まで多種多様なものが散らばり、ほんの少し掘るだけでさらに続々と出てくる。
そんななか無心に作業をしていると、自分が爪の先ほどのガラスや建材の破片ばかりを一生懸命集めていることに気づいた。それらはもう、土くれとあまり見分けがつかない。「やがて自然に還るだろうに、取り去るべきなのか」「どこまでやれば終わりなんだろう」…そんな思いが湧いてきたりした。

一段低い川岸の片付けにまわったチームもいた。震災直後、川岸には、遺体を含めて沢山のものが流れ着いたという。後で聞いた話では、大きな瓦礫を掘り出すと、周りからやはり沢山の個人所有物が出てきたらしい。

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

この日、レーベン隊が4月に東北でのお手伝いを始めてから、初めてのできごとがあった。

遺骨と思われるものが出たのだ。

午前の作業中、女性参加者からぼくが報告を受け、伊東さんに知らせる。伊東さんが確認後、ボラセンに電話。岩手県警と千葉県警のパトカーが四台もやってきた。そして午後、遺骨は別の場所でもう一つ出た。

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

陸前高田市の震災の行方不明者数は、現在でも「264人」(同市のウェブサイトから)。この数は、すでに遺族が確認を断念し死亡届を出した人たちは除かれている。それでも、人口約2万4千人だった都市でまだ1%の人たちの安否が確認されていないことになる。

この川岸を、ボランティアの人手だけで元に戻すことはできないと思う。瓦礫を完全に取り除くには、恐らく30cmから1mは土を完全に入れ替える必要があるだろう。
が、震災から200日以上経ったこの日に、60人の丁寧な人の手は、2つのご遺骨らしきものを探し出した2人の人が、遺族の元へ帰り埋葬される機会を得たかもしれない
これは、ぼくにとって得がたい喜びだ。

15時、お手伝いが終わった。川沿いの平地に大きな山が築かれていた。

陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

バスは陸前高田ボランティアセンターに作業報告、道具の返却などをした後、気仙沼へ。

鹿折歩道橋。震災時、津波の後に大火災があったあたりだ。
レーベン号は、ほぼ毎週ここを通り、地震で崩れ火災で焼け焦げた瓦礫が片付いていく様子を見てきた。すっかり更地になったところもあるが、解体されないままの倒壊家屋や漁業関連施設もまだ多い。歩みが遅いように見えるのが気がかりだ

鹿折歩道橋, 陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

風呂上がりに気仙沼プラザホテルから港を眺めていると、先週まで見なかった小さな船が大島方面へ行く。旅客船「海来(みらい)」だろう( 参考:河北新報 気仙沼港―大島定期航路 旅客船「海来」半年ぶりに復帰 )。

気仙沼港, 陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

お魚いちばでさんまを買って出てくると、気仙沼港にきれいな夕焼け空が広がっていた。

気仙沼の夕焼け, 陸前高田市竹駒町でボランティア(レーベン隊) Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref. Deeply Affected Area by the Tsunami of Japan Earthquake

毎週の東北行きが続くのは、差し出すよりもらうものが多いから。この日も静かにそう実感した。
またお手伝いに行きます!

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お早ようございます.そして有難度うございました.こんなに詳しい情境を見せて頃き.時にはうれしく.そして感動で淚が出ます…

いつもありがとうございます。ブログで報告する励みになります。
これからも、手助けを必要とする人がいる限り、できるだけ行きたいと思ってます。(^ ^)

こんにちは。レーベン号に参加している自称「筆不精」の友人から、こちらのブログを紹介されてきました。自分はボランティアに参加しませんが、こちらの記事を読んで非常に心を動かされました。終わりの見えない作業ですが、ここでお二人の遺骨を発見された事は、本当にそれだけでもとても意味のある事だと思います。
こういった現地の状況はもっと知られた方がいいと思うので、自分もこちらのサイトを参照させて頂きたいと思います。お身体を壊されぬよう、無理をされぬよう、これからも頑張って下さい。

ありがとうございます。
東北にお手伝いに行きはじめてから、その体験を書くことを通じてできるだけ多くの人に関心を持ってもらうこと、を自分に課しています。
ですので、「心を動かされた」と言っていただけるのが一番うれしいです。

幸い体は丈夫ですので、ずっと行き続け、伝え続けたいと思います。

はじめまして。
私の故郷、陸前高田市へのボランティア活動、本当に本当に有難うございます。なんとお礼を申し上げれば良いのか。
写真を見ていてビックリ致しました。写真の町内会費集金袋の地域は、以前実家があった所です。随分前に高台へ引越し、実家は大丈夫でしたが、昔のご近所さんが多数お亡くなりになりました。家財道具など、その辺りに流れた着いたのかもしれませんね…

いつもありがとうございます。
陸前高田出身の者でございます。
私自身、東京にいるので、帰る度、ボランティア活動されているみなさんには頭の下がる思いでございます。

私の家族は皆無事で、父の実家(下矢作地区)をキレイに掃除し、
両親はそこに身を寄せております。。

私の両親も、感謝しておりました。
本当にありがとうございます!!


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