小高区飯崎でのお手伝い 「震災直後のまま」という表現すら生易しいと思えるお宅で(援人 0412便)

Posted on 2013年4月15日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , |

ボランティアチーム援人0412便、2013年4月13日(土)の南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

今回は車2台に16人のメンバー。震災以後東北に何度も足を運んでいるメンバーはもちろん、震災後の東北行きは初めて、つまり初ボランティアの人まで、さまざまな参加者が揃った。

ぼくたちリピーターは、被災地にお手伝いに行き続けることの価値を信じている。そして、今でも外に向けて「一緒にお手伝いに行きませんか」と声をあげると、それに応えて新たに流れに加わってくれるメンバーがいることにはとても励まされる。

二本松インターチェンジをおりると、プチ桜並木が目の前に見えた。関東に遅れること二週間、福島でも桜が続々と開花中だ。

南相馬小高区で災害ボランティア(援人 2013年4月13日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

今回のお手伝い先は、小高区飯崎。ボラセンから1.5kmから2kmほど南西に行った地域だ。

南相馬小高区で災害ボランティア(援人 2013年4月13日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

ご依頼主は、シニアの小柄な女性Aさん。現在は原町区のアパートに住み、小高区のお宅まで月1回片付けに通っていて、ボランティアに頼むのは初めてだと仰っていた。

広い敷地内に家が二つ、離れのような建物が二つ、蔵(震災でダメージを受け、取り壊す予定)、納屋が二つ、そしてガレージがあるお宅だった。

依頼票の内容は、納屋一つ分の収納物の分別、畑のビニールハウス解体、そして草刈りだ。しかし敷地内を歩くと、他にも物が置かれた場所はいくつかあり、片づけた方がよさそうなものも散在していた。そして依頼主のAさんは、ぼくらの作業中、家の中を一人でコツコツと整理している。

せっかく人手がいるんですから言ってください、と何度か申し出ると、少しずつご希望を伝えていただけるようになった。Aさんは、沢山の仕事をボランティアに頼むのは悪いと遠慮され、口に出さなかったのだ。

結局、二つの納屋、ガレージ内とその周りのものの仕分け、庭や家屋周りで枯れていた植木の伐採、百以上はある植木鉢の片付け、積もった枯草の掃き掃除、側溝の掃除、カラスにつつかれて散乱したゴミの片付け、そしてAさんをサポートしつつ家屋内の不要物出しなど、2年のあいだ残された、または溜まってしまったものを大がかりにきれいにするお手伝いとなった。

畑で草刈りやハウスの解体に取り組むメンバーも含め、16人チームの強みを活かすことができたと思う。

南相馬小高区で災害ボランティア(援人 2013年4月13日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

Aさんもそのお母さんも、園芸が好きらしかった。盆栽や植木などの鉢が、玄関口に、コンクリートの叩きに、ひな壇に、そして日当たりのよい塀の周りに100以上はあった。それらは地震で倒れ、割れているものも多い。植物は鉢のなかでほぼ全部が枯れ、干からびていた。生きようと養分を求めたのだろう、鉢の底から地面に根を伸ばしたかたちで枯死した植物もあった。プラスチックの鉢は、日に晒され劣化し、掴むだけでパリパリと割れ粉々になってしまうものもあった。

台所にある冷蔵庫も、運び出すもののひとつだった。福島第一原発事故で強制避難となった2011年3月のままの、あれから25ヵ月めの冷蔵庫。小高のボラで冷蔵庫を運び出したという話は聞いたことがあるが、自分の目で見るのははじめてだ。中を覗くと、食品は小さく萎み黒ずんだ物体になっていた。床には黒いシミが波紋のように何重にもついている。慎重に運び出す。

台所のものを整理しているとき、小さなネズミが現れた。メンバーのYさんが思わず「可愛いですね」と言うと、Aさんは「可愛くない、ちっとも」と少し語気を強めて言った。Aさん宅も小高の多くのお宅と同様、大量のネズミ発生で家を痛めつけられていた。

奥の部屋で、ご自分の洋服を残すもの、捨てるものに分けながら──大半は捨てる側に回されていたのだが──Aさんがポツリとつぶやいた、「2年もたつと、もう着る気がしなくて…」という言葉。(この言葉は、帰京する車の中で何度か反芻した。こんな理不尽なことでもなければ、女性がまだ着られる服をこんなに大量に服を捨てることがあるだろうか。)

ものを捨てるお手伝いは気が重い。捨てるために選り分けをする人を見るのは胸が詰まる。何度経験しても、なかなか慣れることがない。

南相馬小高区で災害ボランティア(援人 2013年4月13日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

今年の3月11日、小高や浪江町には多くのマスコミが入り、そして「震災直後のまま時が止まったようです」などと報道した。
しかし実際は違うのだ。「震災直後」なら冷蔵庫の食べ物は溶けていないし、植木は一斉に枯れないし、傷んだ屋根から入った雨水や繁殖したネズミが家を傷めたりすることもないだろう。全て2年という時間がより悪くしてしまったことだ。そして津波の被害はまったくなく、地震の被害も軽微だった場所でもそれは起こっているのだ。

月に何度か足を運んでいる小高でのお手伝いは、切り上げどきが見えない。その日自分が目にしたもの、お手伝いの理由を思い起こせば、「そろそろもういいか…」などとは少しも思えない。だから、お手伝いをやめるわけにいかない。
震災や原発事故について、南相馬や小高といった顏の見えない集合を語るのでなく、現に放り出され苦しんでいる、生きている人を助けたい、と思う。

南相馬小高区で災害ボランティア(援人 2013年4月13日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

道の駅南相馬に隣接する高見公園は、桜が満開だった。

南相馬小高区で災害ボランティア(援人 2013年4月13日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

去年もこの高見公園で桜を見たことを思い出す(2012年4月の記事「南相馬で瓦礫片付けのお手伝いをし、満開の桜を見る」)。今年は去年に比べて散策する人が増え、楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿も見られ、なんともいえないうれしい気持ちになった。

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