南相馬・小高:ビニールハウス解体二棟 依頼主からいただいた柿(援人 1120便)

Posted on 2015年11月27日. Filed under: volunteer | タグ: , , |

ボランティアチーム援人。1120便、2015年11月21日土曜日の福島県南相馬市の避難指示区域でのお手伝いの記録。

四倉PA、ドライバーはNさんからYさんに交代、そしてトイレ休憩。いつも買っている缶コーヒーが「あったか~い」に変わっていた。いよいよ冬か。

南相馬市小高区(避難指示区域)で災害ボランティア(援人 1120便)

夜明け頃まで垂れこめていた雲は徐々に掻き消え、晴れ。今日はボランティアの数が多い。千葉、福井、愛知などの団体名が見える。

南相馬市小高区(避難指示区域)で災害ボランティア(援人 1120便)

午前、5mほどの小さなハウス2棟解体。

南相馬市小高区(避難指示区域)で災害ボランティア(援人 1120便)

依頼主に来ていただき、ハウス内の物の扱いなどを細かく聞くことができた。廃棄するものはトンバッグに詰めたいという追加要望が出るなど、依頼票を超える細かい対応ができてよかった。

お父さんはずっと柿の木3本の剪定をしていた。女性メンバー3人が柿を食べながら談笑する場面もあり、依頼主の心も温まっただろう。最近の小高のお手伝いではこういうふれあいが増えてきた。他の被災地なら当たり前なのだが…。

昼食は小高駅前の広場で。ホームの改修は少しずつ進み、今回は「黄色い線より内側をお歩きください」の外側部分が新調されていた。

南相馬市小高区(避難指示区域)で災害ボランティア(援人 1120便)
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「避難先で亡くなったことを不幸とは言い切れない。彼は震災を乗り越えたのではないか」(福島第一聖書バプテスト教会 佐藤彰さん)

Posted on 2015年4月2日. Filed under: Great East Japan Earthquake | タグ: |

「彼は震災を乗り越えたのではないかと。心の底までは悲しみに沈んでいなかった」

福島・大熊町の福島第一聖書バプテスト教会(現在は帰還困難区域)の牧師、佐藤彰さんの言葉、河北新報3/31から。

現在はいわきに教会が新設され、再出発したという。彼が書いた「流浪の教会」という本を以前読んだ記憶がある。確か信者の人々と共に、一時は東京・奥多摩にも避難していたはずだ。

「彼は震災を乗り越えたのではないかと。心の底までは悲しみに沈んでいなかった」 福島・大熊町の福島第一聖書バプテスト教会(現在は帰還困難区域)の牧師、佐藤彰さんの言葉、河北新報3/31。


13年4月、ほぼ完成した翼の教会で初の納骨式があった。96歳で亡くなった大熊町出身の男性のお別れ会だ。
元海軍将校。原発事故で福島県富岡町の入院先の病院から避難を強いられ、栃木県の老人ホームで暮らした。大熊の自宅には戻れなかった。
「でも避難先で亡くなったことを不幸とは言い切れない」。佐藤さんは説く。
旅立った時、男性の顔は笑っていたと聞いた。
「彼は震災を乗り越えたのではないかと。心の底までは悲しみに沈んでいなかった」

参考:

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南相馬:仮設住宅を訪問 帰還を迷うことに不思議はない(援人 0327便)

Posted on 2015年3月27日. Filed under: volunteer | タグ: , , , , |

ボランティアチーム援人0327便、2015年3月28日土曜日、福島県南相馬市でのお手伝いのメモ。

深夜、10人のメンバーを乗せたワゴンは常磐自動車道を南相馬へ。
新設されたならはPA以北、帰還困難区域などでは左右の景色がほぼ真っ暗に沈み、道路だけが浮かび上がっているような錯覚に陥る。そんな中、町の灯が見えるとなんともあたたかい気持ちになる。明かりって大切だな、と感じる。

明かりって大切だよな、と思う。ならはPA以北、ほぼ漆黒の帰還困難区域なども通る常磐道。町の灯が見えると、なんともあたたかい気持ちになる。

南相馬市鹿島区北海老に車を走らせ、夜明けを迎えた。周囲は均され荒涼とした地面、一部嵩上げされた地面、防波堤が完成したところ、これからのところ…などが混じっている。
文句なく晴れそうな日の出だ。

南相馬市鹿島区、夜明け。

朝食のため立ち寄った原町のミニストップで、メンバーHさんが再会を約束していたお母さん(先日ハウス解体のお手伝いをした依頼者)とお会いした。手芸の話が盛り上がり、情報や材料(?)を交換するためだったらしい。
お手伝いのときはやや地味で元気がなさそうな印象だったが、今朝はピンクのダウンベストにスカーフなど早春らしいお洒落をしている。それを見てちょっとうれしくなった。

小高区役所の前に、相馬野馬追・野馬懸の大きな告知看板が出ていた。常磐道も全面開通したことだし今年はさらに人出がすごくなるんだろう。

うぉ、野馬追・野馬懸の告知が出てる。小高区役所前。常磐道全面開通で、今年は人出がすごいんだろうなぁ。

南相馬市ボランティア活動センターは、拠点として借りていた社協会館を3月末で返却する。そのため、この週末は引っ越し作業の終盤段階だった。
この日すでに会館前のテントは撤去されており、気持ちいい晴天の下での“青空朝礼”が行われた。

南相馬・小高でボランティア(援人)
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南相馬:常磐道開通で“つながる”感覚 依頼主の境遇に浮かぶ謝罪と怒り(援人 0306便)

Posted on 2015年3月24日. Filed under: volunteer | タグ: , , , |

ボランティアチーム援人、南相馬市小高区でのお手伝い、2015年3月7日土曜日(0306便)のメモ。

2015年3月1日、常磐自動車道が全面開通した。
この便では、初めて高速道路だけで目的地・南相馬へ行くことができた。

これまでのボランティアの依頼者の中には、県内外の避難先、遠くから車で通うのが大変で、とこぼす方もいた。避難先の自治体と避難区域の自宅を何度も行き来せざるを得ないような人にとって、常磐道開通の恩恵は大きい。一方で、国道6号に比べると放射線量は低いとはいえ、最大5μSv/hもある地点を通る道路の一般開放には批判の声もある。それも理解できる。

往路、ならはパーキングエリアに初めて立ち寄った。小さな施設だが、有名サッカー選手の足型・手型のレリーフや相双地域の祭りを紹介する絵画などがある。地域再興の願いがこめられているんだろう。

南相馬・小高でボランティア(援人)

南相馬インターチェンジを下りる。原町の中心部へは3kmほどと、とてもスムーズな移動だ。

常磐道 南相馬インターチェンジ 南相馬・小高でボランティア(援人)

「南相馬へ行く」ということについて、身体的感覚が更新されたような気がした。

東北道を二本松ICで下りて川俣町、飯舘村を通るときは、アップダウンや曲がりくねった道で、いかにも難儀して乗り越えるという印象がある。
常磐道の開通前、富岡ICで下りて国道6号で南相馬に向かうのは、必ずしも状態がよくない一般道で、左右の町への入口はバリケードで塞がれており、あまり心地よいとはいえない。

常磐道が全線開通となった今、東京から南相馬へはスッと一本道がつながった感覚がある。


今日のお手伝い先は小高区中心部のすぐ北、小高い丘にある神社奥のお宅。依頼は(先週と同じく)ビニールハウスの解体だった。

お宅に着くと、80歳ぐらいの小さなお婆さんが杖をついて現れた。依頼主の名前は男性だったが長野に避難中であり、お母さんだとわかった。鹿島区の仮設住宅から自力で軽トラでやってきたという。

家屋二棟、トイレは外という構成の敷地の横に豚舎(だと思う)、帆布やブルーシートで覆われた大きなパイプハウス(ここで牛を飼っていた、と後で伺った)があり、その奥に田んぼ何反分もの農地が広がる。手前に長辺10mくらいのビニールハウス二棟、だいぶ奥に20mぐらいのハウスがもう一つあり、この三棟が解体の対象だった。

早速作業に入る。
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南相馬:虹そして強風 やがて吹雪 厳しい竹林伐採は終わらず(ボランティアチーム援人 0116便)

Posted on 2015年1月21日. Filed under: volunteer | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、2015年2回めの活動、0116便(活動日:2015年1月17日土曜日)の記録。

木曜日、福島は浜通りでも雪や雹が降ったようだった。土曜日の天気予報をチェックすると晴れで正午の気温9℃と、ここ最近ではやや暖かく、お手伝い日和だと思った。が、この予想は裏切られることになった。

金曜夜23時45分ごろ、10人揃って八重洲を出発。いつものメンバー、数ヵ月ぶり参加の人、援人初参加だが南相馬は行った経験ありの人、福島行きが初めての人──と、今回はバラエティーに富む構成だ。

いつもの東北道、二本松、飯舘村ルートは雪が残り凍結の恐れがあるため、常磐道から国道6号のルートを行く。未明、小高を通過したときの気温は「2度」の表示。やはりちょっと暖かい。

深夜から早朝にかけて降った雨のせいか、原ノ町駅近くの跨線橋を行くとき、虹が見えた。

南相馬・小高で復興ボランティア

お手伝い先はボラセンから北西1.5kmほど、車で5分ちょっとのお宅。他チームからの引き継ぎ案件で、竹林伐採と生垣の剪定の依頼だった。
センター長が黒板に描いた略図では小さく見えたが、竹林は敷地内の二つの家屋に跨がる長さがあり、長辺は15m、短辺は8mほど。そこに奥行き1.5mほどの竹林が立ち並ぶ。密集度はまちまちだが、直径20cmぐらいの竹もちらほらあった。

1日で終わる量ではないので、依頼主に電話して竹林伐採優先を確認する。近隣では除染が始まっており、竹を伐って揃えておくと除染で出た土と共に持って行ってもらえる話になってるため、急いでいるらしい。

竹の伐採、運搬、丈詰めと枝打ちにほぼ均等に人を配置して作業をスタート。

南相馬・小高で復興ボランティア

午前が終わった時点で伐採が到底終わりそうにないとわかる。また継続案件になるにしても、平日は少人数しか入れないことを考え、伐採をできるだけ完了させようと人数をシフトした。
この頃、強風が吹きはじめた。
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南相馬:小高神社に初詣 そして過酷な竹林伐採で1年がスタート(援人号 0109便)

Posted on 2015年1月14日. Filed under: Activism, volunteer | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、南相馬・小高行き援人号0109便のお手伝いの記録。

2012年に有志で立ち上げた援人の活動の4年めがスタートした。
2014年1月9日金曜日の夜に東京・八重洲を出発するこの便から、1年の長いマラソンがまたはじまる。

福島・南相馬(避難指示区域)でボランティア

朝、ボランティアセンターに向かう前、ほんの少しの時間相馬小高神社に立ち寄って初詣をした。小高のために汗を流す者の一人として、メンバーと共にやはり年初はここへ詣でておきたかった。

やがてここでまた人が穏やかに暮らせますように、と祈った。

福島・南相馬(避難指示区域)でボランティア

その祈りが何かにつながったのか、お手伝いは去年12月20日に惜しくも終了させられず継続案件となっていたお宅へ、再び向かうことに。

去年の1219便では、このSさんのお宅周りの斜面の竹林伐採をやり、およそ3/5ほどの進捗で終わっていた。今回、当初伐りっぱなしでいいと指示された竹を庭に引き上げて丈詰め・枝打ちもしてほしいというニーズが、依頼主から新たに告げられた。

福島・南相馬(避難指示区域)でボランティア

この追加ニーズの作業量がすごかった。伐った丈は恐らく100本近くあり、どれも直径10cm以上の立派なもの。ただでさえ重いのにツルが絡まり、かかり木になったものも多く、庭への引き上げは相当な重労働だ。
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南相馬・小高:再び出荷再開を願う農場でのお手伝い(ボランティアチーム援人 1107便)

Posted on 2014年11月10日. Filed under: Roundup | タグ: , , , |

ボランティアチーム援人、1107便、2014年11月8日土曜日の南相馬・小高でのお手伝いの記録。

早朝、鹿島区の真野川河口に鮭の遡上を見に行った。

南相馬・小高でボランティア(援人号 1107便)

この日のお手伝い先は、ホームセンターなどに苗を卸している大規模農家さんだった。ハウスが建ち並ぶ規模は、去年ぼくらを含め多数のボラがハウス解体のお手伝いに行ったあるファームよりさらに大きかった。ボラセンからはすでに5、6回行っている大きな継続案件だ。

依頼者(この農園の経営者)は震災後、いくつかの避難先へ経て関東のある県へ。震災前の納入先から早く出荷をと促されたこともあり、そこにハウス(賃貸)を見つけ、農業を再開した。が、小高ではピーク時に30人ぐらい雇っていたという人手集めがとても難しかった。
そこで今年8月に南相馬に戻り、夫婦二人で原町の仮設に。ハウス群と同じ敷地内にあるご自宅は電気水道は戻ったがボイラーが壊れ風呂に入れないため、特例宿泊などがあってもまだ自宅に泊まれないという。
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