福島県浪江町:庭木の伐採・細断・トンバッグ詰め 二軒の対照的なお宅で(援人 2017年 0929便)

Posted on 2017年10月4日. Filed under: ボランティア, 東日本大震災, 東京電力福島第一原発事故 | タグ: |

ボランティアチーム援人、0929便、2017年9月30日(土)、避難指示解除からほぼ半年がたった福島県双葉郡浪江町での災害ボランティアのメモ。

金曜の夜、半袖、短パン、(世間でいう)サンダル姿、汗だくでホームセンターに駆け込む。そして刈り込みハサミ二種を掴んでレジへ。
ハロウィンの小道具でしょうか。いいえ、災害ボランティア用です。今夜はこれから浪江町へ!

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0929便)

10人揃って八重洲を出発しました! 今日はプレミアムなんとかのせいか、人が多かったなぁ。
この便は女性5人、浪江が初めての人も5人。小高よりさらに復興が遅れている町で、しっかりがんばってきます!

浪江町、請戸漁港。周りは工事継続中。立派な姿になるんだろうな。のんびり釣りをしている人がいた。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0929便)

浪江町に認定こども園が完成。来年4月に開設されるなみえ創成小学校、なみえ創成中学校に隣接。(福島民友)

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0929便)
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福島県浪江町:酷暑の伐採木処理と塀の解体 なんとか完了(援人 2017年 0714便)

Posted on 2017年7月19日. Filed under: ボランティア, 東日本大震災, 東京電力福島第一原発事故 | タグ: |

ボランティアチーム援人、0714便、2017年7月15日土曜日、福島県双葉郡浪江町での災害ボランティア、FacebookやTwitterへの投稿などの切り貼りによるメモ。

なんとこの便も10人揃って出発しました!
リュックがとっても重いT井さん、浪江は行ったことあるけどお手伝いは初めての人、各地でボラ不足が頻発し裾野を広げなきゃと思う人、仕事で疲れ切った人…それぞれだけど、今回もきっちりニーズを完了させてきたい。行ってきます!

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0714便)

深夜の常磐道だより。四倉PA下り、増設部分の覆いが外されて見えるようになっていた。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0714便)

福島民友、福島県富岡町で来月から新聞配達が再開!

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0714便)

浪江駅近くで見た紫陽花。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0714便)

草刈りしたいなぁ、まずは駅周辺だけでも。小高はだいぶ綺麗になったけど、浪江はまだまだこれからだ。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0714便)

今日のお手伝いは援人だけ。家庭的なオリエンが9時を待たずに始まり、すぐに出発となる。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0714便)
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福島県浪江町:住民が戻り始めた町 コツコツと手を入れる作業が必要(援人 2017年 0623便)

Posted on 2017年7月5日. Filed under: ボランティア, 東日本大震災, 東京電力福島第一原発事故 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0623便、2017年6月24日、今年3月末に一部地域の避難指示が解除された福島県双葉郡浪江町での災害ボランティアのメモ。

初めて浪江町社協の下で、また援人として避難指示解除後には初めての浪江町でのお手伝い。

まず午前は2軒のお宅に別れ、家財移動・搬出、庭木伐採、草刈り、ブロック塀破砕などのお手伝い。庭木を根こそぎ取るのは小さな野菜畑にするから。眺望が開けた庭を見て感激された奥様、「までいに」やってくれて有難う、と。

3軒のお宅、ニーズは色々だったものの、数年前の小高を彷彿とさせるような印象。また町はいたるところが荒廃していた。荒れた景色で人の心は萎える。やはり草刈りや剪定は誰かがやる必要がある。コツコツと家や町をきれいにしていく作業は、より多くの人たちの帰還を促すために必要だ、と強く感じた。

小高、そして復興がはじまったばかりの浪江や富岡。進み具合は違うとはいえ、まだまだお手伝いが必要。これからも行きたい!

金曜夜23時の銀座一丁目には欠かせない道具たち。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0623便)

今夜も10人揃って八重洲を出発しました! まず、皆よく「なみえちょう」って読むけど「なみえまち」だから(笑)。
援人は去年、松本ボラセンの下で浪江町のお宅での大量の家財出しのお手伝いをしましたね。その様子を覚えている人、初めて行く人、さまざまですが、ようやく戻れることになった人たちの力に少しでもなれれば! がんばってきます。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0623便)

小高の6国沿いのローソンで仮眠を取り、朝。浪江・小高原発建設予定地跡を抜けて浪江町へ。

濃い霧の請戸港。水平線がまったく見えない。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0623便)

ボラセンに行く前、浪江町駅周辺を少し歩いた。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0623便)

浪江町役場の敷地内にある社会福祉協議会のボランティア拠点(集合は体育館だった)。
今日は全国から約30人が集まった。ニーズは8件。活動はブログにアップされるそうだ。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 0623便)

9時集合はやや遅いと思ったが、迅速な判断、柔軟な対応など、働きやすいボラセンだ。
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浪江駅から常磐線乗車 富岡町の夜ノ森の桜ライトアップ 雨の小高でお手伝い(援人 0407便)

Posted on 2017年4月14日. Filed under: ボランティア, 東日本大震災 | タグ: , , , , |

ボランティアチーム援人、0407便、2017年4月8日(土)と9日(日)、(一部)避難指示解除されたばかりの浪江町と富岡町巡りと、南相馬市小高区でのお手伝いのメモ。

1日目、早朝、浪江町・大平山霊園→浪江町・請戸漁港→浪江駅から開通したばかりの常磐線で原ノ町へ→原町の珈琲亭いこいでモーニング→再び常磐線で浪江駅へ→散歩しながら浪江町役場に併設のまち・なみ・まるしぇへ→スーツ姿の警備スタッフがとても多く安倍総理が来ると知る→富岡町・夜ノ森へ→ギネス記録をめざすハイタッチに参加させられる→富岡二中のイベント会場へ→杉良太郎のステージ→さくらモールとみおかで買い物→小高・双葉屋旅館へ→夜は再び富岡町、震災後初めてライトアップされた桜トンネルへ→よさこい踊りに遭遇→帰路、国道6号で浪江町で上がった花火を見る→小高の島魚で夕食→双葉屋旅館で二次会、就寝。
2日目、6国ファミマでY号と合流→朝練→ボラセン→ニーズを1時間で終了→再びE地区へ→ほぼ10回に及んだ大規模竹林伐採ニーズついに完了!!!

残念ながら10人に満たず、せっかくなので2つの空席には「希望」と「勇気」を乗せて八重洲を出発しました! 酔ってないよ。
以前浪江町のお宅でお手伝いしたとき、一気に浪江の方の顔が見えた気がしたし親近感も湧いたけど、今回の富岡のイベントにはまだ帰還されてない方もバスで沢山来るとのことなので、丁寧に見て回ることでしっかり色々感じて来たいと思います。ちなみに今車内はおしゃべり真っ盛りで普段の便より賑やか。皆楽しみなんだなぁ。それでは行ってきます!

朝のファミマ。慌ただしい復興工事の人たちに混じって地元の人が徒歩で来たりしているなぁ。買うものも違うからわかる。いつもバタバタしているとなかなか気づかないことだ。

福島民報に今日の「富岡町復興の集い2017」が大きく載っている。

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)

浪江町、町営大平山霊園の慰霊碑。「私達は、災害は再び必ずやってくることを忘れてはならない」。小雨。

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)

請戸漁港。確かに南相馬から船は帰っていたが、付近は工事中の荒れ地だらけ。水揚げ施設のようなものも見えず、まだまだという印象。

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)

浪江駅から原ノ町へ。大人になって電車の切符(正確には乗車駅証明書)でこんなにドキドキするとは…!

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)

原町の珈琲亭いこいで、まったりとモーニング(2回目の朝食)。

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)
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福島・浪江町:膨大な量の家財出しの二日間 「災害」を叩く金槌ではなく(援人 0219便)

Posted on 2016年2月23日. Filed under: ボランティア, 福島, 東日本大震災 | タグ: |

ボランティアチーム援人、2016年2月20日土曜日と21日日曜日(0219便)、南相馬市ボランティア活動センター経由、福島県双葉郡浪江町でのお手伝いの記録。

4月1日の予定だった南相馬20km圏内の避難指示解除が多くの予想通り揺れ動く中(くしくもこの土日は小高の浮舟文化会館で住民説明会が行われ、駐車場には多くの車が停まっていた)、意外にもお隣・浪江町でのお手伝いとなった(ぼくの記憶では、センターは浪江町で過去に一度伐採・引っ越しの依頼を受けたことがあるが、せいぜい数回程度だと思う)。

援人号0219便南相馬行き(ボランティアチーム援人)//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

小高より時間の進みが3~5年は遅れたような、膨大な量の被災財出し。今は千葉に住んでいるご夫婦とたくましい息子さん2人は比較的明るい。リードしたりされたりしながら、共に被災財出しを完了させた。最終的に並んだトンバッグは47袋になった。


以下、思いつくままにバラバラと。

さまざまな被災地に行くと学べることが多い。──と、去年常総に行きはじめて気づいた。しかしそれは活動の真剣さ、深さ、集中力が伴っているからこそだ。観察だけして得られる気づきなど知れている。すぐ忘れてしまう類いのものだ。だからぼくはいろんな被災地に少しずつ足を運んでつまみ食いをするつもりはない。

南相馬の20km圏内でのボランティアは、はじめたときには予測もしなかったほど超長期になってきた。
小高では住民説明会が開かれ、目標となっていた帰還時期の延長がほぼ決まったようだ。

援人号0219便南相馬行き(ボランティアチーム援人)

毎回のお手伝いを淡々とやっていて、自分たちがやっていることは「災害」ボランティアなんだろうか、と素朴な疑問が湧くことがある。

これから避難指示が解除される地域では、帰る人は1~2割ぐらい、その大半が高齢者だ。
自分たちが毎週お会いする依頼者や、やっているお手伝いを振り返ってみると、ぼくらが助けているのは「被災者」というより「被災された高齢者」で、内容は「復旧」から「維持」へ変わっている。災害にのみ応じた作業ではなく、むしろ「福祉」の領域とオーバーラップしているのだろう。

災害ボランティアとして被災地に足を運ぶ人は、一般的に発災直後にパッと来て後は退いていってしまう。
なぜ多くの人が小高のような地域に来なくなってしまうのか。今の原発災害被災地には、すでに初期発災時のような酷い被災の爪痕は残っておらず、典型的な「災害」をイメージできない人が多いことも理由の一つだろう。原発被災によるダメージは、血が流れるような生々しい傷跡ではなく、深くゆっくり進行する病のようなものだ。注意深い観察を要するから「助けなければ」という衝動を惹起するには弱い。だから「災害」ボランティアは来なくなる。

ぼくらがやっていることは「災害」という冠を外しても十分に成り立っている。
そして本質はむしろ、「協働スキルを身につけた10人が、何らかの理由で肉体労働による手助けが必要な弱者を助けている」ことにあるのだとすれば。

東京のど真ん中に住む独居老人からの依頼に応えるというのはどうだろう。
母子家庭の引っ越しを手伝ってあげるというのは。
身体障害をもつ人を助けてあげられる場面も沢山あるんじゃないか。

何をやってあげるにしろ、悩みやニーズを引き出す窓口(災害でいえばボラセン)が一番大切なのだが。

ただ、自分たちは「災害」を叩く金槌なのではなく、困っている状況に10人が1日でできる限りにおいて応える運動体なのだと考えることが、自分たちが5年間やり続けている営みに正しく光を当てることなのではないか、と思う(今は)。


この便で食べられることを楽しみにしていたもの、二つ。

小高商業高校発! 復興にぎり飯セット(ローソン)。

援人号0219便南相馬行き(ボランティアチーム援人)

小高商業高校発! 復興味わい弁当(同じくローソン。どちらも期間限定発売)。

援人号0219便南相馬行き(ボランティアチーム援人)

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