「シネマ歌舞伎 歌舞伎NEXT 阿弖流為(アテルイ)」(2回目) やっぱり2016年一番の傑作!

Posted on 2016年12月27日. Filed under: 演劇 | タグ: |

シネマ歌舞伎 歌舞伎NEXT 阿弖流為(アテルイ) 」、銀座東劇で(2回目)。

2016-12-26 18.20.08

Twitterで見かけたこの感想、非常によくわかる。ぼくの一回目の感想がほぼこれに近かった。

この作品は、今年ぼくが観た「映画」(括弧付き)の中で文句なく一番の面白さだ。
話題になった作品との比較でいえば、
阿弖流為 >> この世界の片隅に >>> 君の名は。 >>>>> シン・ゴジラ
ぐらい。

1回目は夢中で観たが、観た後それなりに調べたりもし、2回目の今日は“この作品はなぜこのように面白いのか”を頭の端で考えながら観ていた。

  • この作品は元々新橋演舞場で上演された「歌舞伎」である
  •  歌舞伎だが“今までになかった歌舞伎”を謳う「歌舞伎NEXT」というジャンルである
  • その「歌舞伎NEXT」を、映画館で観るための歌舞伎というフォーマットに乗せた「シネマ歌舞伎」である
  • 有名劇団「劇団☆新感線」には演出家いのうえひでのり(+脚本家中島かずき)がつくった「いのうえ歌舞伎」というジャンルがあり、新感線で元々「アテルイ」として上演されたものを元にしている
  • 「シネマ歌舞伎」では舞台を映画化するにあたりさまざまな演出(画面効果や効果音など)が施されているが、阿弖流為ではそれが相当なレベルまで作り込まれている(つまり元の上演よりかなりパワーアップしていると思われる。他のシネマ歌舞伎もDVDで何本か観たが、舞台をただ収録している程度のものもある。手法の進化か)

…といったメタモルフォーゼ(変態)を何度も重ねているお陰で、「阿弖流為(アテルイ)」は、歌舞伎でも演劇でも映画でもない、異形の・境界越えのエンターテイメントになっているのだ。すさまじく面白い。

(…もちろん阿弖流為の面白さはストーリーやキャラクターの貢献も抜きには語れないのだが、ここまでまとめて疲れたので、それらへの賛辞を含めた2回目の感想は割愛する。)

ついでに。今日観ながら、歌舞伎って何なんだろうか、歌舞伎が今のような「古典劇」として固定されたのはいつなんだろうか、と疑問が湧いた。

書籍「“劇的”とは」で引用されている小山弘志という人の文章によると、能や狂言は16~17世紀に「筋書・台本の定着期」を迎え、それに伴って演出が固定化し、「以後の狂言は、もはやその時代の出来事とか言葉とかを離れる。現在の狂言がほぼ室町時代から江戸初期にかけての言葉・風俗を伝えているのはそのためである」という。

歌舞伎も同様に独特の「様式」があるため、たとえばリアリズムのある映画や演劇を見慣れたぼくらには敷居が高いわけだが、ぼくらが「これが歌舞伎だ」と思っている様式はいつ頃どんな経緯で固定化されたんだろう(ってまあ本を読めばわかることだろうが)。

少しググってみると、こんな記述があった。

歴史 |歌舞伎事典

江戸時代で固定化されたのかと思ったら、明治以後だけでも、「演劇改良運動(非合理的な筋立てと卑俗な内容をやめる)」、「明治の新社会の世相や風俗を写そうとする『散切物』」「シェークスピア劇の影響を受けた『新歌舞伎』」という動きはあったものの、大勢としては「明治36年以後、歌舞伎の危機が叫ばれ、伝統の型の記録と保存の必要が唱えられるようになった。この時代に演出が固定」となったわけなのか。

でも、その後もいろいろ動いているんだろうなぁ。古典劇を観るには教養が必要だ。観客はやがて減っていく。様式化され過ぎたものはやがて衰えていく。ならば打ち壊そう、というような。

だから「阿弖流為」みたいな作品が生まれたわけだ。面白い!

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