南相馬・小高:涼風の中で伐採の継続 吹奏楽の音に励まされながら(援人 2017年 0602便)

Posted on 2017年6月16日. Filed under: ボランティア, 東日本大震災 | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、0602便、2017年6月3日土曜日、福島県南相馬市小高区(旧避難指示区域)でのお手伝いのメモ。

0602便。ギリギリで10席が埋まり、継続のY地区の雑木伐採のお手伝いへ。追加ニーズも含めてすっきり終わらせることができた。夕食は二本松、杉乃家さんへ。芹川さん(お父さん)から、うれしいニュース発表が…(秘密)。
災害ボランティアは「行くこと」で成果を出すことができ、また次への原動力になる。まだまだ続けていきたい。

10人揃って出発しました! 後輩とランチしながら援人の活動を紹介した、自分の投稿で活動を紹介しようと思っている、最近薪割りが上達した、「あまちゃん」のささやかな幸せも東北の人には申し訳なく感じるというセリフに当時を思い出した(オレ)、日曜にTさんの講座でチェーンソーを学んだ、斜面の作業であれば十分に安全にやりたい、などなど。現在、下道で向島のあたり。それでは行ってきます!

04:03、道の駅南相馬着。Yさんはすぐ走りに行きました。

南相馬・北泉海岸。蹄の跡はあるけどお馬さんの姿はなし。

南相馬・小高でお手伝い(ボランティアチーム援人 2017年 0602便)

サイヤさん。地元の母子がおふかしをパニクりながら大量購入中。おふかしは逃げないから落ち着いて! と声をかけてあげたかった(笑)。

朝礼、センター長のお話。

遠くから来ていただき。雨が上がって爽やかな気分で。
当ボラセン、大きな曲がり角に。被災者さん、ボラセンはいつまでやっているのか、と。町の有力者の方と立ち話を。まだまだいますよ、よかった、ボランティアがいなかったらこの町はつぶれちゃうよ、と。
しかし実はいつまでできるかなと悩んでいる。いつ縮小しようか。できる限り、依頼のある限りとは思うが。どこまでいつまでという展望が見えない。手を打たなきゃいけない。せめてガソリン代程度は被災者さんにご負担いただくか。お金をもらってまで…という意見もあるが、かなりしんどい状況。
第一弾として、昨日のブログに書いた。入浴券などの値上げのお願い。大変申し訳ありませんが、6/10から450円に(元々その価格で仕入れている)。宿泊施設、これまで無量だったが1人500円までの範囲で寄付を。水、カップ麺などは今まで通り当分の間無料(水は半分は支援、カップ麺も。それ以外はセンター経費で賄っている)。機材もできるだけ大事に使ってほしい。センターの車を壊すと保険がきかない。

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浪江駅から常磐線乗車 富岡町の夜ノ森の桜ライトアップ 雨の小高でお手伝い(援人 0407便)

Posted on 2017年4月14日. Filed under: ボランティア, 東日本大震災 | タグ: , , , , |

ボランティアチーム援人、0407便、2017年4月8日(土)と9日(日)、(一部)避難指示解除されたばかりの浪江町と富岡町巡りと、南相馬市小高区でのお手伝いのメモ。

1日目、早朝、浪江町・大平山霊園→浪江町・請戸漁港→浪江駅から開通したばかりの常磐線で原ノ町へ→原町の珈琲亭いこいでモーニング→再び常磐線で浪江駅へ→散歩しながら浪江町役場に併設のまち・なみ・まるしぇへ→スーツ姿の警備スタッフがとても多く安倍総理が来ると知る→富岡町・夜ノ森へ→ギネス記録をめざすハイタッチに参加させられる→富岡二中のイベント会場へ→杉良太郎のステージ→さくらモールとみおかで買い物→小高・双葉屋旅館へ→夜は再び富岡町、震災後初めてライトアップされた桜トンネルへ→よさこい踊りに遭遇→帰路、国道6号で浪江町で上がった花火を見る→小高の島魚で夕食→双葉屋旅館で二次会、就寝。
2日目、6国ファミマでY号と合流→朝練→ボラセン→ニーズを1時間で終了→再びE地区へ→ほぼ10回に及んだ大規模竹林伐採ニーズついに完了!!!

残念ながら10人に満たず、せっかくなので2つの空席には「希望」と「勇気」を乗せて八重洲を出発しました! 酔ってないよ。
以前浪江町のお宅でお手伝いしたとき、一気に浪江の方の顔が見えた気がしたし親近感も湧いたけど、今回の富岡のイベントにはまだ帰還されてない方もバスで沢山来るとのことなので、丁寧に見て回ることでしっかり色々感じて来たいと思います。ちなみに今車内はおしゃべり真っ盛りで普段の便より賑やか。皆楽しみなんだなぁ。それでは行ってきます!

朝のファミマ。慌ただしい復興工事の人たちに混じって地元の人が徒歩で来たりしているなぁ。買うものも違うからわかる。いつもバタバタしているとなかなか気づかないことだ。

福島民報に今日の「富岡町復興の集い2017」が大きく載っている。

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)

浪江町、町営大平山霊園の慰霊碑。「私達は、災害は再び必ずやってくることを忘れてはならない」。小雨。

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)

請戸漁港。確かに南相馬から船は帰っていたが、付近は工事中の荒れ地だらけ。水揚げ施設のようなものも見えず、まだまだという印象。

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)

浪江駅から原ノ町へ。大人になって電車の切符(正確には乗車駅証明書)でこんなにドキドキするとは…!

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)

原町の珈琲亭いこいで、まったりとモーニング(2回目の朝食)。

富岡町復興の集い2017→小高で災害ボランティア(援人 2017年 0407便)
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南相馬・小高:またも竹林伐採 避難指示解除「前」と「後」で激変はない(援人 0715便)

Posted on 2016年7月18日. Filed under: ボランティア, 福島, 東日本大震災 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0716便(活動日 2016年7月16日土曜日)、南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

7月12日火曜日午前0時を境に、南相馬市の20km圏内は(帰還困難区域を除き)普通に人が暮らせる町に戻った。この便は「人が暮らす町でお手伝いできる」最初の便となった。

避難指示解除「前」はできるだけ数多くお手伝いに行くことを目標としてきたが、これから先はややペースを落とし、ニーズの推移もしっかり見たいと思う。しかし今後さらに活動者数が減る見込み、という先週センターで聞いた話も気になっている。

常磐線が小高まで開通した日、取材を受けていた高校1年生。小学4年生のときから避難生活を続けているとか。若い世代が町を引き継ぐまでの間、やるべきことを黙ってやるのは大人の責任だ。

早朝、道の駅南相馬で読んだ福島民友。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

NDFが筆を滑らせた? あるいは観測気球を上げてみた? 福島第一原発の「石棺化」。浜通りの自治体も、地元紙(福島民友)も猛反発している。こうして未だに翻弄されているのだ。

7時前、常磐線の原ノ町駅へ。8人のメンバーをここで降ろし、7時15分発の電車で小高駅に向かってもらう。5年4ヵ月と10分の旅だ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

この日のお手伝いは、小高区南部の畑(跡地)で竹林伐採。5年で畑が竹林に覆われてしまったという。
避難指示解除の前も後も竹林伐採。急に何か変わるわけではない。やるべきことがあるなら精一杯やるだけだ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

作業環境は広すぎず狭すぎず。そうなると作業の単純度(繰り返し頻度)は高くなり作業負荷は上がる。最後はノコで手のひらにマメができかかるほど、なかなかキツい作業だった。

伐採、後処理班のペースに左右されないよう徐々に伐採、ほどよい量をかかり木状態に。ときどきあらぬ方向に倒れるのは要注意。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

玉切りは180cm、切断機を通さないため凸凹を気にする必要なく、伐採、枝払い、玉切り全てをカーブソー(Silkyズバット)でこなし、効率的だった。

昼、開店したばかりの谷地魚店さんを少しだけ覗く。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

ホッキ貝を取り置きしておいてもらったのだが、夕方取りに行ったとき、店は主婦たちで賑わっていた。

避難指示解除「後」の今日の小高の町の様子は、「前」と比べて大きな違いはなかった。

車も人もよく見かけたが、“ここに人がいるのはもう珍しくない。当たり前のことだ”という自分の意識の変化が、町を見る目を変えた気がする。

避難指示解除は、何かを劇的に挽回するものじゃないと思う。

1年待ち、3年待ち、5年も経ってしまった。
戻っていいよと言われたけど、それだけの年月は重い。戻る人は10人に2人にまで減ってしまった、ということだろう。

町の人たちは「ただちに」町に帰ることを断念したのではなく、少しずつ諦めていったのだ。

それと逆の流れを起こすのにも、小さなものごとを積み重ねていき、1年、3年、5年という区切りで見たら明らかに何か変わった、といえる状況をつくっていくことが大切だろう。

少しずつ人が戻れる感じに変えていくことで、人を呼び戻す。あるいは新たに呼び込む。
それをやる主体は町の人たちだが、ぼくらボランティアができることも、これからも変わらずあるはずだ。

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南相馬・小高:震災後手つかずの畑の草刈り 少しずつ進む町で秋まつり(援人 1016便)

Posted on 2015年10月20日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、1016便(活動日:2015年10月17日)、南相馬市小高区(原発災害による避難指示解除準備区域)でのお手伝いの記録。

朝、南相馬市鹿島区、八沢地区慰霊碑がある海沿いの高台で。

南相馬・小高で災害ボランティア(援人 1016便)

先日ここで4匹の子犬たちを保護したとき、すでに1匹は亡くなっていた。4匹も雨に濡れていたので、急いで車に乗せ、動物病院を探すためすぐに出発した。つまり、1匹の遺骸は残してきてしまったのだ。

金曜夜の出発前、子犬たちの“乳母”になってくれているHさんが一回り以上大きくなった子犬たちを連れてきて、残してきた1匹のためのミルクを持ってきてくれた。

南相馬・小高で災害ボランティア(援人 1016便)

草むらを広い範囲にわたって一生懸命探したが、彼/彼女の遺骸は見つからなかった。
Iさんが持参した山型の石を墓石にし、Hさんのミルクをかけてやり、線香を供えて安らかにと祈る。

お手伝い先は小高区西部、常磐道の近く。農村部の広いお宅だ。
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南相馬・小高:畑と斜面の草刈り 完成度を上げると倍のキツさ(ボランティアチーム援人 1010便)

Posted on 2014年10月14日. Filed under: ボランティア | タグ: , , , , , |

ボランティアチーム援人、1010便、2014年10月11日土曜日の南相馬・小高でのお手伝いの記録。

先週あたりから、屋外でのお手伝い中にはっきりと「秋」を感じるようになった。
オレンジ色の実を沢山つけた柿の木をよく見かけるが、多くは、実を取る人がいないためか置き去りにされている。

夜明け前、南相馬に入った頃に「競走馬輸送中」のトラックを見かけた。さすが野馬追の町だ。

南相馬・小高でボランティア(援人号 1010便)

朝、鹿島区八沢地区の観音像へ。

南相馬・小高でボランティア(援人号 1010便)

周りの荒涼とした景色と観音像。慰霊碑には地域で亡くなった方たちの名前が刻まれている。改めて震災の重さが胸に迫った。できるだけ多くの人が、こういう場所に足を運んでほしいと思った。

この日のお手伝い、畑(跡)と斜面の草刈り。依頼主は県央に避難中とあった。
生け垣や庭木の手入れは行き届いていたので、家に愛着はあると思われ、そういうお宅ならばとやる気が出た。

南相馬・小高でボランティア(援人号 1010便)
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南相馬・小高:残暑の中草刈りと竹林伐採 人が戻るための営為をリアルに感じながら(援人号 0829便)

Posted on 2014年9月3日. Filed under: Roundup | タグ: , , , |

ボランティアチーム援人、0829便、2014年8月30日土曜日の南相馬・小高でのお手伝い報告。

早朝、ボラセンに向かう前に有名だという「行津(なめづ)の大杉」を観に行ってみた。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0829便)

高台にある神社の境内からはみ出しそうなほど、立派な巨木だった。

南相馬・小高は、なぜか天気予報よりいい天気になることが多い。この日も曇り・小雨の予報に反して快晴になり、強い日射しや暑さと戦いながらのお手伝いになった。

活動者は週末にしてはかなり少なめだった(後で見たセンターのブログ記事によると37人)。

そのせいもあってか三件のニーズ票をもらった。最終的には草刈り一件完了、二件めの竹林伐採は8割の出来で時間切れとなってしまった。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0829便)

一件めのお宅では、元畑の傍らに震災で崩壊したと思われる道具小屋が草に埋もれていた。
(さらに…)

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