「標的の島 風かたか」感想:知ってしまったら他人事だと感じられなくなる

Posted on 2018年1月14日. Filed under: 映画 | タグ: , |

映画「標的の島 風かたか」の感想、粗削りだが忘れないうちにまとめておく。

2018-01-12 17.55.17

「るるぶ 沖縄ドライブ ’18」というムックを読んだ。米軍基地のことも沖縄戦のことも1ページもスペースが割かれていなかった。マップをよく見ても、渦中の辺野古には「辺野古崎」という記述があるだけ、高江のある場所は「国頭村」という記述だけ。

観光に行きたいと思う人のためのムックだ。だから当たり前、だろうか?
ダークツーリズムという概念も少しずつ浸透してきた。観光ドライブついでに戦跡に行ってみたい、とかニュースで見る辺野古や高江が本当はどういう場所なのか見てみたい、という人もいるのでは。そういう情報を一切排除した観光本は、まるでパラレルワールドの別の時空の本のようじゃないか、と思った。

楽しいことだけを見てワクワクすることだけを追って、それで世の中がよい方向へ向かうならいい。でもそんなことはない。
一方、世の中の暗い面を見て問題をあげつらうことには社会性がある。しかしその態度が強すぎれば多くの人の共感を得ることはできない。

金曜日、「標的の島 風かたか」を観ながら書いたメモから、感じたことをまとめておく。

「知ってしまったら他人事じゃない」。辺野古の座り込みに参加した若い女性の言葉だ。
この映画は、沖縄の外の人間にとって他人事である問題をぐっと自分に引き寄せてしまうような、そんな状況がいくつも描かれている。

「風(かじ)かたか」は、沖縄の言葉で風よけ、防御壁という意味だという。
映画では、風かたかが二つの意味で使われているようだった。

一つは、米軍属の男に殺された女性を追悼する集会で、“私たちはまたも弱い者を守る風よけになることができなかった”という痛恨の表現の中で。
もう一つは、沖縄本島から先島を結ぶラインが、米日の対中国包囲戦略(エア・シーバトル戦略)の中で防御壁として期待される=再び戦場になる恐れがある、という意味において。

ドキュメンタリー映画にはさまざまな手法があるが、三上智恵という監督は、人が語るときのエモーショナルな瞬間を引き出すのがとてもうまいと思う。

映画に登場する人々が語る事実の一つひとつに、強く心を揺さぶられる瞬間がいくつもあった。

ぼくがボランティアとして通っている南相馬・小高では、今も他府県ナンバーのパトカーを見かけることがある。復興のため応援に来ているのだ。
高江でヘリパッド建設を食い止めようと座り込む人たちを排除するため集められた警察車両の車のナンバーは、多摩、柏、品川、福岡、北九州など、沖縄以外のさまざまな県のものだった。

沖縄戦のとき、石垣島の島民はマラリアに罹りやすい山中に強制移住させられ、そのことで約3,600人もの人が亡くなった。お年寄りが幼くして亡くなった孫を背負って埋葬に行くなど、地獄のような状況だった。

石垣島の最高峰・於茂登岳の麓にある集落は、元々沖縄本島から開拓民として移住させられた。苦労して開拓したその集落に自衛隊のミサイル基地がつくられようとしている。

それなりに冷めた目で見ても、イデオロギーに傾いた映画ではない。
自衛隊ミサイル基地の問題では、住民説明会で賛成派が優勢であることなどを描いている。

TVドキュメンタリー「標的の村」は、時間が短く問題がほぼ高江と辺野古に絞られていたため、主張がとてもシャープだった。対してこの「標的の島」は、描く問題を先島や自衛隊にまで広げたことで、やや混沌とした印象だな…と思った。しかしそのことが、映画の終わり方により深みを与えることになったのではないか。

七尾旅人が歌う「兵士Aくんの歌」。これは近い将来生まれるであろう1人目の戦死自衛官のことを歌ったものだという。ラスト、この歌が座り込みに対峙する機動隊員や行進する自衛官の姿に重ね合わせられる。

このシーンを、あなたたちが守っているものが最初にあなたたち自身を殺すんだよ、という意趣返し的メッセージと取ることもできる。
しかしそうではなく、基地問題や、その根源にある国家間の緊張までを鳥瞰し、構図としての悲しさ、虚しさといったものを提示して見せたのではないか? と感じた。

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映画「ZAN ジュゴンが姿を見せるとき」を観た

Posted on 2017年12月18日. Filed under: 映画 | タグ: , , |

昨夜、銀座で映画「ZAN ジュゴンが姿を見せるとき」を観た。

ZAN ~ジュゴンが姿を見せるとき~

この映画は、基地移設問題の渦中にある沖縄・辺野古を擁する大浦湾に生息するジュゴンを描いたドキュメンタリー。

大規模な開発に反対する人が、その対象地の自然が貴重であることのシンボルとして希少な動植物を持ち出す手法は珍しくはない。それに無条件で共鳴する人もいれば、今一つピンとこない人、胡散臭いと感じる人もいるだろう。

ぼくがこの映画に興味をもった理由は、こうだ。

辺野古に行ったときもらったパンフレットに、大浦湾ではジュゴンのトレンチ(草を食んだ跡)が確認されているとあった。しかし陸から見る限り海は遠浅で、そこに大きな哺乳類が生息していることにピンとこなかった。

ジュゴンはそこでどんな風に生きているんだろう、映像で観られるのかな…と興味が湧いた。それが過半。残りは、自分で実際に行ってみた辺野古の風物への共感だった。

以下、映画を観ながら、そして映画終了後のトークを聴きながら書いた雑駁なメモ類。

辺野古を擁する大浦湾、マングローブ林にはトビハゼやシオマネキもいるんだなぁ(もっとちゃんと見てくればよかった…)。

ZANは沖縄の言葉でジュゴンのこと。Dugongが訛って竜宮になったのではないか、という話が映画の中で紹介される。

ジュゴンは1955年に天然記念物に指定された。が、乱獲や沿岸部の開発によって今では沖縄北部に3頭が確認されているのみ(しかし今年3月、北西部の沿岸で親子と思われるジュゴンが新たに確認された)。

辺野古の埋め立てに先立って環境アセスメントが行われたが、その手法はジュゴンなどが嫌うソナーを使うなどジュゴンを遠ざける効果があるもので、つまりわざと追い立てて生息なしと確認しているので問題がある(と、日本自然保護協会などは考えている)。

自然保護協会の阿部さんは、エビデンスベースで話す人。工事とジュゴンの生息の因果関係を立証することはとても難しい。だけど埋め立て工事が進んでいけば影響が出ないことはないだろう、と断定を避けつつ、良心的な話し方をされていた。

そして映画の後のトーク、監督のリック・グレハンさんがなぜこの映画を撮ろうと思ったのか、というところが響いた。

サスティナブルなブランド構築などを得意とする広告代理店を経営しているが、1% for the planetへの寄付を通じて自然保護協会の取り組みを知り、中でも辺野古の取り組みはとても印象的だった。ジュゴンについてはそれまで知らなかった。出身は北アイルランドのベルファストだが、さまざまな紛争のイメージがある沖縄が、故郷と似ていると思った。

とのことだった。

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NAHAマラソン2017でくじけた 翌日は辺野古と嘉手納を巡った

Posted on 2017年12月6日. Filed under: ランニング, | タグ: , , |

2017年12月3日(日)、2回めのNAHAマラソンに参加。翌日、レンタカーを借りて名護市辺野古と中頭郡嘉手納町を巡った。その記録。

2017年のNAHAマラソン、このように戦った(または戦い切ることなく尻込みしつつ完走はした)、というメモ。

出発前の羽田でシウマイ弁当を食べ、

NAHAマラソン2017, 辺野古, 嘉手納
那覇の夕食ではナーベラー(へちま)も食べることができたので、ちゃんと走れる気がした。

NAHAマラソン2017, 辺野古, 嘉手納

出発前、5分で40本なんて無謀な計画を立てていたが、夜にラップ表を見て5分10~30秒まではよしとしよう、に変更。
(さらに…)

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