エジプト革命:タハリール広場に日本で一番近い場所(#egyjp)で寝泊まりした日々を振り返って

Posted on 2011年2月14日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , |

2011年2月11日、エジプトで長年続いた独裁政権が倒れた。人びとの18日間の平和的で粘り強い行動が、中東一といわれる強大な軍隊と治安警察を背景とする大統領の我執を砕いたのだ。

Mubarak Steps Down

この間、イルコモンズさんのブログにある「本日、革命につき、欠勤します」は、ぼく自身の台詞でもあった。

ムバラク政権が倒れたとき、ぼくは

ぼくは革命成就の瞬間に立ち会えなかった。1時間ほど遅れた(笑)。

緊張のピークだった2月4日の「出発の金曜日」以降、短い睡眠を挟みつつひたすらウォッチを続けていた。が、その革命が成ったその日その時、ぼくは仮眠中。駆けつけたのは1時間後の午前2時、すでにアルジャジーラは歓喜に沸くタハリール広場を映していた。

言い訳させてほしい。当日はムバラク大統領の演説、スレイマン副統領の演説、2回の軍声明が続いたが、どれも無内容で、告知された3回めの軍声明にも意味などないだろうと判断し、現地時間の深夜に備えるべく仮眠してしまったんだ…。

エジプト革命について、ぼくがやったこと

ぼくがやったことをTwilogで振り返ってみた。エジプトの人たちは18日間闘ったが、ぼくがエジプトについて1つでもTweetした日は17日間、完全にエジプトと共にいたのは13日間だった。

1月27(木)、1件/34件。このTweetがはじまりだ。

1月28日、3件/17件。

1月29日、ゼロ。が、この日アムネスティ映画祭で「ビルマVJ」を観たことで、自分内のアンテナ感度が高まった。
(@nofrillsさんのつぶやきによれば、この日に#egyjpが誕生していた)

1月30日、25/28件、この日@qtbrowneyesさんに#egyjpの存在を教えられ、ハッシュタグ付き投稿をはじめた。

以後の13日間は、エジプト一色となる。

1月31日:65tweets http://twilog.org/nakano/date-110131
2月1日:127tweets http://twilog.org/nakano/date-110201
2月2日:163tweets http://twilog.org/nakano/date-110202
2月3日:193tweets http://twilog.org/nakano/date-110203
2月4日:120tweets http://twilog.org/nakano/date-110204
2月5日:154tweets http://twilog.org/nakano/date-110205
2月6日:138tweets http://twilog.org/nakano/date-110206
2月7日:108tweets http://twilog.org/nakano/date-110207
2月8日:110tweets http://twilog.org/nakano/date-110208
2月9日:103tweets http://twilog.org/nakano/date-110209
2月10日:108tweets http://twilog.org/nakano/date-110210
2月11日:148tweets http://twilog.org/nakano/date-110211
2月12日:141tweets http://twilog.org/nakano/date-110212

エジプト情勢のウォッチとシェアにありったけの時間をブチ込んだ。
アルジャジーラを横目で見ながら、1)現地ブロガーやジャーナリストのList(最初は約20人、最後には50人程度)をチェック、2)#jan25、#egypt、#cairoなどのハッシュタグをチェック、3)上記Listやハッシュタグで流れたURLをチェック、4)#egyjp(他の人と被りがないかなどチェックのため)というサイクルをまわす。4)を終え1)へ戻るとまた新たな未読が…という無限ループは、RPGで深い深いダンジョンを行く感覚にも似ていた。しかしゲームなら「セーブしてまた明日」ができるが、この現実はそうではない。「何かをしなければ。今注視しなければ」という声が繰り返し響くため、中毒のように続けた。

#egyjpには、翻訳など外国語を仕事のツールとする優秀な人たちもいた。そういう人たちに比べてぼくの英語力はヘボい。普段仕事絡みで英語圏のIT系ニュースをチェックするが精読はあまりしないし、聴く・書く・話すとなるとかなり怪しい。が、タハリール広場を守った自警団の、あり合わせの道具で作った“ヘルメット”や“盾”を身にまとった男たちの姿は示唆的だ。時が来れば人はそこにある武器で戦うのだ。だからぼくもヘボい能力と体力を振り絞った。

#egyjpにいることで、ぼく自身色々なものを得た。テレビや新聞では得られない知識・洞察、そしてタハリール広場を見守る人たちとの共感だ(ぼくが「タハリール村」と呼んだりしたが、あそこにいた人たちでこの呼び方に賛同してくれる人は少なくないだろう)。
(さらに…)

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エジプト:大規模流血は避けられた「出発の金曜日(Friday of Departure)」、でも今まだ「過去」と「未来」は闘っている

Posted on 2011年2月7日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , |

カイロでの平和的デモがはじまって13日め、エジプトはまだ出口が見えない状況が続く。

タハリール広場での大規模デモ「出発の金曜日(Friday of Departure)」の前日にあたる2011年2月3日に、エジプトにまったく詳しくもないぼくが、いてもたってもいられずに書いた記事「【急告】今夜(2011年2月4日)エジプトと共にいよう。沢山の人が傷つけられないように」は沢山の人に読んでいただいた。

具体的には、以下のような成果があった。

  • Twitterでは600人ぐらいの人がReTweetしてくれた(当日中。現在は約800)。Mentionも多数あった
  • 記事はその日だけで4600~4700PVのアクセス、WordPress.com全体のランキングで49位だった(Pingが飛んできたので知った。初めての経験)
  • 沢山のコメントと、あたたかいメールなどもいただいた

エジプトの人びとのために胸を痛め、広めるというアクションをとってくれた人がこれだけいたことは本当に心強いと思った。「思い」や「共感」がネットワークで増幅していくTwitterの力も深く実感した。

2月4日当日、ぼく自身徹夜体制でアルジャジーラとTwitterに貼り付いていたが、軍がおおむね中立を保ったため最悪の事態にはならなかった。見方が間違っていたわけだが、こんな間違いなら何度でもやりたい!

ただこの日もそれ以降も、突発的な衝突などで死者数は少しずつ増え、また活動家やジャーナリストの暴行・拘禁は繰り返し起こっている。つまり、注意を払っていくべき状況であることは変わらない。

ひとつ、写真を紹介する。
(さらに…)

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