Great East Japan Earthquake

南相馬・小高:またも竹林伐採はじまる 重なる町のいいニュース(援人 2017年 0127便)

Posted on 2017年1月31日. Filed under: Great East Japan Earthquake, volunteer | タグ: , |

ボランティアチーム援人、東日本大震災と福島第一原発事故の被災地である南相馬市20km圏内、小高区(旧避難指示解除準備区域)行きの記録。活動日は2017年1月28日(土)、1月最後のお手伝いだった。

そういえば今週、(東京では話題になってないが)かつて建設計画があった小高・浪江原発の建設予定地を東北電力が返還へ、というニュースがあった。
もし福島浜通りの海沿いに原発がもう一つ建っていたら震災の時どうなっていただろう。その後の対応は東京電力と東北電力で違ったものになっただろうか…などと深夜の車中で考える。

南相馬市小高区で災害ボランティア(援人 0127便)

朝、北泉海岸。

南相馬市小高区で災害ボランティア(援人 0127便)

福島民友に載っていたニュース。「復興公営住宅で孤独死 福島 飯館から避難 70代男性」。

南相馬市小高区で災害ボランティア(援人 0127便)

去年、熊本で早朝に熊本城の内外をランニングした際、“セイショコさん”の愛称で知られる加藤神社の周りは、石垣がところどころ崩れ迂回路さえある状態なのに、沢山の人が散歩をしていた。

地域で愛される寺や神社は、散策のコースになることが多い。

朝、南相馬・小高の小高神社近くで、ウォーキングしている人を2人見かけた。
朝に散歩するとうことはもう帰還されているんだろうな、とうれしくなった。日常の光景が少しずつ戻ってきた。よいニュースが少しずつ積み重なっていくといいなぁ。

お世話になった小松屋旅館さん、ついに解体が始まった。

南相馬市小高区で災害ボランティア(援人 0127便)

朝礼、松本センター長の言葉。

「ブログにも書いたが、センターを元校長先生が訪れ、しばし懇談をした。最近小高のことがメディアで全然取り上げられない。夜は暗い小高の町をなぜ映さないのか。昼と夜は人口が違う。市も把握できてないんじゃないか。
私(センター長)の実感としては、夜に電気がついている家は周りにほとんどいない。
復興はまだまだ。やることは山ほどある。仮設にいる人もボランティアセンターを知らず役所に駆け込み、役所から依頼が回ってくるケースも未だにある。
できるときに、できる人が、できることを、の精神で。」

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岩泉町でえぐり取られた庭に土砂を運ぶ 南相馬小高で長大な法面の草を刈る(援人 0930便)

Posted on 2016年10月5日. Filed under: Great East Japan Earthquake, volunteer | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0930便、岩手県下閉伊郡岩泉町(2016年10月1日土曜日)、福島県南相馬市(2016年10月2日日曜日)でのお手伝いの記録(メモやFacebook/Twitter投稿を切り貼りしたもの)。

ボランティア不足の岩泉町へ、先週便への参加を含め、すでに岩泉でのお手伝い経験があるメンバーが大半という濃い愛に溢れる便。ギリギリまでがんばってきます!

岩手県岩泉町と福島県南相馬市でお手伝い(援人 0930便)

4:29、紫波SA。岩手はもう寒いっ。

岩手県岩泉町と福島県南相馬市でお手伝い(援人 0930便)

岩泉町でいわて国体開会のニュースを聴く。岩泉町は軟式野球の会場になるはずだった。

実は岩手日報(9/19付け)にチョイ役でデビューしていた件。岩泉町安家の畑中商店さんの記事。今日も朝から営業中!

関東・東北豪雨から1年、まだまだ復興半ばの茨城県常総市の農家さんがつくった新米、岩泉町安家のOPEN JAPANさん(肥田ひーさーさん)に確かに届けました。小分けして困っている方々に配っていただけるとのことです。元気村のポチ店長(西山克彦さん)、ありがとうございました!

岩手県岩泉町と福島県南相馬市でお手伝い(援人 0930便)
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南相馬・小高:今年最高の暑さ 畑跡をやっと元の景色に(援人 0805便)

Posted on 2016年8月8日. Filed under: Great East Japan Earthquake, volunteer | タグ: , |

ボランティアチーム援人、2016年8月6日土曜日、南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

朝の南相馬市ボランティア活動センター、今日は活動者は60人ぐらいだろうか。新顔ちらほら。若返りが見られる。リピート参加につながってくれればいいな、と思う。

南相馬・小高でボランティア(援人 0805便)

松本センター長のお話(抜粋)。

「センターの状況について。昨日は個人2名、団体20名。庭など剪定、草刈り。
ここのところ毎日、ニーズの消化より依頼の数の方が多い。昨日は新たに8件。皆熊本へ行っているのだろうか。ニーズに追いつかない現実、当分無理だろう。運が尽きたとのか、私の指導性が欠けてきたか。
ここの現状を知っていただかないと。7月12日に避難指示は解除されたが何も変わってない。1,000人も戻ってない、しかも65歳以上が多い。仮設にずっといたため体が弱っている人も多い。
まだ終わりではない、ここで生きていく人たちを支えなければ。我々はもう一度腹を据え直してやる必要がある。少しでもここへ足を向けていただきたい、見て見ない振りをして通り過ぎないでほしい。皆さんのお力が必要です」

お手伝いは小高区南側の畑跡での竹林伐採、3回め。今回こそ終わらせたかった。

暑かった。ともかく暑かった。

日なたと日陰では消耗度が相当違い、午前ずっと日なたで枝打ちや玉切りをしていたら軽い吐き気がしてきた。
昼食時に体を冷やし、少し仮眠したら午後は復活できた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0805便)

自分自身もチーム全体も、暑さのせいで効率は60~70%ぐらいだったかもしれない。ラストスパートしようとした際も馬力がかからなかった。

休憩、水分補給、体を冷やすなどは各自が自分のペースでやり、自己管理はギリギリうまくいったと思う。

(朝練少し、)9時から15時まで本編5時間、残業1時間40分で、伐採、枝打ち、玉切りまではようやく終わった。

南相馬・小高でボランティア(援人 0805便)

しかしウッドチッパー処理が残ってしまった(途中チッパーが不調に陥ったこともあり)。
センターに戻って報告したところ、明日別チームを入れるかも、との話だ。終わるといいなぁ。
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南相馬・小高:炎暑の竹林伐採 浦島鮨に響く「いらっしゃい」の声 仲間との別れ(援人 0729便)

Posted on 2016年8月1日. Filed under: Great East Japan Earthquake, volunteer | タグ: |

ボランティアチーム援人、0729便(活動日:2016年7月30日土曜日)の南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

深夜、常磐道四倉PA。ほっそりとした下弦の月がシャープに浮かび上がっていた。

道の駅南相馬、日の出と共に気温がぐんぐん上がってくる。

コンビニでの朝食後は、先週の野馬追見学の余韻もあり「野馬土手」が敷地内に残っている桜井古墳公園へ。

南相馬市小高区でボランティア(援人 0729便)
4世紀につくられたという前方後方墳の意外な大きさにも驚く。墳墓の上からは、平坦な南相馬の町がよく見渡せた。

スーパーサイヤさんに立ち寄って弁当を受け取る。
福島の桃の花形「あかつき」の最盛期だ。並んでいたのは3グレード。今食わないでどうする!…と思い、4個入りを買った。

多くのメンバーはサイヤさんで「おふかし」を買う。ぼくらは毎週末、東京から南相馬まで駆けつけておふかしを頬張る。いいコミュニティーは、うまいものを共有する集まりだな、と思う。

朝礼、センター長の話。

「今日はM会(団体の名前)が初めての方が多いとか。できる人ができるときにできることをする、がこのセンターのモットー。できないことがあっても当たり前。得意な分野を一生懸命に。
今日は総員52名。通常の土曜日のおおむね三分の一ほど。この少ない人数でどうするんだ、と嘆くこともある。しかしたとえ人数が少なくても、と最近腹を決めた。平日は数人の日もある。ニーズはどんどん増えてしまうが、なんとかやっていく。」

ボランティア活動者はじりじりと減っている。行くことを通じて支えるのはもちろんだが、それ以外にできることは…と考えた。

お手伝い先は、先々週からの継続の畑(跡地)の竹林伐採だ。

先週は野馬追を観ながら、少しうずうずしながら考えていた。「やるべきことがあるんじゃないか?」と。仕掛かりの竹林を絶対に終わらせかった。二つの理由から、この日の自分のテーマは「コンフォートゾーンを抜ける」と決めていた。作業に馴れると、自動的に楽ではないが辛くもない強度で働いてしまう。そこを意識して抜けよう、自分を追い込もうと。

南相馬市小高区でボランティア(援人 0729便)
度々自分を励ましながら働いた。しかし今日の小高は快晴で、やがて炎暑に。
屋外の日向の肉体労働は、どんな強度であれそもそもコンフォートゾーンにいることはできなかった。

水分補給や休憩も段々効かなくなり、終了時には体はふらふらに。

南相馬市小高区でボランティア(援人 0729便)
全体としては、前回を踏まえた事前段取りはうまくいき、かかり木作戦もよく、円滑に進んだ。次回こそ終わらせたい!
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南相馬・小高:またも竹林伐採 避難指示解除「前」と「後」で激変はない(援人 0715便)

Posted on 2016年7月18日. Filed under: Fukushima, Great East Japan Earthquake, volunteer | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0716便(活動日 2016年7月16日土曜日)、南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

7月12日火曜日午前0時を境に、南相馬市の20km圏内は(帰還困難区域を除き)普通に人が暮らせる町に戻った。この便は「人が暮らす町でお手伝いできる」最初の便となった。

避難指示解除「前」はできるだけ数多くお手伝いに行くことを目標としてきたが、これから先はややペースを落とし、ニーズの推移もしっかり見たいと思う。しかし今後さらに活動者数が減る見込み、という先週センターで聞いた話も気になっている。

常磐線が小高まで開通した日、取材を受けていた高校1年生。小学4年生のときから避難生活を続けているとか。若い世代が町を引き継ぐまでの間、やるべきことを黙ってやるのは大人の責任だ。

早朝、道の駅南相馬で読んだ福島民友。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

NDFが筆を滑らせた? あるいは観測気球を上げてみた? 福島第一原発の「石棺化」。浜通りの自治体も、地元紙(福島民友)も猛反発している。こうして未だに翻弄されているのだ。

7時前、常磐線の原ノ町駅へ。8人のメンバーをここで降ろし、7時15分発の電車で小高駅に向かってもらう。5年4ヵ月と10分の旅だ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

この日のお手伝いは、小高区南部の畑(跡地)で竹林伐採。5年で畑が竹林に覆われてしまったという。
避難指示解除の前も後も竹林伐採。急に何か変わるわけではない。やるべきことがあるなら精一杯やるだけだ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

作業環境は広すぎず狭すぎず。そうなると作業の単純度(繰り返し頻度)は高くなり作業負荷は上がる。最後はノコで手のひらにマメができかかるほど、なかなかキツい作業だった。

伐採、後処理班のペースに左右されないよう徐々に伐採、ほどよい量をかかり木状態に。ときどきあらぬ方向に倒れるのは要注意。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

玉切りは180cm、切断機を通さないため凸凹を気にする必要なく、伐採、枝払い、玉切り全てをカーブソー(Silkyズバット)でこなし、効率的だった。

昼、開店したばかりの谷地魚店さんを少しだけ覗く。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

ホッキ貝を取り置きしておいてもらったのだが、夕方取りに行ったとき、店は主婦たちで賑わっていた。

避難指示解除「後」の今日の小高の町の様子は、「前」と比べて大きな違いはなかった。

車も人もよく見かけたが、“ここに人がいるのはもう珍しくない。当たり前のことだ”という自分の意識の変化が、町を見る目を変えた気がする。

避難指示解除は、何かを劇的に挽回するものじゃないと思う。

1年待ち、3年待ち、5年も経ってしまった。
戻っていいよと言われたけど、それだけの年月は重い。戻る人は10人に2人にまで減ってしまった、ということだろう。

町の人たちは「ただちに」町に帰ることを断念したのではなく、少しずつ諦めていったのだ。

それと逆の流れを起こすのにも、小さなものごとを積み重ねていき、1年、3年、5年という区切りで見たら明らかに何か変わった、といえる状況をつくっていくことが大切だろう。

少しずつ人が戻れる感じに変えていくことで、人を呼び戻す。あるいは新たに呼び込む。
それをやる主体は町の人たちだが、ぼくらボランティアができることも、これからも変わらずあるはずだ。

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南相馬・小高:避難指示解除前最後のお手伝い完了 まだ先へ(援人 0708便)

Posted on 2016年7月11日. Filed under: Fukushima, Great East Japan Earthquake, volunteer | タグ: , |

ボランティアチーム援人、2016年7月9日土曜日(0708便)、南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

この便はぼくらにとって住民の方々の帰還前最後のお手伝いになった。7月12日、東京電力福島第一原発事故によって5年4ヵ月続いた避難指示がようやく解除されるからだ。

常磐道を深夜に北上。2時半、助手席に座った四倉PAから先は穏やかな雨が降っていた。

南相馬・小高でボランティア(援人 0708便)

朝、原町火力発電所の北側の烏崎海岸に行ってみた。目当ての馬の練習の人はいなかったが、こんな天気でもサーファーたちが出ている。

南相馬・小高でボランティア(援人 0708便)

朝礼、センター長のお話。

「最近の傾向、ボランティアが減った。以前は年間1.5万。今年は4,000人ぐらいになるだろう。引っ越し作業の依頼が増えている。要望は聞くのだがその日には対応できないことが多い。今月、ボランティアは300人を割るだろう。ブログを書いても無駄。先週、内閣府と県から5人、視察に来た。今後について、いつまでやるかと。エンドレスだと考えている。
帰ってくるのは主にお年寄り。木の伐採ニーズは終息に向かうだろうが、竹はまた生えてくる。国としては5年は継続してやっていきたいと。高速無料化も要望してみたが、話はよくわかる、ただ他省庁のことだからと。県には2年前から言っているが、無理か。一人でもボランティアに来ていただきやすい環境を作りたいが」

5回もの継続となったKさん宅の竹林伐採の追い込み、今回は全員この現場の経験者だ。
(さらに…)

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南相馬・小高:続く竹林伐採 活動の中で誕生日祝いをもらう(援人 0617便)

Posted on 2016年6月19日. Filed under: Great East Japan Earthquake, volunteer | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0617便、2016年6月18日土曜日の南相馬市小高区(避難指示解除準備区域)でのお手伝いの記録。

6月17日は誕生日だったが、見送りに来てくれたメンバー、参加メンバーから合計4回も誕生日のプレゼントをもらう。毎週続けているボランティアでは、人に何かを与えているという実感は得にくいが、一緒に足を運んでくれるだけでなくこういう心遣いをしてくれる仲間に対して、本当にありがたいと思う。

南相馬・小高でボランティア(ボラティアチーム援人 0617便)

朝、続々とやってくるボランティアたちが溢れるセンターで見かけた真新しい安全長靴。この時期になって初心者がまだやってくる(体感的には増えている)。驚異的なことだと思う。

南相馬・小高でボランティア(ボラティアチーム援人 0617便)

センター長の朝礼でのお話。

「発災から6年目。今、被災者さんはどういう思いか。行政と話をする機会があり、一部かもしれないが被災者に被害者意識がある、という指摘があった。しかし未だに自助もままならない状況に置かれている人も。新聞にこんな記事が。『仮設から公営住宅へ移った。自分ではもう大丈夫と思っていた。しかし涙が止まらない。故郷に帰れない、親しい人を亡くした。忘れられない』。まだ励ましが必要だ、それも通りいっぺんのものでなく、励まし続けることが大切だ。草を刈り、家を片付ける、そういうかたちで力になる。時間が許す限り当センターへ来てほしい」
(さらに…)

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