演劇

「そして今日も、朝日」(無隣館 福名企画)を観た

Posted on 2019年2月22日. Filed under: 演劇 |

「そして今日も、朝日」(無隣館 福名企画)を観に行った。アトリエ春風舎、2019年2月21日木曜日。

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一場物。リビングルーム、広島弁が飛び交うゆるい宅飲みに自分も居合わせる感じ、スムーズすぎて異常だった(褒め言葉)。

人がときどき入れ代わることでパッチワークされていく状況説明、くつろいだ前半あっての後半の緊迫。巧みな語り口だなぁと感じた。

さほど親しくなかったけどなぜか記憶に残っている、昔親しかったがある時期から疎遠になった──など、どこかしら関係に不完全感がある人の死は、いつまでも引きずるものかもしれない。なぜだろう。ストレートに悼むことができず、だから揮発させることが難しい気がする。

彼氏(≒死から距離感がある人)のおためごかしコメント、リアルだなぁと思った。こういうこと言う奴いるよなぁ、いや、そう打ち返すしかない場に居合わせてしまっただけ、というか。

由夏がなぜそのことを脚本に書いたのかをめぐって香緒里が詰問し、2人が感情をぶつけ合うシーン。それまで漂いはじめていた“死”や“暗いもの”が、部屋の床をメリメリと押し上げてくるような迫力を感じた。

冒頭の暗闇シーンと最後の香緒里の台詞の意味を考えている。
あれらがあったことでメインストリーム寄りの内容になったと思う。ないとしたらどうだったか。作・演出の福名理穂さんは、きっと観客思いなんだろうな。

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「霧の國」(冨士山アネット TPAMフリンジ)に行ってきた

Posted on 2019年2月12日. Filed under: 演劇 |

「霧の國」(冨士山アネット)──イマーシブ(没入型)・シアターと名付けられた体験型イベント──に参加してきた。

TPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)というプログラム群が横浜で何年か前から行われているが、このプログラムはTPAMフリンジというイベントの一つ。

参加者は受付で“入国審査カード”を書いた後、2グループに分けられてある“国”(会場)に“入国”する。国には常に霧が満ちており、視界はあまりよくない。

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入国者たちはあるシステムによって少数のエリートと多数の労働者に分けられる。労働者(ぼく自身はこちら側になった)は不毛な労働を強いられ、エリートたちはお茶を楽しみ話し合いをしているようだ。突如災害が起こり、国は汚染される。パニック。災害は人災ではという疑いが起こり、反乱分子が現れる。…という風に、90分の間に国の生々流転を凝縮したような体験をすることになる。

完全な暗闇の中で横たわり、目を閉じる時間があった。身分を仕切っていた壁が意識から消えた。こういうことなんだ、と思った。

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最後、参加者それぞれがある選択をした後プログラムは終わる。終了後に見た横浜の空はパッとしない曇天だ。しかし抑圧から解放された頭は、それを“明るい空、そして自由な国”と解釈した。驚いたが、小さくない収穫だった。

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「遊行権」(無隣館若手自主企画 vol.27 曽根企画)を観た

Posted on 2019年2月8日. Filed under: 演劇 |

「明日になって今の感動が失われるとしたら 尚更今のうちに言葉にしとくべきだろ 後で恥かくとか気にしてたら 誰かが評価したものしか評価できない人間になるぞ」

(「バーナード嬢曰く。」)

うん。っつうわけで。

2019年2月7日、「遊行権」(無隣館若手自主企画 vol.27 曽根企画)を観た。

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ちなみに無隣館とは青年団を主宰する平田オリザが作った若手演劇人の育成機関で、そこに属する人が平田氏に企画を提示、パスすれば自主企画として上演を許されるとのこと。東京・小竹向原のアトリエ春風舎で行われる(ことが多いと思う)。

避難所らしき場所で男女4人がダラダラと過ごしている。流れる倦怠。そこに数々の遊びが発出していく。子どもの遊び歌やティッシュを使った即興ゲームなど。

後半、サイコロが振られ偶然によって前半の出来事がリミックスされる。再演される内容は少しずつブレがある。遊びなのだが強迫性を帯び、それが徐々に高まっていくように感じられる。女性が配給物資のキャベツ(前半では大きなおにぎりだった)を大きく口を開け丸かじりする。その音が響くところで暗転。

前半は“何が起こるんだろう”“何を表わしている不条理劇なんだろう”と探りながら退屈に耐えたところもあったが、後半はほぼ没入しきっていた。反復しながら逸脱していくのが遊びの本質だと考えれば、前半・後半の構成や演出は見事なハマり感があった。

こういう不条理劇の面白さって何だろう?

筋道がきちんと語られるわかりやすい物語と不条理劇は、おそらく1と0ではない。条理からいくつかのネジや柱を外せば不安定な構造物になる。それを観るとき人の頭は高速で働きはじめる。その没入・沈潜・陶酔は面白さにつながり得る。ここまでは考えた。

ところで、初日だったのでポストパフォーマンストークがあった。
演出の曽根さん、ドラマトゥルグ(←という役割が演劇にあることを初めて知った)の朴さんの対談だったのだが…これを聴いたことを途中から後悔した。

話のキーワードとしての“切実な遊び”や、地震の避難所体験(幼い頃に阪神淡路大震災を経験したとのこと)などのモチーフを知ってなるほど、と腑には落ちた。ここの演技はインプロだったとか一場・二場の時系列だとか知って意外さも感じた。

しかしそういう“答え合わせ”に立ち会わず、余白を残したまま帰った方が幸せな観劇体験だったんじゃないかと思った。あがいても名付け得ないモヤモヤが浮かんだのは確かだ。それに外から理路を注入しても自分内の答えとは別物だ。(ベケットやイヨネスコが生きていたとして、観劇後に「この台詞はどういう意味なんですか」みたいな質疑応答をやりたいだろうか?)

次から気をつけよう、と思った。

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「海底で履く靴には紐がない ダブバージョン」(オフィスマウンテン)感想

Posted on 2019年1月17日. Filed under: 演劇 |

なかなかバタバタしていてやってる場合じゃないけど、感動を忘れないうちに書き殴っておく。

こまばアゴラ劇場で「これは演劇ではない」というフェスティバルが行われており、今年に入って正月3日からもう6本と、かなりハイペースで芝居を観た。結構疲れた。

で、なかでも一番印象に残ったものがある。昨夜(2019年1月16日)観た、オフィスマウンテン『海底で履く靴には紐がない ダブバージョン』だ。


山縣太一という、雰囲気的にはムロツヨシにもちょっと似た俳優による一人芝居。

yamagata

はじまった瞬間“あ、ダンスか…”と少しガッカリした。前衛的ダンスみたいな演目は実はこれまでも観に行こうと思ったことがあるのだが、予習としてYouTubeで観たりしてもよさがほとんどわからなかったからだ。

が、観ながら痛感していた。舞台で行われる生の演技をリモートで観るというのは、言ってみるなら超高級な霜降り肉をラップをかけた上からペロペロ舐めているようなもので、まったく伝わらない。だからわからなかった。愚かだったなぁ、俺は。

スーツを着た彼が、自分の身体に違和感を感じているようなおかしな所作を繰り返す。SF映画で、エイリアンに身体を乗っ取られた人物が一つの身体の中に複数の意思が存在するような動きをする、そんな感じだ。
“これ、随意筋を不随意運動のように扱ってみるダンスなんだろうか?”
“人の身体でやるパルクール(動作鍛錬)みたいなものかな?”
目の前の奇態な動きを自分のボキャブラリーでなんとか分類しようとしながら観るうち、やがて没入していた。

面白いのは、彼のダンスは会場の動きにも影響を受けることだ。客が誤ってスマホを落とすと反応する。別の回では、外を走る電車の音(こまばアゴラ劇場は井の頭線の音が少しだけ聞こえることがある)、観客のシャッター音(スマホでの撮影を許可した回もあったらしい)などにも応えたらしい。

後半、彼が“ちょっとちょっと、ぼくの話を聞いてくれるかな?”と言葉を発しはじめた。舞台中央の二つのイスにいる架空の人物に向かって話すように。サンプリングのようにその言葉は繰り返され、しかし少しずつブレていきながら状況を明らかにしていく。男は同僚の男女に語りかけており、3人で居酒屋へ行こうと誘う。男女は社内恋愛をしていることがやがて明かされる。
こう書いてもちっとも伝わらないだろうが、男の逡巡や忖度やいやったらしさやみじめさが伝わってくる、日常の断片描写なのだ。

全身を総動員したポエトリー・リーディングのようだな、と思った。

最後。架空の男女と居酒屋で酒を飲むとき彼らにタバコの煙がかからないように、唇を“こうしたの”という言葉と口の動きが繰り返される。が、口は“こう”(タバコを吹きかけない)という動きにはならない。観客のうち何人かと1人ひとり目を合わせて、そのジェスチャーを憑依させようとしたようだった。
なんだこりゃ…(驚き+賞賛)。


これ一体ジャンルは何なんだろう。こういう境界線上の面白さってあるものなんだろうか(あったのだが)。

オフィスマウンテン/山縣太一、覚えておこう。ちなみに彼はあの(どの)「チェルフィッチュ」の所属俳優でもあるらしい。

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感想:高校演劇サミット2018 盛岡市立高校, 都立世田谷総合高校, 精華高校

Posted on 2018年12月31日. Filed under: 演劇 | タグ: |

高校生がやること、たとえば高校スポーツは大人≒プロを頂点とすれば七~八合目、つまり途上といえるだろう。しかし「高校演劇」はその相似形ではなく、プロの劇団とは別の山頂をめざしているような気がするんだ。それほど高校演劇はすごいと思う。

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高校演劇サミット、2018年12月29日土曜日(3日間の最終日)。こまばアゴラ劇場で岩手、東京、大阪、三校の芝居を観た。

(さらに…)

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「ただいま」(劇団こふく劇場)がすごかった

Posted on 2018年12月14日. Filed under: 演劇 |

「ただいま」(劇団こふく劇場)を観た。こまばアゴラ劇場、2018年12月13日木曜日。

期待は高くなかった。しかし観て驚いた。

ただいま

宮崎県からはるばるやってきた劇団であること、「ただいま」というぬるいタイトル、台詞は宮崎弁で話されると開演前アナウンスがあったこと──などから、あぁそういうのね、とナメていたのだ。

思えば、古民家を擬したような民芸調のセットも油断の原因だったが、ちゃぶ台がシンメトリーに二つ並んでいるという変な配置であることに疑問を持つべきだった。

役者は基本的に正面を向く。場面転換の際、能のすり足のように入れ替わる。
ト書きが、後部に控えた役者たちによって、能の囃子のような体(てい)で、独特の節のついたユニゾンのような調子で朗唱される。

このように構成にはまった様式的な立ち居振る舞いの中、“妻の失踪”“お見合い”“父と娘”といった掌(たなごごろ)サイズの物語がパラレルに演じられていく。役者たちの演技がとても強く、ドラマがずんずん畳みかけてくる。会場には涙を流す人もいた。

ト書きはときに人物たちの内面・妄想を描写するのだが、その広がり具合が「意識の流れ」のようだなと思った。

太平洋戦争の死者が幻影として現れたり、福島第一原発の被害(と思われるもの)が言及されたり。生と死の移ろいが匂わされてもいた。

“演劇でなければ立ち上がってこない何か”がみっちり詰まってた。
(しかし演劇でなければ…って何だろう。腑分けしていっても力が及ばない気がする。)

宮崎県の人口2万人の市の、町営劇場を拠点とする劇団だという(たとえば東京都中央区の人口は14万人だが、こんなに質の高い劇団があるのか? ぼくは知らない)。そんな劇団でありながら、今年から来年にかけて札幌から沖縄まで10都市の公演を行っている。

今年のベスト3に数えたい。すごかった。

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うさぎストライプ「空想科学II」を観た

Posted on 2018年11月30日. Filed under: 演劇 |

さっきTwitterを眺めてて思ったんだけど、少しだけリアリズムの乏しい演劇を評して「不条理」っていう思考停止ワード使うのやめてくれよ、と。

うさぎストライプ『空想科学II』を観た。こまばアゴラ劇場で。

この劇団は前の(「ゴールデンバット」)もよかったので、期待していた。
で、やっぱり面白かった!

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冒頭、女とベッドを共にしている男の頭に斧がぶっ刺さって死んでる(しかし普通に振る舞う)という強烈なシーンから、話にぐいぐい引っ張り込まれていく。うまい。

2人の物語とパラレルに展開される誰かの葬式らしきシーン、保険の営業マン2人…と話が積み重なっていく。そして眠りから覚めることができない男、というループ物的横軸も。
時制(いつの出来事か)と主観(誰の物語か)が混濁しているんだろう、ぐらいは観ていて想像できる。で、やがてそれらが糾合されていく過程は叙述トリック的な味わいがあった。

小劇場芝居の制約にして強みといえるだろうが、大きなダブルベッドがドーンと鎮座する一シチュエーションの舞台に話がどんどんばら撒かれていき、そして最後にはちゃんと畳まれた。

今年観た芝居のベスト3に入るぐらいの良作。客席は常にあったまってる(好意的な)感じで、終劇後の拍手もかなり大きかった。

後半の「〇〇君てさ、本当にいたの?」にはゾッとした。仮に〇〇がいなかったらどんな話になるのか。 あと、〇〇を持って彷徨ってた彼の主観では無限牢獄だったはずだよな。
時制と語り手のこんがらがりを解きほぐしつつ、もう一度観たいかも(ついでに、物語構造を把握したら次は登場人物の思いをよく感じてみたいかも)。

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