映画

映画「サラの鍵」:フランス・ヴィシー政権下で起こったユダヤ人を強制連行事件

Posted on 2017年4月19日. Filed under: 映画 |

DVDで映画「サラの鍵」を観た。

第二次大戦中、ドイツに敗北したフランスにできたヴィシー政権下で起こったユダヤ人の大量検挙事件「ヴェルディヴ(競輪場)事件」をモチーフにしたもの。

パリのユダヤ人街マレ地区では1万人ものユダヤ人が検挙され、競輪場に非人間的な状態で数日間監禁された後、アウシュビッツなどに送られた。もちろん大半の人が生還できなかった。
(さらに…)

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「ヴィジット」(M・ナイト・シャマラン)感想:大作ではないが復調の兆しか

Posted on 2017年1月26日. Filed under: 映画 | タグ: |

映画「ヴィジット(M・ナイト・シャマラン監督)」、ブルーレイで観た。

才能というのは量的に計れるものではないと思うが、よくいわれる“枯れる”は、本当にあるんだろうか。
彼を「シックス・センス」の監督だと思っている人はとても多い。が、(今振り返ってみれば)黄金期は「アンブレイカブル」「サイン」「ヴィレッジ」だと思う。「エアベンダー」を撮ったときはもう終わりだ…と思ったが、この映画を観て、復調の兆しがあるかも、と感じた。

大作ではない。IMDbの評価も6.2/10だ。
音楽がジェームズ・ニュートン・ハワードじゃないのも一つ魅力を削ぎ落としているかも。

しかし彼はやはり巧いのだ。画面の「間」にも「無音」にもことごとく意味があるような、“映画的”な映画をつくれる監督だと思う。

あと、彼の底流にあるテーマは、“壊れ(かかっ)た家族の修復”なんだなぁと今回も改めて思った。

ディスクに収録されていたインタビューで彼はこんなことを語っていた。

「原点回帰」
「キャスティングは監督の仕事の8割」
「ぼくがバスケ選手なら、ストリートバスケに挑んだのが本作」

納得できる言葉だなぁ。

彼にはまだ期待できそうだ。まだ新作が控えているようだし。

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「裏切りの街」(監督:三浦大輔 主演:池松壮亮×寺島しのぶ)を観た

Posted on 2017年1月15日. Filed under: 映画 | タグ: |

映画「裏切りの街 」(監督:三浦大輔 主演:池松壮亮×寺島しのぶ)を観た。

去年12月に「何者」を観て監督に興味を抱き、DVDで「愛の渦」「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を観てさらに興味が深まり、この新作(といっても元はNTTドコモのdTVというサービスのために制作されたドラマ)が短い間だけ劇場公開されていると知った。が、東京ではもう終わっていたので、仙台まで行った。

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フリーターと主婦の不倫を描いた映画だ。

この監督は、性愛を主題に人間の心の機微を描くのが巧い。人が笑い話にしたり、記憶の底に閉じ込めてしまったりするようなことを観察する目線があるからこういう話がつくれるんだろう。だからこれを「不倫映画」と括ってしまうと、沢山のものがこぼれる。

主人公(池松壮亮)がこんなつぶやきをするシーンにハッとした。

“俺って俺ってひでえ人間だなぁ、って思う。
だけどそう思った後に、俺って意外にやさしいんだなぁ、って思ったりして。”

不倫の二人はそんな話をした後で、下着姿のままテレビに映るサンドウィッチマンのトークに笑う。

少し思い当たる。あるある! すぎはしない(この人間観察ヤバいなってほどでもない)。身に染みすぎるというわけではない(そこまで教訓的でもない)。でも、ただこういうつぶやきが身体にすうっと入ってくる。
いわば、絶妙な味つけのスープ。人間はこういう卑下や憐憫や自己正当化の間をうろうろしながら生きているんだな、と気づかされる。

このシーンでふと思い出したのは、20代の頃読んで深い印象を与えられたジェイムス・ジョイスの「死者たち」だ。どんな小説か、深く心に刺さった理由は何かなどは割愛するが、さっき後半部分を再読してみた。

巻末の解説で、訳者である高松雄一氏がジョイスの手法をこう評していた。

「『事物の塊が、その本質が、うわべの衣装をぬぎすてて、われわれに飛びかかる』啓示の瞬間を捉えようとして」いる、と。

それに少し近い。

“ちなみにこれ、ユニクロだから”(佐藤仁美演じる寺島しのぶの妹)とか、この映画の光景の中だからこそ水を得ている台詞が他にもいくつかある。

重すぎはしない。でも軽くもない。なんだこの味わいは…という複雑味のある映画だった。

観客はほとんどいないのでは、という予想に反して、2割程度は入っていた。ぼくの右隣はシニア夫婦、左隣は20代女性、その隣は30代男性だった。仙台、文化度高いなと思った。

彼らがこの映画を観て何を思ったのか、少し話を聞いてみたかった。

この日仙台は雪がちらつく天気で、映画館を出た20時過ぎには2~3cm積もっていた。

適当に入った店で喜多方の「飛露喜」と共に仙台牛の刺身や青森・横浜町のナマコを食べ、駅前泰陽楼で麻婆豆腐焼そばを食べた。

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映画「何者」を観て、小説「何者」を読んだ

Posted on 2016年12月9日. Filed under: 読書, 映画 |

おそらく今日(2016年12月9日)でロードショー公開が終わった映画「何者」を駆け込みで観て、

何者 – 映画・映像|東宝WEB SITE
何者

そしてすぐに小説を読んでみた。

何者(朝井 リョウ):Amazon

ネット上で感想の断片に触れたりして記憶に引っかかっていた。で、意外な面白さに驚き、ある点(後述)について確かめたくてすぐに小説も読んだ。
以下、そのざっくりまとめ。

「何者」とはどういう意味か

物語は、さまざまな考えを呑みこんで就職活動を戦い、内定を得ることで社会に認められよう、つまり「何者」かになろうとあがく若者5人を描いている(実はこのタイトルに込められたもう一つの含意は終盤に明かされるのだが)。いわば就活ドラマだ。

しかしこの映画はネット時代の我々は「何者」かと問いかけていないか?

この映画では小道具としてTwitterが非常にうまく使われている。原作の小説もそうなのだが、小説は物事をリニアにしか提示できないが、映画では人物の行動とTweet(つぶやき)がオーバーラップするシーンが度々ある。その内容がちぐはぐであればあるほど、今や当たり前になった「日常生活についてちょくちょくネットでつぶやく」行為に対する異化効果が(小説以上に強く)生じていると思う。

楽しい飲み会の中にいて、スマホでTwitterをやっているお前は「何者」だ?
エアリプを飛ばし合うお前と相手は、誰に向かって「何者」として振る舞っている?
裏アカで暗い本音を吐き出すお前は「何者」だ? 現実のお前と統合されているのか?

…といった問いかけが行われているような気がした。

人は何かを吐き出し、他者と相互作用することで自己を形作っていく。テクノロジーの進歩は人がアウトプットする「場」「形・長さ」「頻度」を変えてきた(例:Twitterばかりやっていると長文が書けなくなる≒まとまった長考をしづらくなる)。

空想、妄想、公言しづらい暗い想念などは昔の人も持っていたものだろう。が、それをネットで吐き出せるようになった。それによって即座に人とつながれるようになり強化してきた現代人の「自己像(何者であるか)」は、それ以前とはだいぶ様変わりしてきたはずだ。

映画の中で、主人公たちのフラグメント化した自己が交錯していく様子を見ながら、これは若者の就職活動(だけ)を描いたものではない作品になっているなと感じられた。

少なくともぼくはそう感じたのだが、次に、原作の小説からしてそこまでを意図して書かれたものなのか、それともこの映画の監督が広げたのか、映画のイマジネーショナルな表現から自分がそれを掬い取っただけのかを知りたくて、すぐに小説を読んでみた(A)。

メタミステリー/叙述トリックを描く演出に驚き

少し脱線。「何者」は叙述トリックの側面がある作品だ。
主人公のモノローグが多くを占めている小説版でなく、内面を抑制して描きつつ進んでいく映画版の方が、“それ”が判明したときの驚きが強い。それだけでなく、その暴き方は主人公が取り組んでいた演劇をモチーフにした演出になっている。非常にドラマチックで映画版の独壇場であり、圧巻だった(映画好きはここだけでも観る価値があるんじゃないかなぁ)。

三浦大輔という監督はなぜこういう引き出しを持っているんだろう、と調べてみた。

三浦大輔 (作家) – Wikipedia

なるほど、自ら「ポツドール」という劇団を主宰している、つまり演劇に深い造詣を持っている人なのか。納得できた気がする。

映画版のよさと小説のよさ

疑問(A)を確かめるため、映画を観た後で小説を一気に読んでみた。
登場人物たちの性格造形や心の機微がより細やかに書かれているなど、小説ならではの点がある。そして小説版から感じ取れたのは、瑞月の

「十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ。何度も言うよ。そうでもしないともう、見てもらえないんだよ、私たちは。百点になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって」

といった熱量の高い言葉に象徴されるように、理不尽な状況に打ちのめされながら、何者かになろうと戦う若者たちの物語として読まれるべきだろう、ということだ。

とりあえずここまで。

(ここまではネット上のレビューなどは一切見ずに書いた。後で見てみる予定。)

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黒澤明の「七人の侍(4K上映)」を観る

Posted on 2016年11月3日. Filed under: 映画 | タグ: |

「七人の侍 4K」、日本橋で。
休日のこのチケット獲得は激戦だった。そして今日は「満席」と表示されていた。

黒澤明の名画を観るたび日本人でよかったと思う。同じ日本人にこんな巨匠が…ではなく、この監督の映画に出会いやすい環境=日本に自分が生まれてよかった、という意味で。

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何度も観ている映画なので全体を通して大きな感動はなかった。しかし勘兵衛(志村喬)が初めて登場するシーン、続いて勝四郎(木村功)、菊千代(三船敏郎)が現われたところでは、これから物語が始まるのだなと自分でも意外なぐらいワクワクした。

そして今回もやはり目を奪われたのは、画面からはみ出すほどの躍動感溢れる菊千代。おふざけ、慟哭、全てが野太い(三船敏郎のスケールの大きさが一番出ている黒澤作品は「酔いどれ天使」だと思うが)。
また茂助(村外の家を捨てた男)や万造(志乃の父)などの農民たちも、ときに利己的に振る舞うが地べたで懸命に生きるリアリティーがにじみ出ていた。

今回、新たな気づきがあった。脚本(挿話、台詞)や細かな演技などによって、主役たちのキャラクターの描き分けが何度も何度も、とても丁寧に行われているということ。これは一回観ただけでは気づかない点が多いだろう。

「七人の侍」はとてもわかりやすい映画なのだ。だからこそ名作として残ったのだろうなぁ、と思った。

ついでに。4Kになっても修復できないのは役者の滑舌だ。志村喬は「菊千代(きくちよ)」をちゃんと発音できていない。終盤、菊千代が斃れるシーンでは駆け寄って「きぅちよ! きぅちよ!」と絶叫している。

ついでに。 左卜全という俳優は無学で愚鈍な人物を演じさせたら右に出る者がいないほど絶品だ。今の日本の俳優で、彼とオーバーラップする人がいない。日本の“物語”はもはや彼のような人物造形を求めていないから? そんなことはないと思うのだが。

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「生きる」(黒澤 明)の4K版上映を観た

Posted on 2016年9月30日. Filed under: 映画 | タグ: |

TOHOシネマズ日本橋で「生きる」(4K上映)を観た。

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観ているときはさほど感じなかったが、劇場の記憶をもったままDVDを観てみると違いが明白だ。

4K版は画面がかなり明るくなり(それによってディテールがよりハッキリと見え)、くぐもっていた音がクリアになり、画面のチラつきはなくなり、プツプツいうノイズも消えている。画面上のどこにピントが合っているのかもよくわかるようになった。すごい。
ただし左卜全の酔って呂律のまわらない台詞は聞き取りやすくなっていない(オチ)。

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「生きる」はぼくにとっては黒澤映画の中でも別格で、何度も観たのでもう身体に浸みこんでいるはず。
しかし今回観て新たな発見・感動があった。

一つ、一番好きな「ハッピーバーステー」、主人公渡邊がとよとの会話から“生き直す”きっかけを得るシーン。女子学生たちの誕生パーティー前の様子がより明瞭に、歌声がより軽やかになっている。このシーンの迫真力は増した。

二つめと三つめ。
渡邊を夜の世界に連れ出す小説家(伊藤雄之助)と、転機を与えるとよ(小田切みき)の顔貌の描写力が増したことで、この映画の構造と二人の役割の重要性をよりはっきりと感得できた。
特に小田切みきがすごい。生気が横溢するギラギラした目、所作、笑い。演技は粗削りだが、ベテラン志村喬と堂々と渡り合っている。
彼女ほどケーキやお汁粉やすき焼きをうれしそうに食べる女優が、他にいるだろうか。


この映画を「今」観たことには、自分にとって意味があった。

渡邊勘治が、公園予定地の視察で不潔な水たまりに靴が濡れるのも構わず突っ込んでいくシーン。

先週お手伝いした岩泉のお父さんが話してくれたことを思い出したのだ。
こないだ町役場の人間がやってきた、革靴で。水たまりをよけながら歩いてたよ、と。土石流でやられ水道も電気もない場所に不用意な恰好で来たことを怒っていたのだ。「革靴で」と何度も言っていたのを覚えている。

「生きる」は普遍的な物語だが、単なる寓話ではないと思う。いわゆる役人根性を批判しただけのものでもない。
射程はずっと長く、観る度に突き刺さってくる。

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「白光」「身毒丸 ファイナル」「サムライ 評伝 三船敏郎」「安宅」「ふるさとの伝承/北海道・東北」「髑髏城の七人」(お盆に読んだもの観たもの)

Posted on 2016年8月16日. Filed under: 読書, 映画 |

2016年8月のお盆に読んだもの、観たもののメモ。

「白光」(連城 三紀彦)

少女が殺され、独白などの形で“犯人”が次々現われては覆され、予想し得ない結末に向かっていく。工夫を凝らした語り口はなかなか面白かったが、人物のディテール描写があっさりしているため、頭の中で具体的な人として像を結ぶには弱い感じ。だからあまり思い入れできず、ストーリーに感心するだけになってしまった。
また、「戦地での体験」というのはジョーカーで、ちょっと手垢がついたモチーフという気もした。

「身毒丸 ファイナル」

評価が高いので借りてみた。なるほど藤原竜也はここからだったんだねぇ。そして演劇ってここまで自由なんだなぁ、と。異形のセットや登場人物が多いだけに、画質が残念。より鮮明な映像だったらもっと心動かされたかも。

「サムライ 評伝 三船敏郎」(松田美智子)

三船が出演した映画にまつわるエピソードなどを期待して読んだが、そういった内容と同じぐらいボリュームを占めるのは離婚裁判や三船プロダクションの隆盛、分裂、衰退の話。その点ではちょっと期待外れ。

しかし印象に残ったところも多数あった。
三船は終戦を九州の特攻隊基地で迎えた。上等兵として、まだ大人とはいえない特攻隊員たちを送り出す立場だったという。
終戦後、しばらく横浜・磯子に住んで復興工事の仕事をしていた(磯子から世田谷・砧のスタジオまで歩いて通ったこともあるという)。
俳優になってからは出演者だけでなくスタッフをとても気にかける気遣いの人で有名だった。
「赤ひげ」以降、黒澤作品への出演がないことから噂された黒澤明との不仲説は、近しい人たちは否定している。
50数本も共演をした志村喬との家族同様の付き合い、そして最後の共演となった撮影現場での話。
最晩年、認知症が進んだ三船の元に、かつて泥沼の離婚裁判の末に別居した妻・幸子さんが戻る。しかし三船は妻を見分けられず「おばさん」と呼んだという。

読み終わってしばらくして思うのは、繰り返し強調されるほど気遣いの人だった彼が、なぜ寂しい晩年を迎えなければならなかったか、だ。一つの見方だが、彼は壮年以降「経営者」となり、多くの人が彼との関係にお金や打算を介在させていたからでは…。だから失敗した経営者である彼に、多くの人は冷たかったのでは、などと考えてしまった。青臭いか。

あとがきに筆者が勧める三船のベスト作品がある。このうちぼくが観ているのは「酔いどれ天使」「蜘蛛巣城」だけ。三船は生涯で150本の映画に出たとか。まだまだ楽しめるなぁ!

ちなみに「酔いどれ天使」は、黒澤と三船が組んだ作品の中では(三船の黒澤映画への初出演作だが)最高傑作だと思う。主人公はアウトロー医師を演じる志村喬だが、ヤクザ役の三船が彼を、というか映画全編を食っている。この映画をこれから観る人が羨ましい。

「安宅(能楽名演集 能『安宅』 喜多流 粟谷菊生)」

「安宅(能)」と「勧進帳(歌舞伎)」をちゃんと観てみたいと思っていた。

「笈をおっ取り肩にうちかけ。虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心ちして。陸奥の国へぞ、くだりける。」が、大好きな黒澤映画「虎の尾を踏む男達」の由来なんだと初めて知った。

「NHK ふるさとの伝承/北海道・東北 3」

リンク先は「北海道・東北」が全編入っているものだが、レンタル用はディスク一枚ずつ分割されているらしく、「3」には以下の5本が入っていた。

  1. 神楽が守る里 岩手県早池峰山麓の一年
  2. 早池峰に神が舞う 岩手県大迫町
  3. 桐の里は雪の中 福島県三島町
  4. 党屋が支える祇園祭 福島県田島町
  5. 若者が生まれ変わる山 福島県東和町の幡祭り

東京国立近代美術館フィルムセンターで行われている「ドキュメンタリー作家 羽田澄子」という企画上映のうち、「早池峰の賦」を観たかったのだが、行けなかった。

興味が湧いて調べてみると行き当たったのがこのDVDだ。岩手・大迫町(おおはさままち)の「早池峰神楽(はやちねかぐら)」を記録したドキュメンタリー2本、とてもよかった。
そして同じく収録されていた福島・旧東和町の「木幡の幡祭り」、こみいった成人の儀式がとても面白かった。
ウェブでは隠津島神社のサイトの説明がやや詳しい(が、番組中でも説明されているが、3年かけてやる行事を1年にまとめたり、年々簡素化されているという)。

「髑髏城の七人」

異様に面白かった「歌舞伎NEXT 阿弖流為(アテルイ)」は一体なんだったのか? と色々調べてみて突き当たった源流は、劇団☆新感線の“いのうえ歌舞伎”(脚本はあの中島かずき!)らしかった。で、なかでも傑作らしい「髑髏城の七人」(2011年版)を購入、お盆に観ようと取っておいた。

画面全体から溢れるすごい熱量。180分が60分ぐらいにしか思えない濃密さ。
しかし観終わってかなり疲れた。やはりジャンル越えの面白さだなぁ。これを観ずに死ねるか、って感じだ。

2017年に東京・豊洲にできる劇場のこけら落としで「髑髏城の七人」の新バージョンが上演されるらしい。(観られるかどうかわからないが)とても楽しみだ。

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