「集中力はいらない(森 博嗣)」感想:発散思考が重要, 自信を持たずだらだらとやれ, 学ぶだけでなく考えろ

Posted on 2021年12月9日. Filed under: 読書 | タグ: , |

集中力はいらない」(森 博嗣)、読了。

この本は、ちまたで集中力が必要だとされる取り組み・場面(例:仕事)で集中力など不要だ、と主張しているものではない(その意味では正しく球を打ち返していない)。そうではなく、森博嗣氏自身が知的な営みをするうえで集中力にこだわったりはしていない、と説明している本だ。
その内容は、全面的にではないが──主観では半分ぐらいだろうか──“集中力神話”に対する、エキセントリックだが説得力ある反駁になっていると感じた。

以下、自分用まとめ(引用多め)。

●長く同じことに集中できなくても問題はない

「子供のときの僕は、大人が「やりなさい」と言ったことには集中していなかったが、少なくとも、自分がやりたいこと、自分が考えたいことには集中していた。これは、僕の「集中」であるが、一般的なやるべきことへの「集中」ではなかった。また、同じことを長くは続けられないけれど、僕にしてみれば、同じことをずっとしているよりも、沢山のことを少しずつでもやれば、その一つ一つについては集中できるし、しかも効率が良い、ということを感覚的に知っていたのである」

他者に求められるスペックとしての「集中力」を満たしていなくても問題はない、という話。その通りだろう。

●集中できない人ならではのプラクティスがある

「僕は、集中して執筆できるのはだいたい十分間くらいですね。十分間で千文字ほど打てますが、そこでもう疲れるし、厭きてしまうので、ひとまず別のことをします。たいてい、工作をしにいくとか、庭に出るとか、犬と遊ぶとか、あるいは、ネットでどこか面白そうなサイトを探すとかです。それで、その別のことをしている間は、今まで書いていた文章の内容をすっかり忘れていて、考えもしません。そういった別の作業が、五分間だったり、幾つか回って二時間だったりするわけですが、またパソコンの前に戻ってきて、そこにある文字を見て、今の仕事を思い出すわけです。それで、また十分間くらい集中して指を動かします」

彼はこの(傍から見ればとても気が散っているように見える)スタイルで小説を書いているのか。すごいと思うが、集中している10分間はきっと脳が常人よりもはるかに超高速回転しているんだろう。

●研究(≒知的創造)では「発散」こそが必要

「目の前に問題がない。問題は自分で探し、自分で作らなければならない。そして、その問題を解く。どうすれば良いのかは、誰も教えてくれない。問題の答は世界中のどこにもない。それが本当の「問題」であり、それが研究というものだ」

  • 知的創造の「発散」フェーズでは、一つのことしか考えない「集中」は逆効果だ
  • 自分の中に「きょろきょろとしている人」と「その人を監視している人」が必要で、森氏の場合はこの人たちが何組も働いているという

●「集中しなさい」の前時代性

「社会が人間に「集中しなさい」と要求したのは、結局は、機械のように働きなさいという意味だったのだから、そろそろその要求自体が意味を失っている時代に差し掛かっている」

  • 人が集団を形成することで生活に余裕が生まれた。そして個人は「一つのことに集中しなければならない状態」から「複数の対象に興味を抱ける状態」に移れるようになった。容量の大きな頭脳を持ったことと相まって、ますます好奇心を発現させる機会が増えた

●リーダーは分散思考こそ必要

「リーダとは、自分が抱える部下たちに「問題を与える人」のことである。問題は、リーダが作るのだ。さらに上から与えられるという場合もないわけではないが、それではリーダが必要ないし、いずれその組織は傾くだろう。新しい問題を見つけることがリーダの役目なのだ。問題を作るには、どこに集中すれば良いだろうか。ある程度の候補は幾つかあるはずだが、しかし、できるだけ広い範囲に興味を向け、ここに解くべき問題(つまり仕事)がありそうだ、というところを探す。そんな分散型の作業になるはずである」

●分散思考では「自信を持たないこと」が重要

  • 自分を低く見る、馬鹿だと思い込む。そうすれば問題に対して謙虚になり、どうせ解けないのだから駄目元で、とだらだら考えることができる。

「だらだら」はポイントかもしれないな。

●やるべきときは後ろ向きのままやれ やる気や締切には依存するな

勉強も仕事も、遊びみたいに楽しいわけがない。苦しいのが当たり前でしょう。人間は、苦しいことでも、将来の利益のために行動ができる、ということをもう一度認識した方が良いと思います

認識すべきといわれても…という気がするが、「やらないと困ったことになることならば」後ろ向きのままただやればいいのだ、という。

もしかしたら現代人の仕事観は、

“やる気を持つべき”
“やることを好きになるべき”
“本当は楽しくなるはず”

といった観念に縛られすぎているのかもしれないなぁ。

●集中しない=複数同時進行のメリット

  • 新しいことを始める際も、リソースを大量に割くわけではないので抵抗なく気楽に始められる

「同時進行だからなかなか完成しない。しかし、いずれは完成する。途中のままで終わってしまうものは滅多にない。また、新しいものをいつでも始めることができる。扱う対象が一つ増えるだけなので、始めることに大きな抵抗がないためだ」

この部分は本当にそうかな? と思う。「それだけに集中していないため、常に冷静に、そして客観的な評価眼によって、それを見ることができ」るというメリットは確かにあると思うが…。

●学ぶ(知識のインプット)だけでなく「考える」「作る」ことをやっているか

「「学ぶ」ことは沢山あるから、どんどん価値観やノウハウのデータを吸収する。学んだことから、それに則して反応すれば、学校の成績も維持できる。もし、新しいものが現れたり、わからないことがあれば、ネットで検索すれば良い。こういった社会に育つと、「考える」チャンスがほとんどないといっても良い。多くの場合、頭に思い浮かべて、ただ選択する、あるいは反応する、という程度である。それが「考える」ことだと思い込んでいる。また、大多数の人たちは、「学ぶ」ことが「考える」ことだと勘違いしている。「学ぶ」とは、頭にインプットすること、知識を入れて覚えるだけのことだが、「考える」とは、それらインプットしたものを用いて頭の中で理屈を組み立てること、仮説を作ることなのである。脳の活動として、まったく異なっている。」

ここは確かに! だなぁ。

●情報摂取やSNSでのつながり確認は半分にして「考える」「作る」ために時間を使え

  • 情報のほとんどはノイズであり、「無料だからもらっておこうと許容しているために降りかかってくるにすぎない」。
  • SNSでのつながりなどは「形骸化し、単なる「手続き」になっているのだから、発する方も受ける方も、アプリで済ませられるはず」。

周囲を気にする時間、周囲とのつながりを確認する時間は、今の半分にして、その分を「考える」そして「作る」ために使うことである」と。

うん、なるほど。

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