令和3年8月佐賀豪雨:床下潜りの3日間 なぜ被災地に行きたいのか?(ボランティアチーム援人 2021年 1021-24便)

Posted on 2021年10月28日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

2021年10/21(木)夜に飛行機で東京から福岡へ、その後佐賀に移動し、22日(金)から24日(日)まで4日間、佐賀県大町町でお手伝いしてきた(コーディネートはOPEN JAPAN)。そのメモまとめ。

久しぶり、夜の羽田空港。当たり前だが大半がビジネスパーソンだった。

SFJ053便、18:30羽田→20:25福岡。

夜、福岡空港でメンバー3人合流、レンタカーで佐賀へ向かった。

朝ラン。5時台は真っ暗、そしてもや。白石町のYでほうれん草入り玉子のサンド、大阿蘇牛乳入りパン。Bad:スーパーTRIALにも行ってみたが現金決済のみ(忘れてた)、ローソンでSuica決済したらお店の人がミスってあたふたし、後ろの男から急かされる。気分悪くなった。

さすが佐賀新聞。「ゾンビランドサガ」にさらっと言及してるぜ。

10/22(金)。

佐賀県杵島郡大町町。“それどこ?”って人が(特に首都圏には)多いだろうから説明すると、2019年に大雨で内水氾濫が起こり、町内の工場から流れ出した黒いオイルに覆われた一帯の空撮映像が、何度も報道された町だ。
そして今年もまた8月の豪雨で、前回よりもさらに高く浸水してしまった町なんだ。

きょうは1日め。
1.5mぐらいの高さまで水が来てしまったお宅で、床下のブラシがけ、カビを防ぐための消毒液散布のお手伝いをした。
部屋数が多く、増築をしたためか床下に段差があったりいり組んでいたり、なかなか苦戦した。昼以外はほとんど休まず潜り続け、15時半にはニーズを完了。

依頼主は、「前回は必死で片付けたけど、今回はねぇ…」と力ない様子だった。

災害からの復旧のため、政府や行政がやるべきことがある。同時にぼくら個人にも、励ましたり祈ったりする以外にできることがある。その有力な手段が災害ボランティアだ。
ことしまた被災してしまったことを知り、ぼくは佐賀に来たくてしょうがなかった。きょう床下で埃が舞う中、ここを自分の家のように綺麗にしたい、と思った。
残りあと2日、がんばる。

K, P 消毒という指示だったが、床下を覗いてみるとゴミや土のこびりつきが多かったためOJに報告、ブラシがけからに変更。本来の目的に則って提案できたのはよかった。ただし作業前の全体チェックが粗く、終盤に中野が見落としていた2部屋を発見、慌てて対応した。過去に何度かある失敗で、十分に気をつけたい。
P 今回は飛行機のため道具持参ほぼなし。ただ養生テープとカッターのセットぐらい持参すべきだった。
K 一人称「俺」のメンバーが女子力を発揮し、狭いところに突入してくれた。適材適所。
K たった3人だったが、互いに進捗を読み合い、先回りして効率よく作業し、完了できたのはよかった。

お昼にベースでいただいたうどん、おいしかったなぁ。

10/23(土)、2日め。

朝の散歩で行ってみた西福寺にある「杵島炭鉱殉職者慰霊碑」。
大町町に炭鉱があったのは知っていたが、もっと大規模な「杵島炭鉱」というものだったんだな。

ちなみにここからの眺めは、とてもよかった。

福母八幡宮。花手水もあったりして、今風のこぎれいな神社という印象だった。

「香月餅饅頭店」に寄り、できたての大福を食べる。

お手伝いは、昨日よりさらに大きな日本家屋の床下に入り、ブラッシングと消毒液の散布がミッションだった。

今回このあたりのお宅は浸水しても泥はあまり入らなかったようだ。それでも大引、根太、束柱などには土埃やゴミがこびりつき、ところどころカビも出ていた。

仰向けになって擦り落とすと、それらを全身に浴びることになる。さらに地面には虫の死骸などが散乱していて、移動するときはその上を匍匐前進せざるを得ない。延々とこれをやっていると心が萎えてきたが、そのたびに “自分の家のように綺麗にするんだ!” と唱えて作業を続けた。

チーム3人、午前も午後もほぼ休憩なしで潜り続けた。そして消毒まで完了。
高齢のご夫婦が元の暮らしに戻るお手伝いを、少しだけすることができた。

お手伝いが終わって大町温泉へ。目や鼻や耳にこびりついた泥やゴミを洗い落としているとき、ちょっとした事件が。鼻に違和感があったので何度もかんでいると、なんとコオロギの脚が出てきたのだ。
…まぁ、それぐらい夢中になってがんばったってことだろう。

T 床下のブラシがけはゴミやカビやホコリをガンガン浴び、目や鼻や耳にこびりつく。ゴーグルやマスクも気密性を高めれば曇ったり暑くなったりと、トレードオフであり悩ましい。状態によって付け外しするのもいいかも。あと、耳は耳栓やイヤーマフをする? 頭に巻く手拭いすら、頭の位置をしょっちゅう動かすと結び目が痛い。ビーニーのようなものを被る?
K 昨日よりさらに広い床下だったが、ニーズ終わった! 何より。完了させることを志して都度進捗チェックすること。

お昼は「大町たろめん」。
佐賀県内でもあまり知られていないという、この町がかつて炭鉱で栄えた時代にちなむグルメ。
8月の大雨で被災され、ボランティアの助けもあって復活されたばかりの「さんゆうし」さんで。

10/24(日)、最終日。

大町町の朝焼け。

この日は床下消毒のお手伝い。母屋に建て増しした家屋がつながった複雑な構造だったが、手分けして迅速にやり切った。そして午後は、壁落としをやっていたチームに合流。ご家族も作業に加わったりして、

壁剥がしに加わったり、家族で力を合わせて

K 床下、ほぼブラシがけ不要のきれいな状態だったので、迅速に進めることができた。個人的には前日までの習熟で、無闇に動くのでなく少ない動きで効率的に撒く計算をすばやくできるようになってきた。
T 壁剥がし、久留米の彼が持参した道具やパウロの進め方は参考になった。研究したい。
K 後半、壁剥がしの補助作業で道具袋のミニバール、ペンチ、ネジザウルスが役立った。重かったけど持参してよかった。
P ガッツリやるつもりの作業が早く終わってしまい、以後他者のサブなどになると注意力が落ちやすい。どんな作業だって大切だ。都度リブートすること。

お手伝いしたお宅の近くでは、家の改修や新築が進んでいた。が、内水氾濫の原因となった六角川はそのままだ。今後また水害が起こらないか、心配だ。

大町温泉、ボランティアは入浴無料!
中は広く、露天に複数の風呂もあり、木々を眺めながら浸かるのが本当に気持ちよかった。今回も3日間お世話になりました。

毎日ほぼ同じニーズであり、3人連携というより同じ作業をひたすら並行する流れだったため、協働上の気づきなどはいつもより少なかった。

床下潜り、なかでもブラシがけは身体の位置移動が頻繁で、仰向けや半身起こしの無理な態勢での作業を強いられるためなかなか辛い。さらに、動くたび肘、膝、拳、頭などのどこかを打ち、アザがどんどんできる。これを3日続けてやるのはキツかった。が、発災から2カ月間それらの家は待っていたのであり、応えてあげられたことはよかった。言葉などでなく、そこに駆けつけ手を動かすことが、本来やるべきことであり、自分のやりたいことだ。

今回もさまざまな地域・来歴のボランティア活動者と会ったが、共通しているのは被災者のため現地に来るという素朴な勇気を奮っていることだ。それだけでまず圧倒的に信頼できる。

久々の飛行機便、かつ3人だけのメンバー。“何ができるか”と不安は大きかったが、よい成果が出せた。佐賀・大町にはもうしばらく心を寄せ続けたい。

大町の和菓子屋さん、こちらの様子を見て、「ボランティアさんですか? ありがとうございます」と、買ったお菓子の倍近くを包んでよこしたな。(前回よりもそうだったが、今回はもっと多かった。)
そういう人のためにも、また大町に行くだろう。

エピローグ。

福岡の保安検査場は鉄壁だった…。サコッシュ内にうっかり入れていたミニバールとマルチドライバー(羽田ではお咎めなし)が引っかかり、約3,000円分ぐらい没収されてしまった。

帰路は20:00福岡→21:40羽田 SKY024便。

いつも仲間と共に被災地へ向かうのだが、仲間と共に慣れた方法で行くと、慣れのせいで「なぜ行くのか/行きたいと思うのか」という部分について思考をめぐらせることは少ない。週末、久しぶりに飛行機で福岡へ向かい、現地で仲間と合流するという方式にした。そのことでいくつか新鮮な要素が生まれ、「俺、なんで被災地に行きたいと思うんだろう?」と活発に考えはじめた。

考えることには罠がある。
どこかで聞いた呑み込みやすい惹句に引き寄せられてしまうという罠。たとえば「被災者を助けたいから」といった耳ざわりのいいフレーズだ。あるいは、他者受けする言葉を選びがちになるという罠。こういう理由にすればあの界隈(例:ソーシャルメディア)では受けるだろう、という言葉に無意識のうちについつい誘引されてしまう。

どちらの場合も、自分の内側をよく覗きこむことをせず、性急に結論に至ろうとする罠に陥る。そこから先粘って考え続けることを、普段どれだけできているんだろう。災害ボランティアをもう10年続けている。本業とは別に多くのエネルギーを注いでいるが、自分の中の何がそうさせているのか。

ここから先は、「なんで被災地に行きたいと思うんだろう」と、現地で寝る前や帰りの飛行機内で考えたことのログだ。

「被災者を助けたいから」? いやそうじゃない。何番めかには挙げたい理由だが、一番にはならない。

被災地、被災者。地域より人だ。人に引き寄せられる。

2019年に佐賀で豪雨災害が起こったとき、情報を集め、最初1人で災害ボランティアに行った。そのとき武雄市と大町町で会った、忘れられない人がいる。

1人は、古い平屋の木造の家に住むかなり高齢の女性だ。その家は1.5m以上浸水し、家財の多くが駄目になった。ボラセンからチームで派遣され、ぼくはリーダーをやったのだが、別の活動者が濡れた家財をどんどん捨てようとするのを阻止しようと苦労した。古いタンスにきっちり詰まった濡れた着物、台所に並ぶ生活史を物語るような調理用具や食器類、そして女性の力の抜けた様子などが記憶に残っている。

もう1人は、もう少し気丈な高齢の女性。線路沿いの2階建ての家の1階の床は、浸水で弱ってグズグズになり畳も波打っていた。この日のチームは融和的で優しいメンバーが多く、女性の判断を聞きながら家財を少しずつ外へ運び出した。それらのメドが立つと女性は、家の解体を決意していたのか、2階へ上がっているものといらないものを選別しはじめた。いらないものの中でももったいないと感じるものは、お隣の白石町で行われるというリサイクル市のようなものに出すのだ、と別に置いていた。

この2人のシニア女性のたたずまいが忘れられない。

ことしまた佐賀が豪雨で被災したと知ったとき、真っ先に思い浮かんだのはこの2人の姿だ。2人に会えるとは思わなかったが、「ああいう境遇の人がまた生まれてしまったのなら、そばに行きたい!」と強く思った。

「そばに行きたい」と思ったのであって、即「お手伝いしたい」と考えたのではない。行ったら当然災害ボランティアをすることになるだろうが、行くことを合理化する手立てとして、自分にできること=災害ボランティアだと考えたのだ。

まだ思考自動化の表層を突き破って一~二層潜ったぐらいだが、いったんここで吐き出しておく。

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