西日本豪雨:広島・小屋浦サテライトの下で最後のお手伝い(援人 2019年 0111便)

Posted on 2019年1月31日. Filed under: ボランティア | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0111便、2019年1月12日土曜日、13日日曜日、西日本豪雨の被災地である広島県安芸郡坂町小屋浦での災害ボランティア活動の記録。

援人、2019年のお手伝い初め。西日本豪雨で被災した広島・小屋浦へ行ってきます。力出し切ってくるぞ。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

数万件の科学論文を分析してみたところ、共同研究者同士の物理的な距離が近いほど研究の質が高い(被引用数が多い)という結果が出たそうだ。人がまばらな地域よりも密集している都市の方がさまざまな革新が生まれやすいのは人と人とが近いから、とも推測できるんだとか。

実際に人に会うことはとても重要なんだろう。

被災された方々に会う。テレビでもネットでもなく、実際に会うために行く。このこと以上に、自分の価値観や行動に楔(くさび)を打つものはないと思うんだ。

災害ボランティア8年め、今年もできるだけ会いに行く。まずは西日本豪雨の被災地、広島・小屋浦へ。

小屋浦サテライト閉鎖について、Facebookで小屋浦の住民の方が書いていたコメント。まさにこれだよな、と。こういう風に言っていただけることが、援人がずーーーっとやってる意義でもある。続けていこう!

「私、小屋浦の住民です。本当に長い間ありがとうございます。皆様の行動力、頭が下がります。今まで人ごとのように災害のニュースを見ておりました。今まで助けていただいた分、何らかの形で今後支援側に回れたらと思います。
生きさしてもらった分、一生懸命、日々大切に生きていこうと思います。」

山陽自動車道は、年が明けても西日本豪雨の爪痕が残ってる。路肩にフレコンバッグを積んで仮に補強しただけのところが何か所かある。

往路順調、6時過ぎに到着予定。
ただ、広島に入ったあたりからずっと小雨が。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

中國新聞の記事、水害で農地の復旧を諦めざるを得ない人たち。こういう作業も災害ボランティアがお手伝いできると思うんだけどなぁ…。(常総の水害でぼくらがお手伝いさせていただいた田んぼ、翌年金色の稲穂を見たときはうれしかった。)

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

広島・小屋浦。
墓所への山道を切り開く。それが今日のミッション。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

1日めのお手伝い終わり。ニーズは継続。しかし一生懸命やる大人数のパワーはすごく、墓地への道はだいぶ通れるように。

てっきり川だと思ってたところは水害前はただの道だったらしく、朝倉・杷木と同じような被災状況に驚かされた…。

今日、広島県安芸郡坂町小屋浦。
援人チーム9人でお手伝いに参加した。

沢山の倒木と土砂に塞がれた山道の先に、墓所があった。そこまでの道を切り拓くことが今日のミッションだった。(デコボコだらけの山道に見えたものは、休憩時間にGoogle Mapで調べると、元は山腹の棚田に行くための農道だったのでは? と推測がついた。それほど景色が変わっていたのだ。
九州北部豪雨の朝倉市杷木松末とも似た状況だった。)

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

約40人のボランティアが、4カ所に分かれ、滅茶苦茶に折り重なった倒木を取り除いていく。チェーンソーを使える者は使い、それ以外は鍬やスコップ、あるいは素手でリレーし運び出す。

一体どうしてそうなったのか不明だが、大きく抉られた川筋の際に、一つの墓石が10cmほど頭を出して埋もれていた。どうしようもなかった。人力で掘り起こすのは半日はかかるだろう。

15時を過ぎて、朝には視界一杯に広がっていた倒木は大方が細断され、山間に空も見えるまでになった。
が、足元にはまだまだ玉切りされた大径木や灌木が散乱している状況だ。

ここがきちんと通れるようになった姿を見てから、東京に戻りたい。祈るのでも誰かに託すのでもなく、自らきっちりやって帰りたい。

小屋浦でのお手伝い、あと1日。

今日は62人だったとか!みんなアツかったよなぁ。明日はバスも来るらしく、100人行くかも。

広島1日めの集合写真は呉駅の前で。
Kさんはここで離脱。お疲れさまでした~っ。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

2日目、出発!

「おふろに入れない毎日、夜ご飯がクラッカーの避難生活。」「怖くて泣きそうな時、ボランティアの人の温かさや助けが心にしみました。」

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

小屋浦、2日め。快晴。
重機も上がってきて倒木撤去がガンガン進み、当初のルートとは違うものの墓所への道はだいぶついてきた。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

終わった。
最後はしぶとい倒木を皆で引っ張り出し、墓所までの道を均し、大団円。

サテライト長の山田さんによれば、あと少しニーズはあるが地元有志で片付けるとのこと。

小屋浦サテライトでの援人のお手伝い、完了!

お手伝いが終わった。

地元の有志、ぼくら東京からの援人チーム、九州や西日本各地からのメンバーなどが入り混じる列の一員としてゆっくり下っていくとき、不思議な多幸感が湧いてきた。

ニーズをしっかりやり終えれば清々しい達成感が得られるもの。が、このとき味わった“なんともいえない幸せな感じ”は、それとは少し違っていた。

前を行く多様なボラたちの背中を見て、“あぁ、これは大きなチームの一部となって働くことから生まれた喜びなんだな”と気づいた。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

西日本豪雨の被災地、広島県安芸郡坂町小屋浦でのお手伝い2日目。「小屋浦サテライト」は、ボランティアの受け入れを終了するため、ぼくらの小屋浦でのお手伝いは最後だ。

昨日よりさらに増えたメンバーで、溢水でめちゃくちゃになった元・棚田沿いの墓所に道をつける作業を進める。力やスキルがある者、初心者、男性も女性も、年代もさまざまな即席のチームはときどきヒヤッとすることもあったが、士気は皆高い。大径木や太い根、巨岩との格闘でチェーンソーの歯はどんどんダメになり、道具も数多く壊れていった。

が、終盤は見違えるほどなだらかな生活道ができ上がった。

“自分が”力を尽くしたという思いより“みんなで”やり遂げたという実感が勝った。それが、お手伝い場所を後にするときの何ともいえない幸せな思い≒多幸感につながったんだろう。

さよなら、小屋浦。
最後の2日間、お手伝いの機会をもらってありがとう。名残惜しいけど、後は地元メンバーの熱い絆に託します!

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

振り返り。

お手伝いは墓所への道の復旧のための倒木や灌木の伐採、掘り出し、撤去。墓所の整地。総勢30?50人、主に3つの現場、チェーンソー10台近く、重機も間欠的に参加。

混成チームであり、参加者の経験もバラバラなので統率がどうなるだろう…と心配したが、皆協調性が高く、おおむね問題なく進んだ。特にチェーンソーを使うオヤジ(壮年男性)は問題ある人物がたまにいるものだが、そういう人もいなかった。ともかく小屋浦に集まるボランティアは気持ちのいい、癖のない人が多い。場の力がそうさせるんだろうか。

本来なら重機が主、人力は従となる現場だったろうが、重機の稼働のほうが希少であり、豊富な人力で補うことができたのはよかった。

T、ああいう現場に備えるなら重い鍬などをもう少し充実させてもいいかもしれない。
P、チェーンソーの目立て、現場で適当にやっても大して切れ味が復帰しない。今回はチェーンソーを使う人が多数いたので、熟練者のやり方を観察。が、勘所を掴めたとはいえず、もう一度学び直したい。

援人として小屋浦は最終盤の3回だけだったが、根気強く最後まで支援を続ける人たちの輪に加わることができて光栄だった。世の中の暗い面ばかり注目したり、他者を批判ばかりしているのでなく、人を助けるネットワークをつくり厚くしていくこと。そこから楽観や希望が世の中にもっと生まれてくると思う。

Mさんから、お手伝いが複数日になるときは、毎日その日のうちに軽く振り返りをしようという提案。その通り(やっていたときもあるけど)。次回からそうしましょう!

2日間お手伝いしたあの墓所への道、最終日のボラたちがこういう風に仕上げてくれたらしい。素晴らしい! 今回の活動に参加できて本当によかった。

もちろん広島には災害ボランティアに行ったんだけど、控えめに言って呉での飲み食いが最高だった。

お好み焼き「はやと」。
最初、汚い店だしよく語る店主だなぁと思ったけど、ここのシンプルで引き算のようなお好み焼きの味に驚く。そして呉細うどんや海鮮など、少しずつ足される具材で変わっていく面白さ。ちなみにソースはミツワだとか。
こういう世界もあるんだなぁ…という体験だった(本当はこの店だけで1,000字は書きたいほど)。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)
「麺屋たいら」の汁なし担々麺。本場は広島市だけど、ここのも極細麺で、まさに正統な広島式のうまさだった。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)
「福住」のフライケーキ。南相馬方面の人なら知っているあんこ凍天(しみてん)の小型版という感じだが、サクサク軽い皮とあっさり上品なこしあんの組み合わせ、めちゃうま。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)
もう一つのおやつ系名物、(有)メロンパン(←本当にこういう会社名)の「メロンパン」は時間の都合で寄れなかった。呉のメロンパンは全然違うんだって。

呉の街は昭和レトロな商業ビルが多く残っていて、歩いても楽しい。

おいしい魚介を食べようと行った「お食事処 塚本」。かき酢やハゲ(活カワハギ)の刺し身に合わせて頼んだ呉・音戸の地酒「華鳩」が…うまかった。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)
その後、川沿いの屋台街へ。おでんや「せんじがら」でコップ酒をやりながら、地元ガイが熱く語る呉の常食系グルメ情報をスマホにメモった。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)
呉、レベル高し。
きっとまた来よう、飲み食いのためだけにでも(笑)。

オマケ。小屋浦ってあの有名漫画(「この世界の片隅に」)にも出てるんだね。

西日本豪雨 広島・小屋浦で災害ボランティア(援人 2019年 0111-14便)

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