西日本豪雨 愛媛県西予市のまだ帰れない集落で床下泥出し(援人 2018年 1019便)

Posted on 2018年10月25日. Filed under: ボランティア | タグ: |

ボランティアチーム援人、2018年7月の西日本豪雨の被災地である愛媛県西予市で、2018年10月20日(土)の災害ボランティアの記録。OPEN JAPAN(緊急支援プロジェクト)さんの下で。

21時、東京八重洲を出発。約900kmの旅へ。

西日本豪雨 愛媛県西予市で災害ボランティア(援人 2018年 1019便)

「宇和島市吉田町 片側規制」。この表示は変わってないなぁ。7時過ぎ、西予市に到着。

この日のお手伝い先は、西予市宇和町明間(あかんま)。
西日本豪雨によって起こった土砂崩れが、何軒かの家を押し潰してしまった地域。土曜日の今日も復旧のため重機が働いている。
この集落はまだ水道が戻っていない。仮設住宅から通いで畑の様子を見に来たりしている人が多いという。

西日本豪雨 愛媛県西予市で災害ボランティア(援人 2018年 1019便)

床下泥出しのお手伝い、開始。床下は全てつながっているようだが、奥深い。

西日本豪雨 愛媛県西予市で災害ボランティア(援人 2018年 1019便)

縁の下に入ってすぐ左脇には、愛媛のお宅に多い芋壺(芋室)があることもわかった。(ここは後回しにしたが、最終的には中に20cm近く溜まっていた泥をかき出した。)

床下泥出しのお手伝い、完了。土砂崩れですぐ隣の家は大半が潰されているが、たまたま土砂の通り道にならなかったこのお宅はしっかりしている(が、水道が復旧していないこともあり、まだ住めない状況だ)。

西日本豪雨 愛媛県西予市で災害ボランティア(援人 2018年 1019便)

床下の風通しの悪い部分は泥が15cmぐらい堆積し、まだかなり粘り気があり重かった。最後には、床下をこれ以上傷めないよう、束石と束柱の周りの泥を特にきれいに取り除いた。

道の駅どんぶり館に立ち寄ってみた。みかん天国だった。

西日本豪雨 愛媛県西予市で災害ボランティア(援人 2018年 1019便)

地元のスーパーで買った日本酒「開明(元見屋酒店)」、晩ご飯のお供に飲んだ。これはおいしい。

西日本豪雨 愛媛県西予市で災害ボランティア(援人 2018年 1019便)

翌朝は帰京のため朝5時に出発だ。

瀬戸大橋(瀬戸中央道)の与島PAに立ち寄り、大小の島々がつくるパノラマを眺めた。

西日本豪雨 愛媛県西予市で災害ボランティア(援人 2018年 1019便)

帰りは高速から富士山がよく見えた。

西日本豪雨 愛媛県西予市で災害ボランティア(援人 2018年 1019便)

振り返り。

西予市宇和町明間、土砂崩れ直下のお宅での泥出し。床下はまったく手つかずだが家屋自体は損傷ほぼなく、水道が復旧すれば住めるだろう状態。
かなり広い床下だったが、7人では2ラインは組めず、常に1ライン+αでフロント+バックアップのリレーを組み直す必要があった。が、床下が全てつながっていたこと、土砂は家のすぐ前に捨てられるよう事前にOJさんが調整してくれたなど好条件もあり、芋穴も含めて全てやり終えることができ、加えて取り残しを仕上げる余裕も生まれ、満足できる仕上がりになった。

P、大抵の道具は足りたが、前回壊れたテミ小、伸縮ホーはモノタロウや地元ホムセンに在庫なく十分に補充できていなかった。作業にやはり影響が出てしまったので、次回に向けて揃えたい。

よい天気の下、ゴールが明確なお手伝いを、道具もきちんと揃えた上で、知恵を集め力を合わせて真剣にお手伝いし、それが被災された方の役に立つ幸せ。
どんぶり館で多種のみかんなど西予の産品に触れることができたのも楽しかった。
噂の「いもたき」を食べられたうれしさ。西予のお酒のうまさ。

世の中にはさまざまな趣味を持つ人がいるが、被災地に行って真剣にお手伝いし、さまざまな風物にも触れることはやっぱり「楽しい」。だから他のことを差し置いて時間を割いているのだと思う。気張る一方ではなく、かといって楽しみばかり追い求めるのでなく、共鳴してくれる仲間を増やしながら続けていきたい。

お疲れさま、としか言われないようなアクティビティーには未来がないのかもしれない。

内輪でしかウケない言葉で話すのは、コミュニティー衰退への道じゃないだろうか。

正しさだけで集められる共感があるとして、動かせるのはせいぜい100人のうち5人ぐらいだろう。

久しぶりに災害ボランティアを休んで函館旅行をしているとき、Facebookに流れてきた災害ボラの投稿に“あー、面白くなさそうだなぁ…”という感想を抱いてしまった。で、普段ぼくがやっているのもこれじゃないか、と。

ぼく自身は8年近く災害ボランティアを続けているが、大半の人は数回体験した後もう参加しなくなる。ぶっちゃけ“楽しくない”“ワクワクしない”と思うからだろう。彼ら彼女らが何を楽しいと感じているかは、これもまたFacebookに投稿が流れてくるのでよくわかる。

恐らくぼくを含め今も活動を続けている者は、よほどストイックでもない限り、知らない土地を訪れること、風物に触れること、おいしいものを食べること、人と話すことなどをちゃんと楽しんでいる。

が、そういった面を伝えることは控えるべきだろうという心理が働き、抑制的な内容になっている面が強い。そこから、楽しいと感じること自体も封じるような心理すら働いているのかもしれない。

頼まれもしないのにやり続けていることがあれば、それがその人が本当にやりたいことである、という言葉に従うなら、ぼくにとって「仲間と共に災害ボランティアをやること」がそれだ。だから、仲間は増やしたい。タコ壺はごめんだ。

ならば、災害ボランティアのキツさ苦しさばかりではなく、今まで相当抑制していた楽しさの部分もちゃんと表出させていくべきなんだろうなぁ、と思った。

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