福島県浪江町:伐採と袋詰め 賑わう十日市に複雑な心情を見る(援人 2017年 1124便)

Posted on 2017年11月30日. Filed under: ボランティア, 福島, 東日本大震災, 東京電力福島第一原発事故 | タグ: |

ボランティアチーム援人、災害ボランティア活動の記録。1124便、2017年11月25日(土)に福島県浪江町での庭木伐採や後処理などのお手伝いについて。

八重洲を出発! 今回も残念ながら10人満席はならず。

小高より約1年遅れて避難指示が解除された浪江、富岡、飯舘は、残念ながら帰還状況が芳しくないようだ。
そんななかでも浪江町の救いは、社協の人たちが本当に献身的にボランティアのニーズに対応していること。当事者でもなく常駐しているわけでもないぼくらが、月1日だけ貢献できるのもそのお陰だ。

今回も心をこめてお手伝いしてきます!

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)

浪江町、快晴。今日の十日市にやってきたのか(?)会津ナンバーのトラックは屋根に雪乗っけてる。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)

駅前美化活動(勝手)。
朝の駅前で、ジョギングする人を初めて見かけた。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)

一軒目。庭木や植栽の伐採、トンバッグ詰め。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)

帰町については未定だが、住んでいるかのように手入れしているお宅。しかし、手入れし続けるのも難しくなり、個人では難しい庭木の伐採依頼。

二軒目、今度は再建中のお宅の敷地内、伐採済みの竹の枝打ち・玉切り・トンバッグ詰め。
伐採済みの竹の枝打ち、玉切り、トンバッグ詰め。皆久しぶりなのでやや腕が鈍っている(苦笑)?

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)
16時前までかかったけど…なんとか終了っ!
初期の見立てより大量の竹があったが、終わらせようと思った。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)
単なる見通し(1)ではなく自信(2)でもない、その中間あたりの、経験が示唆するところに頑張り(3)をまぶすと、大体終わる。

昼休み、社協の方の勧めもあって覗いてみた十日市。
7年ぶり、つまり震災後初の開催だという。沢山の人が来ていて、駅前も車で一杯になっていた。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)
飯舘村の中学生たちによる飯舘村飯樋(いいとい)の田植え踊り。こんなに華やかな衣装なんだなぁ。彼らが村外で踊るのは初めてだとか。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)

浪江でのお手伝いを終えて、ちょっとだけ小高に立ち寄る。今日からイルミネーションがはじまる。しっとりした雰囲気でいいなぁ。ヨーロッパの街のようだ。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)

前回の岩泉行きもそうだったが、今回も弾丸便として神がかった充実ぶり。2件の手強いがやり応えあるニーズ、十日市、小高のイルミネーション。狙ったものではないのに。もう最終回のようだ(笑)。

早朝、先月援人が草むしりした一帯は端正な印象だった。やはりやる意義あり。

午前のお手伝い、避難中の6年間に通いで庭木をあれだけ手入れされたのは驚くほかないが、それを全伐するという悲しいニーズ。せめて速やかに、と感情を押し殺して進めた。チェーンソーの使い方について礒辺さんに適切な助言をもらえてよかった。

午後、チェーンソー2台投入、皆がんばり16時までかかってなんとか終わったのは誇るべき成果。K、T、全体を見て改善すべき方法があれば伝えること。仕上げレベルを揃えること。今回は小高のように高速カッター処理のないので枝打ちも無理にバールを使う必要はなかった(ので、刈り込み鋏を勧めた)。

十日市。初めて浪江であれだけ多くの人を見た。一時かもしれないが希望を感じる。しかし町に目を転じれば、荒れた家々。

小高のイルミネーション。それなりの数の人が普通に集まり、復興などと大上段に構えることなく、上品な美しい光景。ここまで進んだんだな…と。

二本松で、今日は聞かれない限りお手伝いについて話はすまい、と思っていた。お母さんに聞かれ答えたが、やはり十日市については複雑な表情を浮かべていた。帰らないと決めても、気にならないわけがない。

それぞれの選択がある。でも災害ボランティアとして、求めがある以上は行って理解しようと努め、お手伝いで少しでも前へ進めてあげたい。

知ることは感じることの半分も重要でない、という。
だから自分が何を感じたかに関心を払うことは重要だ。それが知る方向や行動の道すじをつくっていくから。

浪江町に行ってお手伝いし、感じ考えたこと。

一つめ、よい部品であろうと努めること。

一軒目のお手伝い。
避難指示区域だった6年あまり、一体どうやってここまで綺麗に手入れされていたのか…と驚くほどの庭木や植栽。
その「全伐採」とトンバッグ詰めが依頼内容だった。

ご夫婦は、もう中通りから浪江に戻ってくるつもりはないようだ。考え抜いた末の結論なのだろう。

せめて迅速に景色を変えてあげたい、と感情を抑えて作業に没頭した。

こういうとき、思いはだいたいこういうところに定まる。

ぼくらのお手伝いが、被災された方が前に進む上でその背中を強く押すことができている、なんて言えない。
でも今やっていることは、単純な労働者として言われた通り右から左に動かす、そういうことでもない。

賢い頭ではない。でも人がより前向きに生きるための部品にはなれている。だからどうやって「よい部品」になれるか、だ。

二つめ、「あら、お久しぶり」はそんなに単純じゃない。

太陽は明るいから皆見上げるが、眩しいから目をそらす。ある歌にこんなフレーズがあった。

人と人との間には明暗さまざまな感情が生まれる。
たとえば災害からの復興では、協力して前に進もうという「共感」から、どうしてあいつだけが、という「嫉妬」まで。

土曜日、浪江町では「十日市」という大きな祭りがあった。震災後初で、驚くほど多数の人が訪れていた。

(元)町民なら誰もが喜ぶであろうこのイベントだが、必ずしも好意的に受け入れるばかりではないという心情に触れた。

そのことを知り、ふと会場で多く交わされていた町民同士の「あら、お久しぶり」「どうしてるの?」といった会話の“裏”にある思いを推し量ることができたような気がした。

町は懐かしいが、今積極的に会いたくない人というのもいるのかもしれない。
互いの近況を知らせ合うことで、彼我の違いに落ち込むこともあるのかもしれない。
かつて楽しんだお祭りだからこそ姿を大きく変えた町で再び行われてほしくない、という思いもあるんじゃないか。旧交をあたためることは、その思いをより強いものにしないか。

「あら、お久しぶり」は、6年を乗り越えた後のほほ笑ましい光景だと単純に捉えていた。

知ったふりしてあれこれ考え言ってしまうことは多い。
でもきちんと感じることに基づいているのか。

自分の浅さに恥ずかしくなった。

夕食は杉乃家さん。十日市の屋台でもなみえ焼そばを食べたメンバーもいたが、やっぱり段違いに美味しいのだ。

福島県浪江町で災害ボランティア(援人 2017年 1124便)

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