2016年熊本地震:震災から1年後の益城町・南阿蘇でお手伝い(援人 2017年 0607-12便)

Posted on 2017年6月29日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、2017年6月7日(水)深夜から6月12日(月)にかけて、車2台・11人チームで往復2,400kあまりの旅へ。2016年熊本自身の被災地、熊本県益城町、南阿蘇村での災害ボランティアのメモ。

ボランティアチーム援人、今夜から熊本へ。

平成28年熊本地震の「災害派遣等従事車両証明書」の期限は、残念ながら6月30日です。その前に最後のお手伝いをしてこよう! と、車2台・11人のメンバーで遠征をすることにしました。

1,200kmもの長い旅ですが…行ってきます!!!

平成28年熊本地震から1年 南阿蘇・益城町でボランティア(援人 2017年 0607-12便)

深夜、愛知県、長篠設楽原PA。熊本まであと900kmぐらい?

深夜の名古屋港はいい(2回目)。スチームパンク遺産としてユネスコに登録すべき。

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兵庫のPAで富士宮焼きそば出したりするのやめてほしい。心のGPSが狂う…。

これ通常のリポDより絶対効くでしょ。宮島SAで、にしき堂の生もみじのお供に。

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あるSAに赤福が山積みされていたので、駆け寄ったらハリボテだった。次のPAには「8:00頃入荷」の掲示があった。今日の海(高速道路)では魚影(赤福)に出会えそうにない…。

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なので、赤福に似たジェネリックなあんころ餅を買っておいた。

関門海峡。渡ればいよいよ九州。

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熊本。益城町の丘の上にこつ然と出現していたお洒落なレストランとマーケット、でランチ。

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熊本城へ。加藤神社脇からの熊本城宇土櫓。

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熊本はいいよなぁ~。
益城町は、一年前に比べればだいぶ絆創膏が当たってる感じがするなぁ~。

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熊本の風土に魅せられつつ、益城の復旧状況に少し安堵しつつ、明日から3日間が本番、来た理由。がんばります!!!

益城の朝。朝ラン後に朝めし。「熊本の光」パン、やっぱり普通に売ってるね。

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キットカット岩泉町(略)味、はるか南の熊本・益城でも売ってたぁ。

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熊本城の崩落した石材の撤去では無人重機(サロゲート)が使われている。文化財を扱う工事にサロゲートが使われたのは初めて。熊本日日新聞。

西原村。小学生たちの通学風景。

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南阿蘇村、ロハスたすけあいさんの下でお手伝い。

施設内外の草刈り、10人チームには広すぎる面積だ。東京ドーム何個分?

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刈払機はほぼ新品、コンディションがよく快適に作業できた。トリマーも腕に負担はかかるが、Hくん→Mさん→中野と使い継いで、剪定が進んだ。ただレーキがなく、本来レーキでやるべき草や枝のかき集め作業を、竹の華奢な熊手でやったのがストレスだった。

南阿蘇でお手伝い中。スイカをいただいた。

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9時から16時まで、ロハス南阿蘇の広い敷地、近くの斜面の草刈り、剪定。午後は気温が上がりなかなかキツかった。
お隣のウィナスの入浴券をもらって温泉に入り、17時に出発。

阿蘇、烏帽子岳と草千里。大、と書きそうになったが、いや、たおやかであり大らかだ。
ここに来る途中、山上げされた牛や馬が草を食んでいる姿を沢山見かけた。
今年2月に噴火警戒レベルが引き上げられたためか、乗馬施設、レストハウス、ロープウェイ乗り場は営業していなかった。

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熊本・南阿蘇村でのお手伝いの帰り、西原村で見た満月。

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益城町を朝ラン。1日目はきれいになったところばかりが目についた。新しいアスファルト、新築された家々、更地。2日目の今朝は、解体待ちの家、いたるところにある「災害復旧工事中」の看板、立派な塀を残して家屋は解体された家、神社の傷んだ鳥居など、まだまだの部分が目に留まった。

益城町、木山神宮。こんな状態でも境内は掃き清められていた。

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残り2日間、益城町、支援の「わ」さんの下で。

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大きな日本家屋でかなりガッツリ系の家財出しのお手伝い。

平成28年熊本地震から1年 南阿蘇・益城町でボランティア(援人 2017年 0607-12便)

運搬が16時で締め切り。残念ながら今日は終わらず! 援人だけ、18時までやってでも終わらせたかったレベルだが。

人は話したい、誰かと。
そういうことを痛感した日。
日中、益城町の一週間後には解体されるお宅で、際限のない家財出しのお手伝い。
依頼主の高齢の女性は、サポートについた女性メンバー相手に飽くことなくしゃべり続けていた。
夜、復興屋台村で。近くの仮設に住むその男性は、一人で暮らす孤独、見通しが立たない町の復興への不安を語った(本当はもっと特異な話もされたのだが、プライバシーに触れるので割愛する)。
災害に遭うその瞬間まで、絵に描いたような幸せを謳歌していた人ばかりではない。また、日本の家族はお父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹という典型的な家庭ばかりでもない。
でも災害は、そのとき人が立っていた地盤よりさらに下へ人を突き落とす。
だから人は人と話したくなる。わかってほしくて。そんな思いが身体に沁み込んだ日だった。

益城町、復興屋台村。おいしい食べ物と酒、いろんな出会い。

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熊本4日目、朝ランできるぐらいの雨。今日も「支援の『わ』」さんの下で、解体が決まったお宅からの家財出しと分別のお手伝いの続き。その人の沢山の生活財に触れていると、他人とは思えなくなってくる。益城町での最後のお手伝い、丁寧に迅速にがんばろう。

デイリーヤマザキの益城あんぱん健在。

平成28年熊本地震から1年 南阿蘇・益城町でボランティア(援人 2017年 0607-12便)

熊本県益城町。2日間、震災でダメージを受けた家屋解体のため、家財出しのお手伝い。出せるものは全て搬出。布団も食器も冷蔵庫の中身も。庭木も伐採。特別おいしい柿がなるという木には、すでに可愛い青い実が。ご依頼によりこの木も伐採した。

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熊本最終日、夕食。

平成28年熊本地震から1年 南阿蘇・益城町でボランティア(援人 2017年 0607-12便)

突然電気が消えて誕生日サプライズ…って俺だった!

3日間ガッツリ人のために働き、一緒に汗を流したまさにその仲間に祝ってもらった。ありがとう! さらに先に行こう! もっと厳しい道を(笑)。

昨夜熊本を出発し、順調に北上中。
朝食は、九条ねぎをたっぷり散らしたうどん。汁は東京じゃあり得ないぐらい甘い(褒めてます)。

平成28年熊本地震から1年 南阿蘇・益城町でボランティア(援人 2017年 0607-12便)

トンボ帰りの弾丸便でなく、朝から晩までその土地にいると愛着が湧き、依頼主ほか地元の人と交わす何気ない言葉から感じる内容もより深まっていく。

1日目のお手伝い、南阿蘇村。緊急性はなく、元々高齢率が高かった大きな村の、震災後さらに人手が足りなくなった状況、さまざまなインフラ維持に手が回ってない事情がよくわかった。広い広い敷地で何にどう優先度をつけるか、どのレベルでよしとするかなどチームの動きを考える勉強にもなった。

2日間、益城町で。依頼主のお母さんと娘さんの意見の食い違い(まあよくあること。ただし震災後により先鋭化したのだろう)。こたつのある部屋に「命と家のどっちが大事なの」といった書き置き。解体が決まるまでにも紆余曲折があったと推察できる。依頼主の耳が遠く、コミュニケーションを厚くするべく午前・午後1人ずつ女性メンバーに完全に張り付いてもらった。布団や茶碗がもの凄く多いことから、かつて栄えた家だとわかる。台所には建つ余地もないほど物があった。それらをくろうして片付けていくと、大県冷蔵庫2つが。震災時のままの内容。小高で何度もやったが、1年後の半分以上溶けた食料を初夏にやるのはかなりキツかった。

1日で終わらせたかったが、集積所へのピストン輸送が制約となり、さらに母屋の他に納屋もあり、厳格な分別への対応、庭木や植栽のほぼ皆伐、加えてアルミサッシ外しも新たなタスクとなり、たっぷり2日のお手伝いとなった。

益城町は去年に比べれば綺麗な印象になったが、ただ解体され更地になっただけの場所も目立つ。一方でまだ解体待ちの家、道路には沢山の工事中看板あり。まだまだ、としかいえない。機会があればぜひまたお手伝いしたい。

今回の便はほぼYさんの多大な尽力によって実現したもの。改めて感謝します!

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