南相馬・小高:「誰のせいなのか」 まだ帰れない旧家の家財整理のお手伝い(援人 0519便)

Posted on 2017年5月22日. Filed under: ボランティア, 福島, 東日本大震災, 東京電力福島第一原発事故 | タグ: |

ボランティアチーム援人、0519便、2017年5月20日土曜日、福島県南相馬市の旧避難指示区域でのお手伝いのメモ。

空気はやや冷たいが日射しは夏並みの強さになった。休憩時に差し入れを沢山食べ過ぎ、水分補給摂り過ぎ、軽労働で体が逆にのらず…などで少しバテた。特に水分については去年も学んだが、暑いからとぬるい水分を沢山飲むと大抵バテる。体を他の方法で冷やしつつ、水分は抑制が必要。
センター長からは1日と言われた蔵の家財整理、母屋の家財整理・移動だが、11時頃には粗方終わってしまい、庭の草がかなり伸びていたので草刈りを申し出て、こちらも終わった。

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

お母さんはテキパキと働き、明るい人だったが、ぼくらのペースに合わせたためかやはり疲れも見え、こちらから休憩を申し出た。千葉から来られていること、自力では来れないこと、リフォームにまだ3年かかること、「誰のせいなんだろうねぇ」という言葉。
依頼主と共にお手伝いすることは、その方の震災後の人生を(ごく一部でも)知ることだ。知れば、こういう方々の役に立ちたいと思う。助けが必要かどうかは東京にいてわかるものではなく、行って見て知るものだ、と改めて実感。

9人揃って出発しました! 八重洲に赤ら顔(笑)で見送りに来てくれたメンバー、差し入れありがとう。
明日の南相馬は暑そうだけど、今回もチームワークよくがんばってきます!

常磐道、最高3.3μSv/hか。また少し下がったなぁ。

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

道の駅南相馬、快晴。すでに割と暑い。今日もがんばろう!
朝のコンビニで東北を探せシリーズ(不定期連載)。これ東北限定かなぁ?

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

南相馬、鹿島の一本松。道路が整備され、一時よりは来やすくなった。しかしすでに枯死していて、今年の冬には見られなくなってしまうという。

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

うわぁ。こういうニュースを南相馬で知る幸せ。

サイヤさん、今朝もとんでもない量の行楽弁当を作ってた。(^_^;) 運動会かな。

朝礼、松本センター長のお話。

「今回初めての人は? 結構いるようだ。
シャープの労働組合さん、次回はJTBさんも。お世話になっている。
6年前の挨拶、読ませてもらう。我々ボランティアは皆さんの笑顔が見たい。それが復興の確かな証。がんばってまいります。
この気持ちは今も変わりません。
2011年から今まで、活動の幅を広げ、今また浪江の方々から依頼が来るようになった。今回で累計3件。事務的な余裕はなく時期尚早と考えていた。とはいえ依頼が来れば。今日現場視察依頼がある。
自分なりの充実した支援をやってほしい。できる人ができるときにできることを。人と同じことは絶対できない。落ち込むこともなく有頂天になることもない。使命とは命を使うこと。
被災者さんとお会いするとき、態度や言葉遣いに注意をしてほしい」

昼休みのできごと。

野馬追ガチャ、南標葉郷さんでしたっ。

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

来週小高に再開店するという「スナック更紗」さんの前まで行ってみた。

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

「おむすびマルシェ」というイベントを開催中だった。こういう普通の光景、ますます増えてきたなぁ。

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

今日のお手伝いは、家の一部取り壊しと改築のため、家財整理(蔵に移動、廃棄など)、そして蔵の中のものの整理など。

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

古風な二階建て、屋根裏がある家の構造でピンときて、養蚕をやっていたのですかと聞くと、そうだという。蔵の奥には古い糸車があった。長持(ながもち)がまだ現役で(小高の旧家ではよくあることだが)、古い家財が保存されていた。
廃棄される家財の中にあった古新聞に明治時代の「国民新聞」があった。「香港特報…ボルチツク艦隊は…」…なんと、日露戦争を報じる記事だ。
亡くなったお父さんのものだという郷土資料が多数。それらの多くは残されるようだった。

南相馬 旧避難指示区域で災害ボランティア(援人 2017年 0519便)

このお宅は、元々天明の飢饉などで富山から移住してきた歴史があるという。相馬藩が立て直しのため移民を受け入れた歴史は知っていたが、その子孫だということに自覚的な方には初めて会った。

朝伺った際、もう住んでらっしゃるのですかと聞くと、リフォームが終わるまでは住めない、あと2~3年はかかるかな、と。未だに大工さんが足りないのだ。だから今も、避難先の関東から通いで片付けを続けられている。話をしながら、「誰のせいだろうねぇ…」と笑う。

この地域の避難指示が解除されてからそろそろ1年。未だ大変な状況にありながら、“それでも、やがて戻るつもりの方”のお手伝いができたことにうれしさが湧いた。
超長期の避難生活を強いられ、人の歩み方や速度は本当にさまざまだ。手助けを求める声がある限り、これからも愚直に足を運び続けたい。

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