「あゆみ」「TATAMI」(劇団しようよ)を京都のアトリエ劇研で観た

Posted on 2017年5月17日. Filed under: , 演劇 | タグ: |

「あゆみ」(劇団しようよ)を、京都のアトリエ劇研で観た。
(この劇場は歴史ある小劇場だが今年8月に閉館するらしい。客の入りなどの問題ではなく土地の契約が理由とのこと。)

京都 2017/05/15

若い世代の劇団なのだろうか。そうなんだろうな(そんなこともよく知らずに観に行ったのだが)。

「あゆみ」とは、人生の歩みということらしい。

俳優たちが(おそらく)自分の生まれた日を記した紙を持って並んだり。
紙芝居によるナレーションがあったり。よくも悪くも学生演劇的な、フレッシュな工夫だなと感じた。

ストーリーでも、ゴールが結婚式であることに“この先は想像できないのかな?”という思いをもった(注:オリジナルの脚本を端折ったかどうかについては調べてません)。

全部男優が演じていたのだが、どういう意味があったのか。オリジナル作品と見比べることができないが、恋人たちがイチャつくシーンなどはやはり違和感が拭えなかった。

最後、俳優全員が現れ、役や立ち入りを目まぐるしく変えながらこれまでのシーンのリミックスをやる。構成はいい、俳優たちの動きも練度が高い。「演技の組体操」のようだった。

しかし待てよ、と思った。場面場面をカットバックでつなぐ手法、前日に観た「バージン・ブルース」もそうだった。「あゆみ」は積み重ねられるシーンがより通俗的である分、段々プロモーションビデオのように見えてきた。こういうことをやる必要があるのかな。小劇場の演劇がマスに受ける必要はないのだから、もっと変でも人らしい痕跡が見える“あゆみ”が描けるのでは(脚本の話だが)。

途中までは正直退屈を感じた。ラストは盛り上がりを感じたが、上述のような不満も浮かんだ。

余談。
隣の女性(おそらく大学生)がとても真剣に、身じろぎもせず観ている横で、少し居眠りしてしまった。言い訳すると、京都の土地勘がなく、地下鉄に乗るのが面倒だったので京都駅から劇場まで早歩きをし、結構疲れていたのです(後でキョリ測で見たら8km強あった)。あなたにとって大切だった観賞体験を汚してしまってごめんなさい。

付記。「ままごと」のサイトに2010年版「あゆみ」のダイジェスト映像があった。これは女性版が観てみたかったなぁ。

16時からは「TATAMI(劇団しようよ)」、同じくアトリエ劇研。

京都 2017/05/15

舞台には日本家屋のセット。

冒頭、狂言回し的な女性が登場し、人はなんでも記憶に留めたがるもの、そんな欲望に応えるべく畳型の記憶媒体が登場、などと通販番組風に語る。このパートは、続く話に関連があるようなないような。

家の持ち主である男は、人生の思い出が詰まった家を“畳んでいく”。その物(例:本棚)の名前を唱え、感謝の言葉を述べて一本締めする。そうすると物は消えていく。不条理劇だ。

身の周りのものを、どんどん畳んでいく男。

そこに帰ってきた息子との間で、彼の畳むという行為についてのシュールな会話がはじまる。
自分の部屋がすでに畳まれている(消失している)ことを知り、驚愕する息子。

壊すんでしょ? いいや畳むんだ。
終活でしょ? いいや畳むと終活は違う、「終活は終わると見せかけて逆に広げている」と一蹴。

畳むことの定義をめぐって焦れるような会話が、長く長~く続く。

男はついに家を畳むことに取りかかる。
ヘルパーと名乗る男が登場。ターミネーターのような風体で「機械ですから」が口癖だ。
男は全財産と引き換えに、彼に全てを畳むサポートを頼んだという。

黒ずくめの男たちが登場し、家屋(のセット)をどんどん解体していく。やがて土台となっていた木のボックスだけが残される。

ところで、全編を通じて“愛よりも大事な、いかにうまくやっていくかということを考えてきた”とか“親子が互いにどうでもよくなれるなんて素晴らしい”とか、家族やコミュニケーションについての刺さる言葉がときどき出てくる。家族劇の側面もあるのか。

話は一点に向かっていく。畳み切って平衡状態になったらどう決着するのかと思っていると、突然ある女が登場する。

男の妻であり息子の母だと名乗る女に、男も息子も見覚えはない。妻/母はすでに死んでいるし別人だと感じる。
しかし彼女は姿形は本質ではないと答え、歌を歌う。歌詞には生前の彼女が好きだったものが散りばめられている。
そして“物語を畳みに来た”と、男の畳み方について諭しはじめる。

彼女の登場で話が急転、面白くなった。
前半で不条理ワールドの底固めをしつこくやり、そのルールの上で話をさらにねじれさせ深化するような提示をやったからだろうか?

話はこの後、足を失い喉を失い、朽ちていく男の最期まで描く。
ここはメロドラマ的で蛇足じゃなかったかな。もっと手前で放り出してくれた方が観終わった後の感覚はよかったかも。

怪作というのは失礼だろうが、複雑な印象を与えられた作品だ。ワインのような、では陳腐だ。食べている途中で味の変わるからくり菓子(そんな言葉はないが)のような、か。

もう一度観てみたいと思った。しかしこの作品の東京公演はない。京都まで行ってよかった。

ところで、この作品について考えているとき、急に漫画「デビルマン」の結末を思い出した。
あのラストに抱いていた違和感、なんとなく感じていた白々しさが浮上してきたのだ。読んでから何十年もたっているというのに。
対立者が個から勢力になり(つまりどんどん膨張し)、最後は一人残るサタンの前に神の軍団が現れる。ではこれを見て語っているのは誰なんだ? というのが違和感の正体だった(のだと思う)。

語り手の視座=土台についての禁忌を破ってさらに下へ下へと掘り始めると、こういうことになる。

付録:京都の旅メモ

下鴨神社から上鴨神社まで平安時代の衣装に身を包んだ人たちが練り歩くという「葵祭」に遭遇。

行列そのものもよかったけど、待ち受ける沢山の人たち(人種はかなり多様!)や、通り全体に漂うソワソワした空気の中にいるのが楽しかったなぁ。

京都 2017/05/15

京都 2017/05/15

京都 2017/05/15

こんなものを食べた。

昼、下鴨神社近くの「ファラフェルガーデン」でフムスのピタサンドとファラフェル。うーん、ファラフェルは普通だなぁ。前夜に常総のパン・デ・カーザのキッビを食べていただけに(もしかしたらパン・デ・カーザがすごいんじゃないか疑惑)。

京都 2017/05/15

ザ・和食な有名店はどこも行列だった。ファラフェルの店なら…と思ったけど、昼過ぎなのにかなり混雑で、なかなか席に案内してもらえず。ただ、店の人の応対は気持ちよかった。

夕方、三条の「篠田屋」で「皿盛」。別の店に行く途中見つけ、ここなのかと入ってみた。おそらくこの一代で終わるのだろう、古びた内装。

京都 2017/05/15

皿盛はそば屋のあんかけ風カレーで薄くカリカリのカツをとじた不思議なカレーライス。カレーの味はあっさり、あんかけなのでアツアツで、不思議とおいしい。皿盛とビールの小瓶でぴったり1,000円だった。ここもおばさんの物腰がやわらかく、印象がよかった。

翌朝、4時に起きたのに朝ラーに振られた…(臨時休業)。

京都 2017/05/15

そして最後に駆け込んだコンビニがファミマに改装前のサークルKで、店内スッカスカだった。

京都で学んだことを雑に整理しておく。

    1. 気温27度の晴れの午前、京都駅から下鴨神社あたりまで歩けるだろうとウォーキングしてみたが、やや無謀だった。小一時間かかったしHPが結構削られる。
    2. 中心部のコンビニの密集度がすごい。東京ではどんどん減っているマクドナルドも多い。観光で栄えるってこういうことか。
    3. 京都御所がともかくデカい。横に「パレスサイド」というホテルがあった。東京の同名ホテルよりこっちの方が正統だな…と感じた。
    4. 三条近く、店の雰囲気も呼び込みも六本木にそっくりな楽しげな一角があった。外国人観光客が多いとこういう風になるんだなぁ。
    5. そりゃ森見登美彦を読んだら鴨川デルタには行きたくなるだろうが、カップルでないとちょっと厳しいものがある。

京都 2017/05/15

  1. 鴨川沿いの遊歩道の雰囲気がとてもいい。多くの人がジョギングしていた。部活の練習の学生たちも。世界有数のランニングコースと評した旅行者もいたらしい。今度は鴨川沿いを走るために京都に来たい、と思ったほど。
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