「南島俘虜記」(青年団・こまばアゴラ演劇学校無隣館)を観た

Posted on 2017年4月19日. Filed under: 演劇 | タグ: |

南島俘虜記」、こまばアゴラ劇場で、2017年4月16日に観た。

南島俘虜記

14時からの回で、ぼくは10分ぐらい前に入ったが、狭い劇場内はネットに草でカモフラージュした天蓋に覆われ、四方は模造の熱帯植物の葉で囲まれ、野戦陣地のようになっていた。観客席は簡易ベットなどが置かれた舞台を三方から見下ろすようになっている。そこでは捕虜たちがダラけ、台詞も少しずつだが交わされ、ゆるやかに始まっていた。これは面白い。

現代の架空の戦争によって、南の島で捕虜となった日本人兵士たちの怠惰な日常を描く。
特に何が起こるわけでもなく、雑談のネタは言葉遊び、食べ物、セックスなどだ。

退屈な時間を退屈なまま描く演出が、昨日小高でお手伝い2件を完了させた体に残る倦怠感と握手し、途中一度寝落ちしてしまった。小劇場での居眠りは映画館などに比べてかなりハードルが高い。それでも周りを見ると、眠気と戦っている人がそれなりにいるようだった。

「囲われていた方が捕虜って感じがするから」
「もっとまずい飯を出してくれよ」
「アホウドリは助走をつけないと飛べない」
「(戦争が始まるとわかっていてなぜ婚約したのか、と聞かれ)自分だけは死なないと思ったんだろうね。実際死んでないけど、自分だけは」

など、示唆的な台詞もいくつかあった。

会話の中で、東京は敵軍に制空権を完全に握られ空襲によってすでに人口が1/10ぐらいであること、皇族のアフリカの小国への亡命などが語られる。が、それが本筋ではない。

終わらない戦争、辛くない捕虜生活の不条理が強調されるわけでもなく、歴史のifが詳しく語られるわけでもない。心に残るものが少なかった。

この作品が2003年に上演されたとき、作・演出の平田オリザが語った「長い長い魔の退屈の時間」という形容が、今、2017年に相応しいとは思えない。この週末は近年で最も東アジアで武力紛争の可能性が高まった。そこで退屈を語る、観るというのはシュールだろう。また。若者が退屈をもて遊べる「必ず食ふことができ」る時代というのも、終わりつつある。

ということで、この作品もかつての日本の状況を描いた「歴史」の一つということになるんじゃないだろうか。

Twitterなどで他の人のレビューを眺めてみた。
まず内輪のものが多い。次に、「絶望」とか「極限」などという表現を使ったものはピンとこない。うーん、収穫なし。

ところで、これを観る前に大岡昇平の「俘虜記」を(途中まで)読んだが、こっちはさすがに重い名作だ。最後まで読み進めようと思う。

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