南相馬・小高:仮設引っ越しと竹林伐採 翌日は南相馬駅伝を走る(援人 2017年 0317便)

Posted on 2017年3月24日. Filed under: ボランティア, ランニング | タグ: , |

南相馬・小高:仮設引っ越しと竹林伐採 翌日は南相馬駅伝を走る(援人 2017年 0317便)

ボランティアチーム援人、0317便、2017年3月18日(ボランティアとしてお手伝い)、19日(南相馬復興祈念駅伝への参加)、2日間のメモまとめ。

今週も10人揃って八重洲を出発しました!

南相馬でボランティア→復興祈念駅伝(援人 2017年 0317便)

この便は小高のあれこれを楽しめるからか、今夜はみんな挨拶が長い長い(笑)。早くも感想タイムのよう。まずは引っ越しお手伝いをしっかりやり、その後で小高の“当たり前の幸せ”のあれこれを楽しみたいなぁ。行ってきます!

震災の仮設住宅は東京オリンピックが行われる2020年になってもまだ残っている見込みが高いってニュースを見たとき、“ダメだこりゃ”って気が抜けたのをよく覚えている。
たぶんこういう落胆を10倍の強さで1万人ぐらいが同時に味わうと、革命みたいなことが起こるんだろう。

ぼくらの世代は、社会はどんどんよくなっていくと信じて生きることができた気がする。が、未曾有の災害で階段を転がり落ちてしまった人たちがいつまでも上がっていけないというのは、本当にマズい。罪を犯した人間が捕まらなければ誰も法を守らなくなるように、社会への信任が崩れていく。

それぞれができることをやるべき。ぼくができることは、ニーズある限り東北へ仲間と共に向かうこと。
今週も向かってます。

午前は二手に分かれて仮設住宅からの引っ越し2件、竹林伐採のお手伝い。

仮設住宅からの引っ越しのお手伝い。室内はとても綺麗で丁寧に使っていたとわかる。畳が青い部分は家具の跡だが、狭い四畳半は少しでも物を置くと大人の男が足を伸ばして寝れないほど狭いとわかる。肩や手首を痛めたのでボラを頼んだという依頼主、ぼくらと変わらずきびきびと拭き掃除をしていた。

南相馬でボランティア→復興祈念駅伝(援人 2017年 0317便)

午後は竹林伐採。継続の現場だが、いよいよあと2回ぐらいか。

南相馬でボランティア→復興祈念駅伝(援人 2017年 0317便)

夜は双葉屋旅館さんに宿泊。

夕食は島魚さんへ。

南相馬でボランティア→復興祈念駅伝(援人 2017年 0317便)

翌日。

「南相馬市を北から南まで、ランナーが一群となって駆け抜けよう」

──と、キャッチコピー風にしてみるとすばらしい感じになる駅伝イベントに参加させてもらった。

死んだ爺ちゃんが「イベントものは第一回にこそ参加しておけ」と言っていたが(←言ってない)、手づくり感たっぷり、終始ピースフルな感じにあふれ、とても心に残る大会だった。

南相馬でボランティア→復興祈念駅伝(援人 2017年 0317便)

運営上の理由から車道の占有などはなく(でもなぜか南相馬署のパトカーの伴走はあり・笑)、歩道を一般の人に配慮しながら走り、できるだけ列が途切れないよう気配りしながら群れで進んでいくというもの。

穏やかなペースで、周りの人と会話などもでき、終始気持ちよく走ることができた。

ワラーチで走るのが楽しみだったし、やっぱりとても楽しかった。
地面とケンカして記録をめざすのではなく、足の裏で南相馬を感じながらヒタヒタ進むことができた。

ぼくはニ区だったが、三区のメンバーにたすきを渡した後も、何人かはそのまま最後の三区も走ることに。

南相馬でボランティア→復興祈念駅伝(援人 2017年 0317便)

原町から小高へのゆるいアップダウンを楽しんだ後、商店街の通りの向こうに見える小高駅前へ。信号待ちでは列が離れないよう待ち、最後はランナー全員が一群となってゴールした。

小高、原町、鹿島それぞれの人、移住した人、仕事で関わりがある人、ぼくらのように震災ボランティアがきっかけの参加者など、それぞれ目を留めたものや感じたことは違っただろう。そういう多様なメンバーで走れたことがよかった。再興途上の、今の南相馬だから実現できた大会なのかもしれない。

南相馬でボランティア→復興祈念駅伝(援人 2017年 0317便)

こういうマラソン大会もあるんだなぁ。次回があればぜひまた参加したい。

走る面でも気づきが一つ。ニ区と三区、さらに追悼ランで海沿いの塚原まで往復し、合計18kmぐらい走ったと思う。集団走で終始ペースを抑えたためか、終わって足裏や足首のダメージはほとんどなかった。地面と仲良くしながら走る方法をまたちょっと深められた気がする。

(※ラン中はスマホを持たないので、K君の写真を一枚借りた。)

ラン後は、開店したばかりの「十割そば こごた」さんで昼食。

南相馬でボランティア→復興祈念駅伝(援人 2017年 0317便)

お手伝い+地元の方主催イベントへの参加、充実した二日間になった。

仮設の狭さ、その中での丁寧な暮らしを思わせる室内、町を自分の足で走ること。全て、想像するだけなくより近づいてみることで対象をより深く理解できるなぁ、と。

今日の駅伝、きちんとお膳立てされた商業的イベントではなく、手作りの温かさ、小規模ゆえの親しみやすさが随所に。小鷹先生は気づかいと献身の人だ。主催の一人の今野さん(南相馬ひばりFM)の最後の挨拶、「復興には直接つながらないかもしれないが、町の彩りになった」。その通りだと思う。

個人的に好きなマラソン大会ランキングとして川内マラソンを越えたかも。

走りの気づきとして、人のペースに合わせて走るのは苦手だが、集団走を15~20km(ニ区、三区、塚原への追悼ラン)やってみて、この距離をワラーチで走った中で最も足のダメージが少なかった。普段いかに乱暴に走っているかってことだなぁ…。

メンバーの感想から。

「仮設のお手伝い、お父さんお母さんともに身体は悪く、戻れたのはいいが。これからどうサポートできるか。どうしたらいいんだろう。別れ際に困ったことあればボランティアセンターに連絡を、と伝えた。家族が一緒にいればできることができない。国や自治体はもっと長い時間サポートをしないと。20年などかかっても。原発の問題があればなおさら。覚悟して帰られても幸せに暮らせるかどうか」

「駅伝、すばらしかった。先生と仲間、それが広がっていく。家族は力強い単位だが、趣味などでつながりを作り出していくコミュニティーのよさ。実はああいうことがこれからは一番役立つんじゃないか。時間はかかるがやっていくことが重要」

「弾丸便に比べてゆったりとした時間を過ごした。小高駅の待合室にすわったり。駅伝はスタッフ、キャラバンで送迎をやった。いろんな人と話し、いろんな境遇について聞けてよかった」

「双葉屋旅館、きれいなお風呂で。夜は島魚さんで飲んで記憶がなくなり…赤霧島二杯目から。夜の小高をスキップしたらしいが、覚えてない。今朝は早く目覚め、散歩を。朝ご飯もすごくおいしかった」

「駅伝はスタッフということで、待機していたがあまりやることがなく、逆に贅沢な体験ができた。賑わう小高駅前の空気を感じた。ランナーたちが戻ってくるので小鷹先生がテープを張りたいと。バラバラに戻ってくるだろうからと。しかし一団になって戻ってきたので感動した。先生の活動、とても大事。周りが見守っているよと伝えることも。公営住宅のお母さんたちが手作りの旗を振ってくれた。走ってはいないが、端っこに参加できてよかった」

「夜は、援人では珍しいゆったりした時間を過ごせた。小高の夜、居酒屋に加えてスナック、カラオケ、夜遅くまでやっているラーメン屋があるといいなぁ」

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