久々の陸前高田 気仙沼横丁で最後のラーメン 小高でお手伝い(援人 2017年 0303便)

Posted on 2017年3月13日. Filed under: ボランティア, 東日本大震災 | タグ: , , , |

土曜日は大船渡で朝ごはん、陸前高田で未来商店街、旧ボラセン跡地、川の駅よこた、一本松茶屋、奇跡の一本松、気仙沼ではシャークミュージアム、K-Port、気仙沼横丁などを訪問。あたみ屋で最後のラーメンを食べ、はまらん屋のお母さんの話を聞き、6年間の道のりの重さを感じた。
日曜日は小高・E地区の竹林伐採シーズン2をしっかりやり切り(もちろん継続だが)、夕食は広野町くっちぃーなで。

6年もたった沿岸被災地の今を、場所を訪れることで知るだけに留まらず、偶然の人との出会いにも強く印象づけられ、最初気仙沼横丁に行こう、と思い立ったときには想像できなかったぐらいの収穫があった旅だった。

陸前高田。久しぶりすぎて、色んな感情が溢れてくる。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

大船渡市魚市場で朝食。吉次の煮付け、うんまい。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

陸前高田市横田町、かつて災害ボランティアセンターがあった場所。今では更地になっている。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

今、かさ上げ工事などの関係で奇跡の一本松までは駐車場から歩いて10分もかかるようになっている。たどり着くまでの時間に意味があるような気がする。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

陸前高田には2012年以降は訪れていないはずで、かさ上げが進み、方向感覚を失うほどとわからないのでは、と恐れていたが、だいたい思い起こすことができた。逆にこれだけの時間が経ってかさ上げや防潮堤の建設がこの進み具合ということは、この先何年で完成するのだろう、と思わされた。

気仙沼の波路上あたり。当時被災財や腐った魚が散乱していた田畑はほぼ全て更地になっていた。しかし向洋高校などの位置関係から、泥出しをしたお宅や田んぼを思い出すことができた。あれからもう東北で数え切れないぐらいお手伝いしているのに、初めの頃受けた衝撃と共にこの場所は記憶の底に残っていたのだろう。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

気仙沼。安波山の頂上に登ったぞっ。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

昼食はシャークミュージアムに併設された「いちば寿司」で。“ならでは”のネタが沢山あってうれしい。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

一階には新鮮なシーフードが沢山並んでいて(一抱えもあるようなメカブが200円とか)、もし日帰りであれば持てるだけ買って帰りたかったが…。

気仙沼港そばのK-port(渡辺謙さんのカフェ)で一休み。6年たって“被災地”でこんな素敵なものを楽しめるようになったんだなぁ。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

ホテルにチェックインした跡、この旅の元々の目的であった気仙沼横丁、「あたみ屋」さんへ。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

ついに今月20日で終わってしまう。「あたみ屋」さんの味噌ラーメンの味わいは2011年より深みを増し、そして今すすると悲しい。

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

気仙沼横丁、あたみ屋さん、はまらん屋さんという6年続けた数少ない店で最後の夜。はまらん屋のお母さんの明るさ、健気さは心に滲みた。復興はやっぱり人だ。
しかし一方で、踏み留まることさえ許されなかった原発事故被災地の辛さを思った。根っこを奪ってしまったのだ。

夜寝る前にぐるぐる考えたこと。

2011年、瓦礫だらけの陸前高田で感じた絶望。
明かりが灯ったばかりの気仙沼横丁は本当にありがたかった。

2016年、想像していたよりも変わっていない陸前高田。あと何年かかるのか。
どんなに地形が変わっても、何かの片鱗からお手伝いした場所や通った道を思い出す。

屋台村、店主たちは巣立たざるを得ない。
しかし気仙沼の女性たちは明るくたくましい。

日曜日、南相馬市小高区。前日お母さんの話を聴きながらつい飲み過ぎ、やや二日酔い。仕事の日以上にボラの日は体調を整えているが、まぁ最後の夜なので仕方ないか。継続の竹林伐採、全力を尽くした。依頼主も来て範囲がより明確に。やるぞ!

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

小高でお手伝いした後、ひろのてらすの「くっちぃーな」で夕食。麻婆のこのボリュームを見よ。唐揚げもパスタもカレーもおいしい。オープン一周年だそうですね、おめでとうございます!

気仙沼横丁に行く / 小高で災害ボラをやる(援人 0303便)

メンバーMさんの感想から。

「久しぶりに陸前高田と気仙沼に行けてよかった。陸前高田、知人の息子さんが働いていた。津波で亡くなってしまったが。そういう意味でつらい場所だ。かさ上げ、まだ終わっていらず途上という印象を受けた。誰かを責めてもしょうがないが…。
気仙沼横丁の人たち、とても前向きだった。彼らにとって、ようやくここまで来たということだろう。気仙沼、店主お二人と話せてよかった。震災で大変だったけど全国の沢山の人と縁ができた、交流できた、よかったと噛みしめるように仰っていたのが印象的だった。もちろん前向きでない人もいるだろうが。
これからも被災地でお手伝いしていきたい。震災直後、ボランティアのニーズがなくなるまでやり続けようと考えた。6年もやることになるとは思わなかったが」

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