南相馬・小高:請戸に帰還する船 春満喫の竹林伐採(援人 0224便)

Posted on 2017年2月28日. Filed under: ボランティア | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0224便、2017年2月25日、南相馬市小高区(旧避難指示解除準備区域)でのお手伝いの記録(Facebook投稿、手元メモなどのまとめ)。

こんなことをTweetした日の夜、いつものように南相馬へ向けて出発。

今夜は、以前大雪でスタックしたときお世話になった宮城・白石の仙加苑(せんかえん)さんのお菓子を持って行きます。

10人揃って特金(プレミアム・フライデー)便が出発しました。援人号にテレビ局の取材ハイヤーが並走するかたちで。今日は久々(2年ぶり)参加の人もいて、この多様なメンバーがやっぱりいいなぁ、と。ちょっと緊張しつつ、明日もしっかりがんばろう!

浪江ICを降りて下道で小高に向かうとき、いつも切なくなるポイントがある。国道6号に出る手前の信号、二輪車用の押しボタン。たぶんもう6年近く、このボタンを押すような人はここを通ってないだろうと思う。

2017-02-25 02.40.17

小高、桃内あたり、マイナス4度。

南相馬・真野川漁港。今日、浪江の請戸港に帰るという船たちを見に来た。

2017-02-25 06.58.03

サイヤさんで「5年目のバタしょっと」、やっと発見(メンバーNさんが見つけてくれた)。

2017-02-24 22.37.20

小松屋旅館旧館の解体進む。散歩の途中、立ち止まってしばらく眺めている人がいた。

2017-02-25 08.20.57

ボラセン近くには、梅がきれいに咲いているのに庭が荒れたままの家がある。

センター長の挨拶。

「今日はテレビ局が取材に来ています。
また、T組合さんが17人視察に来る。今後のボラの検討に。
昨日は鹿島へ物資の支援の依頼に言ってきた。
センターのブログに大事なことを記載している。飯舘村に近い大原地区で瓦礫撤去を。2年間放置されていた。環境省に話を持ち込んだ。今月末までに運び出しを完了、ボランティアがやる。昨日では終わっていない。大原から福浦まで運び出し、30分はかかるが。
2月はボランティア参加が少なかったが、それなりにニーズはこなせた。しかし環境省の回収は終わる。今後トンバッグはダメだろう。45L袋か。
県からは交流イベントをやってくれないか、と。月一回ぐらい茶話会など。
事故があったときなど、ホウレンソウをお願いしたい。いいことでなく悪いことから。早く対処したいため。」

青い空と強い日差しに祝福されたかのようなお手伝い。

動いていると体感温度は春真っ盛り、激しい作業の合間にガブ飲みしたアクエリアスのうまさは、もう夏だった。

先週で終わったはずの竹林伐採が終わっていなかった。そもそも初回、メンバー全員で一緒に歩き伐採の範囲を確認したはず。が、今日の指示はまた違ったものだった…。やり過ぎの箇所の指摘まで。釈然としなかったが、いずれにしろあと3~4回分の範囲が追加に。

2017-02-25 11.09.00

今回は女性が5人、つまり男女比半々のチームだったが、女性が枝打ちでよく動いてくれ、切り手は基本Yさん1人、上流から玉切りまでスムーズに回っていた。ぼくは後処理と伐採に、流れを見て役割を都度変えた。ヒヤリハット、伐倒時に声をかけたが人のかなり近くに倒れるケース何度かあり。いつものことだが、顔、スネ、脇腹などに打撲、擦り傷。
来週以降、伐採範囲と競合せず後処理と切断をどう行うか、考慮の余地あり。

マラソンには「2/3を過ぎるまでは寝て行け」というアドバイスがあるらしい。気を張り過ぎると、オーバーベースを招いてしまう。意識を鋭敏にし過ぎるのはよくないそうだ。

こんなことを思い出したのは、今回の便、八重洲を出発するときからカメラを抱えたテレビのスタッフが取材をしていたからだ。

自分がお手伝いをしている様子にカメラを向けられると、いつもはほぼ無意識でやっている作業の一挙手一投足を意識してしまい、これでいいのかな? などと考えてしまう。肉体的なキツさもいつも以上に感じられ、時間が長かった。

(取材は少しでも被災地の様子が伝わるならと受けたもので、もちろん意義あることだと思っている。)

2017-02-25 11.09.05

もう一つ、カメラという外からの視点を意識することで起こったのは、このお手伝いはテレビ映えするのかな? という思いが湧いてきたことだ。

ぼくらがやっていたのは、何週も何週も続く元畑の竹林伐採だ。

東京からわざわざ被災地に取材に来るのなら、荒れた家屋内の片付けや仮設からの引っ越しなど“わかりやすい物語”に沿うお手伝いの方がいいのでは、と考えてしまったのだ。

しかしぼくらのお手伝いの源は、住民の方が自らボラセンに持ち込んだ依頼だ。やらなければ、依頼票はいつまでも積まれたままだ。

住民が一割しか戻っていない町では、震災前はうまく回っていた“やるべきだけど、今は誰も積極的に手を出さ(せ)ないこと”がボラセンへの相談としてやってくる。それらを一つひとつこなしていけば、家や町のきれいに保たれ、戻った人、戻ろうとする人、戻らないけど古里を思う人、誰にとってもうれしいことだろう。

そういうことはわかっているつもりでいた。で、外からの目を意識したことで改めて俎上に乗せることができた。今回2年ぶりに参加してくれたメンバーの存在なども含め、さまざまな視点でチームをかき混ぜることで、もっと強靭になり、続けていけるのではないか。

2017-02-25 15.11.52

昼にエンガワ商店さんで聞いた話。お客さんからのリクエストで、チルドの棚に「餃子の皮」など細々したものを置きはじめたという。作業員やボランティアは買わないものだ。小高で暮らし、料理をする人たちがちゃんといるってことだよね。

参加メンバーの感想から。

「今日は小高の春を味わいながら、とても気持ちよく動けた。次回以降の課題、目の前の作業にだけ熱中すると、枝は溜まるし竹運びが足りない。運搬はキツいので、切る竹が減ったら特に男性は運んでほしい」

「インタビューでどうして皆さん福島にこんなに? と聞かれた。あまり理由はない。知っている人がいる、そういう場所が増えていく」

「作業前に寄った真野川漁港、帰っていく船を見てうれしくなった。小高神社にも寄れて。後で振り返る出来事が一杯あった」

「昼休み、移動カフェでコーヒー。すごく美味しかった。こういう幸せ、すごく大事だと思う。少しずつ普通の状態に戻りつつある」

「二年ぶり、二回目の参加。すごくドキドキした。自分が参加することで進捗が落ちるのは怖かった。が、リーダーが久しぶりの人も、と書いていたので。皆さんがアドバイスくれた」

「朝行った真野川漁港、あのあたりは好きな場所。ボラセンが原町時代に近くで瓦礫撤去をやった。あれから4年。請戸にも機会があれば行ってみたい」

夕食は、二本松の杉乃家さんで。

川俣シャモが入った「鳥うどん」を食べてみた。

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ずっと通っていると気づくが、浪江町から避難されてきた方はこの店で天ぷらうどんや鍋焼きうどんを食べていることが多い。浪江町にあった頃、町の人にはうどんが人気だったんじゃないだろうか。

うどんの麺はやや細くシコシコ、腰が強いタイプだった。
(そしてスープは甘辛。ぼくの青春時代の思い出、横浜・桜木町駅の…以下割愛。)

なみえ焼そばの麺はもちろんラーメンの麺もこのうどんの麺も、しっかりこだわりをもって選んでいる印象だ。浪江町は住民一人あたりの飲食店の数が日本一だったこともあるという(前に河北新報で読んだ)。レベルが高いのだ。

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それはそうと、最近一部(ぼく含め)援人メンバーの杉乃家さんでの注文の仕方がおかしい。なみえ焼そばは必ず食べたいが、ラーメンもおいしいので「なみえ焼そばとラーメン」(つまり二人前)といった注文が増えた。
ぼくも昨夜は鳥うどんとなみえ焼そばを食べ、満足した。

あ~早くまたなみえ焼そば食べたいっ(笑)。

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