南相馬・小高:氏神再興のため杉材磨き 広大な竹林伐採終わらず(援人 1216便)

Posted on 2016年12月20日. Filed under: ボランティア | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、1216便、2016年12月17日(土)、南相馬市小高区(福島第一原発事故による旧避難指示区域)でのお手伝いの記録。

金曜夜、八重洲。2週間ここに来ないと“超久々だ”と感じる体内時計に促されて5年9か月。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

10人…いや残念ながら今回は満席にならず、9人揃って八重洲を出発。

今年もいろいろあったけど、気づくと来年は浪江、富岡、飯館などの避難指示区域の解除が予定されている。今後ぼくらボランティアの出番もあるかも。
ただ状況がどう変わっていっても、ニーズあるかぎり行き続けると決めれば変化には対応できるはず。まずは今年最後から2回めのお手伝い、しっかりやってきます。

早朝、南相馬市鹿島区、八沢地区の慰霊碑の先から海を臨む。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

サイヤさんで。「章姫」が出てるよ~。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

南相馬市ボランティア活動センターは、お借りしていた小松屋旅館別館が解体準備に入ったため、現在すぐ裏のプレハブハウスに移設されている。

久々のボラセン、いろいろ備品が移動中だ(現在進行形)。これまでの(朝のマッチング後一刻も早く出発するのための)最適化した動きが通用しない面があり、しばらくは都度観察と再構築が必要。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

朝礼、松本センタ―長の挨拶(抜粋)。

「昨日は雪が少し降った。
被災者を取り巻く環境が変わってきた。伐採した木などは環境省が回収しない方向になってきている、など。
ある依頼者、センターへ来て依頼を伝えた後、センター長の笑顔に救われた、一人じゃないんだと思った、と涙を流していた。しかし被災者のゴミなどは自腹で処理する方向へ進む。また、トン袋に入れないと持っていかないという方針変換も…」

午前のお手伝い先は塚原地区。高台にある諏訪神社に新たに設置する鳥居の木材の皮剥ぎと磨き上げだ。行政区長の今野さんは、以前援人が鹿島の仮設住宅のサロンにマッサージチェアを贈ったとき窓口になってくれた方。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

軽労働ではあるけど、地域の氏神再興に役立つ大事なお手伝い。主体は地域の人で、そのサポートをするという構図もいい。記憶に残るだろう。

昼。小高駅近くの空き地に軽ワゴンのコーヒースタンドが出ていた。後で調べると「OMSB(オムスビ)」というんだとか。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

エンガワ商店前で昼食後、おだかぷらっとほーむへ。HさんのFacebook投稿で見た小高Tシャツを手にいれるため。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

塚原でのお手伝い内容について伝えると、Hさんはとても喜んでいた。地域の人々が自ら動くことが何より嬉しいようだ。

午後は竹林伐採、広大な敷地だ。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

台風10号被災地である岩泉で緊急性の高い活動にしばらく慣れていたので、この手のお手伝いの意義にやや疑問を感じたことは否めない。

ただ、身体をハードに使うこと(多くの人が遊興としてスポーツをやっているではないか)が人の役に立つ、チームワークを発揮することがより高い成果につながる(球技などを人がやるのはこれが主な楽しみだろう)、つまり私益と利他が合致しているのが災害ボランティアなのだと改めて思った。

午後の現場はまだまだ完了への端緒にあるが、時間内にできることはやりきったので爽快感があった。小高はやはり自分を原点に立ち帰らせてくれる場所だ。

年内ラスト2というタイミングで、終わらない竹林伐採シリーズはじまる!!! 次回、総力戦予定。

かぼちゃ凍天っ! 南相馬・原町の木乃幡さんにギリギリセーフ。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

メンバーの感想から。

「一番ショックを受けたのは、過去何回か草刈りに入ったお宅が取り壊されていたこと。ポジティブな理由だったらいいな。助成の期限の兼ね合いか」

「午前のお手伝い、なかなかない経験。やすりやサンダーを使った。一緒に作業した地元の方、助かると何度も仰っていた。意味は十分にあったと思う」

「電動工具に勝るものはない。手作業は心を込められるが。鳥居が再建される来年の春が楽しみ」

「午前のお手伝い、よそ者がやっていいのかと。ただHさんに喜んでもらえた。こういうことを伝える役割もあるのかと思った」

「二件目、依頼者はずっと作業の様子を見ていたが、途中から一緒にやっていた。次回は自己紹介タイム(笑)でお父さんとの距離を縮めてほしい」

「東北でのお手伝い、今回が100回目。自分の故郷に帰るより多い。特に小高は一番通っているので、帰ってきた感じ、錯覚してしまう」

ちゃんと言葉を尽くせよ、自分の心をかたちにする語彙を持てよ、と自分を叱咤することがある。

南相馬でお手伝いし、二本松で杉乃家さんに寄ってなみえ焼そばを食べた後はいつも軽い苛つきを覚える。
いつもおいしいのだが、「おいしい」では到底足りない気持ちで満たされるから。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

東日本大震災と福島第一原発事故が起こり、居住も立ち入りも許されない地域となり、やがて日中立ち入りのみ許される期間を経て、今年7月にようやく自宅に帰ることが許されるようになった南相馬の20km圏内。

そこで何度も何度もお手伝いをし、遠い避難先にいるため立ち会えない依頼主の苦衷や、日中だけ我が家で寂しく過ごす老齢の依頼主や、家を引き払うために家財廃棄を決めた依頼主など、さまざまな人生のかたちの(片鱗にだけ)触れてきた。

そういう経験をした後、二本松に行って食べるのがなみえ焼そばだ。

杉乃家さんの元々の店舗は南相馬の隣の浪江町の、今も日中立ち入りしか許されていない地域にある。
(杉乃家さんの箸袋の住所は、まだ浪江町のお店のままだ。)

重たい気持ちを引きずりながら、なみえ焼そはを食べる。
しっかりやれたはずだと張りのある気持ちで、なみえ焼そはを食べる。
二本松でがんばる芹川夫妻の笑顔を見ながら、なみえ焼そばを食べる。

そういう体験が積み重ねてきたから、なみえ焼そばは「おいしい」という表現ではとても言い尽くせない。

災害ボランティアとしての自分にとって一番大切な食べ物を挙げよ、といわれたらなみえ焼そばだ。まだ浅い気もするけど、まずはそういうことにしておく。

諏訪神社について調べてみた。改めて、お手伝いできてよかったなぁ。

2013年1月、ラジオDJ大和田さんのレポート。

大和田新の福島レポ ≫ 第481話  小高区塚原地区

「『諏訪神社は、 小高区塚原地区の避難場所になっていたから、住民はここさ逃げてきて助かった』と語るのは、神社の真下に住む鎌田良晴さん(60)」

2015年12月、今野さんのブログ記事。

塚原行政区内の諏訪神社の改修工事完了近づく – 今日の南相馬市小高区

「地震で倒壊した鳥居の再建用にヒバ材6本を伐採すると同時に日照を妨げていたり枯れたりした立木も同時に伐採した。今後3ヶ月程度自然乾燥させた後、鳥居材として加工に入る予定である」

2016年1月、今野さんのブログ記事。

諏訪神社大震災から復活なる。 – 今日の南相馬市小高区

「去る1月10日塚原行政区の諏訪神社改修工事の竣工式を大井の大国神社(田代神職)を迎え執り行われた。工事は筑波大学貝島准教授と研究生の皆さん方の設計・監理、(有)玉川建築工業所の施工で行われ、行政区役員、氏子総代、地区の住民及び工事関係者総勢50人超の人数が参加し行われました。神事の後塚原神楽保存会の皆さんによる神楽の奉納や住民同士の交流会も同時に行われました」

そして翌日。
いぇい! 朝6時の試着タイム(笑)。

南相馬市小高区でボランティア(援人 1216便)

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