読書メモ「天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災」(南海トラフまで猶予わずか, 4・5歳児を伴う避難訓練は大事, など)

Posted on 2016年11月30日. Filed under: book | タグ: |

「天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災」(磯田 道史)、読了。

著者は映画にもなった「武士の家計簿」の人。“ベストセラー歴史家”といってもいいかも知れない。

磯田さんが災害史にこだわる理由は、母方の家系が日本有数の津波常襲地であり度々多数の死者を出してきた徳島・牟岐(むき)から出ており、津波をかいくぐって生き延びてきた人たちの上に自分の生がある、と自覚しているからだという。

この本の主張は一貫しており明確だ。“歴史に学べ、そして備えよ!”というもの。

たとえば、東日本大震災についてはこう語っている。

「考古学者たちは震災前からサインを出していた。仙台平野に沓形遺跡という約二〇〇〇年前の弥生時代の遺跡がある。震災の五年前から本格的に発掘され、当時は二キロ(現在は四キロ)内陸のこの遺跡から津波の砂の層が発見されていた。砂は分厚いところで五センチを超えていた。集落は津波で徹底的に破壊され、再び人が住みはじめたのは津波から四〇〇年後という衝撃的な事実もわかっていた。つまり、仙台平野は約二〇〇〇年前、約一一〇〇年前(貞観津波)、四〇〇年前(慶長三陸津波)、そして二〇一一年(東日本大震災の津波)と、はっきりしているだけで、二〇〇〇年間に四回もの大津波に襲われている。いずれも内陸四キロ前後まで浸水。五〇〇年前後の周期性をもったきわめて反復性の高い自然現象であったことがわかる。「あの時津波の砂に学んでいれば」という後悔が今後あってはならないだろう」

以下、“これからに備える”という視点でいくつか引用しておく。影響を受ける地域の人、親兄弟がいる人は読んでほしい。

南海トラフ地震について。

「現在、はっきり被害が想定されているもので、日本最大の危機はこの南海トラフの連動地震である。政府の中央防災会議による被害想定も出そろってきた。被害を「最大」で想定した場合、人的には三二万人が犠牲となり、経済的には二二〇兆円を超える被害が出るとされている」

「わかっているのは、(1)南海トラフの地震は約一〇〇年の周期で発生。(2)同時もしくは数年内に遠州灘から四国沖まで連動するのが普通である。(3)古文書の記録によれば九〇年間より短い周期で二回おきたことは歴史上確認できない。(4)歴史記録のしっかりしている南北朝時代以降で観察すると一五〇年の間におきなかったことは一度もない。以上のことである」

「最近、南海トラフが動いたのは一九四四年(昭和東南海地震)と一九四六年(昭和南海地震)である。約七〇年が経とうとしている。(3)の南海トラフは九〇年以内に二回おきたことはないという歴史的経験からすれば、我々には二〇年ちょっとの地震猶予期間が与えられているのかもしれないが、相手は地球である」

「私の住む浜松市の子どもにとって、大津波は他人ごとではない。南海トラフの大地震は、いつくるかわからない。ただ過去の例からいわれるように、襲来周期が約一〇〇年とすれば、今の小学生は事態に直面する可能性が最も高い世代だ」

東京を襲った災害についてわかっていること。

「『玉露叢』という記録に、このような記述がある。「(この台風が)江戸市中で吹倒した家は三千四百二十軒余。本所・深川方々で溺死七百余人。濡れた米が二十万石余。本所・深川・木挽町・築地・芝へ向って高潮があがった。所により家の床より四尺(一・二メートル)、五尺、或いは七尺、八尺(二・四メートル)である」。 床面から測って二・四メートルの浸水だから、海抜三メートルを越える高潮が、現在の東京にきて、江東区深川から中央区銀座・築地、港区芝を浸けたことがわかる。東京都心の低地は、津波がこなくても高潮で海抜三メートルまでは繰り返し浸水してきた歴史があることを知っておきたい

「一九一七(大正六)年一〇月一日、東京に最低気圧九五三ヘクトパスカル、最大風速四〇メートルの台風がきた。東京湾の潮位は海抜(東京湾平均海面=T.P.)三・一メートルまでみるまに上がり、高潮が市街に流れ込み、約五〇〇人が溺死した。現代人の多くは忘れているが、築地はもちろん、木挽町(現在の銀座、歌舞伎座付近)までも水浸しになった

大阪の災害について。

「現在の大阪は津波の恐ろしさを実体験した人が少ない。これは恐ろしいことである。防災は前におきた災害の記憶に影響されてしまう。…大阪府が津波高さ想定を六メートルに引き上げたことは、古文書の断片的な証拠に照らして、妥当である。それどころか、それらしい津波が六五〇年前にきていた可能性が指摘できるのである。 五~六メートル級の津波がくれば、低地がひろがる大阪は大変なことになる」

京都の災害。

「文政京都地震は規模こそM6・5と小さいが、京都に大被害をもたらした最後の地震である。この地震以後、京都の市街地は約一八〇年間、大きな地震被害に遭っていない」

四、五歳児を伴う津波避難訓練は特に大切だという指摘。

「牟岐の死者名簿をみていて、五歳児と母親のペアの溺死者が目立つのに気付いた。一九四六年時の成人女性の平均的な体格は身長一四九センチ、体重四九キロ。当時五歳児の平均体重は一七・五キロであり、母親が抱いて逃げるとすると、負担が大きかった。重いわりに幼く、手がかかるのが四、五歳児だ。最後まで我が子を捨てず、一緒にあの世に逝ってしまった母親の情を思うと、せつない。四、五歳児の津波避難訓練はとくに大切だ。避難先の高台まで、親子で訓練を兼ねた夜のピクニックなどしておくとよい

まずは知っておきたい。そして知っていても備えないのなら何の意味もない。できることからやりましょう。
ぼくは今朝、非常用持ち出し袋を見直しました。

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