南相馬・小高:14代続く家 通いの片付け6年めのお手伝い(援人 1028便)

Posted on 2016年11月2日. Filed under: volunteer | タグ: , , |

ボランティアチーム援人、1028便、2016年10月29日土曜日、約1ヵ月ぶりの南相馬市小高区(旧避難指示区域)でのお手伝いの記録。

南相馬ラブ部の一人部活として、個人的には超久々のすき家(原町店)へ。土曜朝5時過ぎ、客入り8割強。千手観音君はよりたくましく成長していた。それを羽生結弦君の成長にときめくオバさんファンのような気持ちで眺めながら、卵かけご飯+サラダを食べる。

南相馬・小高(旧避難指示区域)でボランティア(援人 1028便)

南相馬・原町のセブンで。これが普通に買えるとは、さすがずんだ/じんだ文化圏だぜ。

南相馬・小高(旧避難指示区域)でボランティア(援人 1028便)

鹿島区の寳蔵寺まで紅葉を見に行く。

南相馬・小高(旧避難指示区域)でボランティア(援人 1028便)

新田川、真野川などで鮭を探す。少しだけ見ることができた。

南相馬・小高(旧避難指示区域)でボランティア(援人 1028便)

小高。着替えてから開店したばかりのローソンにダッシュし、のち小高川。

鮭いないなぁ…と探していたら、つーっと水面をつんざくように一匹上がっていった。写真は撮れなかったが、鮮烈な姿だった。

南相馬・小高(旧避難指示区域)でボランティア(援人 1028便)

朝礼、松本センター長のお話。

「書類の整理があり遅れました。初めての人は? 二人で。できることをできる範囲で。朝、建物オーナーと話を。ボラセンをいつ解体するか、備品はいつ持ち出すか。取り決め、来月20日頃から。借りてある場所に運び込む。入れ物(事務所)はこれから発注。今日から片付け、2チーム投入。解体が早まったので、ボランティアが来る目処を確認したい」

この日のお手伝いは「家屋裏の竹伐採」(ニーズ票にはその一行のみ)。地図などでの範囲指定なし。依頼主立ち会いの有無も記述なし。現場に着いて少し見て回り、依頼主に電話、来ていただくことに。確実な範囲から伐採にかかるが、すぐ終わってしまう。後処理方法の記述もないためペンディングにせざるを得ない。この待ち時間がもったいなかった。

依頼主が到着、結局追加で庭の池周りの竹伐採(密集、ツル絡まりなどで手強い)、庭の草刈りと剪定、石階段の修復など追加ニーズ。全て終了。ただ依頼主はかなり範囲が広い裏山の竹を皆伐してほしいようで、ニーズとしては継続になった。

南相馬・小高(旧避難指示区域)でボランティア(援人 1028便)

ここずっと岩泉に通い続け、小高を久々に訪れて感じたこと。
小高もやはり自然が美しい。静かで、岩泉のように災害の生々しい爪痕はないが、長く続いてしまった避難による問題や心労がある。
避難しながらの家の維持はやはりとても大変だ、と改めて思う。正直ボラのお手伝いはイタチごっこの面がある。終わりは見えない。でもそれでいいのではないだろうか。

参加メンバーの感想から。

「当代で14代目、守らなければならない大変さ、葛藤があるのかなと思った。池の周りは大分明るくなった。あの風景を見ていただきたい」
「お母さんが来て指示を出していただき、倒れた石碑を起こすことができてよかった」
「岩泉のように季節が変わっていく(ことでお手伝いできなくなる)焦燥感はないが、解除された町とは思えない様子、生活感のなさを感じる」
「今日のお母さん、疲れている様子が気がかり」

台風被災の生々しい爪痕が残る岩泉町に何週間も通った後、久々の南相馬で自分が何を感じ(または感じず)、お手伝いにどういう実感を得るのか少し不安があった。

が、杞憂だった。行ってすぐなじみの感覚が戻ってきたからだ。
(あえていえば、岩手弁に慣れた耳で南相馬の人たちの言葉を聞くと、訛りが強いなぁとなぜか感じたぐらい。)

改めて感じる。小高の現状は災害が突然えぐり取ったのでなく、5年も続いた不在がもたらしたものの積み重ねだ。家の荒廃、集落の衰退、人の辛労辛苦。

今日のお手伝い先は14代続く家だという。メンバーの誰かが「千と千尋」に出てくる湯屋のようだと言うのに納得できるぐらい、よく見ると大きな寄木細工のような趣きのある家だった。

老齢の依頼主はまだ帰還されておらず、おそらく通いで掃除や片付けを続けている。「5、6年もたつとこんなになってしまって」と、桜の木が竹で覆われてしまったことを悲しむ。敷地の至るところが獣のぬた場になっている。屋根が傷んで雨漏りしたため修理し、年末に畳を入れ直すという。

見たところ、手入れは庭や裏山が荒れていくスピードに追いついていない。だからボランティアを頼んだようだ。

南相馬・小高(旧避難指示区域)でボランティア(援人 1028便)

1日のお手伝いを終えて、これはイタチごっこだと思った。でもそれでもいい、少しでも“人の家らしさ”を取り返すことに役立つのなら。

避難指示区域だった間、ぼくらはほぼ毎週小高に通った。そして今、5年の不在が残したもの、今も1割しか戻らない住民。“行くべきだ”と考えた当初の理由は解除後もなくなっていない。

…と、こんなことを考えながら八重洲から自宅への道を歩いていた。

以下は余談、またはPost Script。

斜め前のマンションの前に「Amazon Prime Now」と前後左右に書いた軽バンが停まった。23時だぞ、こんな時間に注文するんだな。

しばらく行くと、前を若い女が酔っているのかフラフラと歩いていた。蝶柄の黒いワンピース、夜なのに大きなサングラスをかけて。

岩泉のNさんは、夜にならないとラジオも入らないんだと言っていた。
小高でお手伝いした老齢女性は、平日は1人で家の手入れをするんだろうな。

毎週被災地と呼ばれる地域と、商業サービスべったり、過剰な便利さが溢れる東京を行き来していると、ときどき巨大な「?」が浮かび上がってくる。

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