南相馬・小高:またも竹林伐採 避難指示解除「前」と「後」で激変はない(援人 0715便)

Posted on 2016年7月18日. Filed under: ボランティア, 福島, 東日本大震災 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0716便(活動日 2016年7月16日土曜日)、南相馬市小高区でのお手伝いの記録。

7月12日火曜日午前0時を境に、南相馬市の20km圏内は(帰還困難区域を除き)普通に人が暮らせる町に戻った。この便は「人が暮らす町でお手伝いできる」最初の便となった。

避難指示解除「前」はできるだけ数多くお手伝いに行くことを目標としてきたが、これから先はややペースを落とし、ニーズの推移もしっかり見たいと思う。しかし今後さらに活動者数が減る見込み、という先週センターで聞いた話も気になっている。

常磐線が小高まで開通した日、取材を受けていた高校1年生。小学4年生のときから避難生活を続けているとか。若い世代が町を引き継ぐまでの間、やるべきことを黙ってやるのは大人の責任だ。

早朝、道の駅南相馬で読んだ福島民友。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

NDFが筆を滑らせた? あるいは観測気球を上げてみた? 福島第一原発の「石棺化」。浜通りの自治体も、地元紙(福島民友)も猛反発している。こうして未だに翻弄されているのだ。

7時前、常磐線の原ノ町駅へ。8人のメンバーをここで降ろし、7時15分発の電車で小高駅に向かってもらう。5年4ヵ月と10分の旅だ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

この日のお手伝いは、小高区南部の畑(跡地)で竹林伐採。5年で畑が竹林に覆われてしまったという。
避難指示解除の前も後も竹林伐採。急に何か変わるわけではない。やるべきことがあるなら精一杯やるだけだ。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

作業環境は広すぎず狭すぎず。そうなると作業の単純度(繰り返し頻度)は高くなり作業負荷は上がる。最後はノコで手のひらにマメができかかるほど、なかなかキツい作業だった。

伐採、後処理班のペースに左右されないよう徐々に伐採、ほどよい量をかかり木状態に。ときどきあらぬ方向に倒れるのは要注意。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

玉切りは180cm、切断機を通さないため凸凹を気にする必要なく、伐採、枝払い、玉切り全てをカーブソー(Silkyズバット)でこなし、効率的だった。

昼、開店したばかりの谷地魚店さんを少しだけ覗く。

南相馬・小高でボランティア(援人 0715便)

ホッキ貝を取り置きしておいてもらったのだが、夕方取りに行ったとき、店は主婦たちで賑わっていた。

避難指示解除「後」の今日の小高の町の様子は、「前」と比べて大きな違いはなかった。

車も人もよく見かけたが、“ここに人がいるのはもう珍しくない。当たり前のことだ”という自分の意識の変化が、町を見る目を変えた気がする。

避難指示解除は、何かを劇的に挽回するものじゃないと思う。

1年待ち、3年待ち、5年も経ってしまった。
戻っていいよと言われたけど、それだけの年月は重い。戻る人は10人に2人にまで減ってしまった、ということだろう。

町の人たちは「ただちに」町に帰ることを断念したのではなく、少しずつ諦めていったのだ。

それと逆の流れを起こすのにも、小さなものごとを積み重ねていき、1年、3年、5年という区切りで見たら明らかに何か変わった、といえる状況をつくっていくことが大切だろう。

少しずつ人が戻れる感じに変えていくことで、人を呼び戻す。あるいは新たに呼び込む。
それをやる主体は町の人たちだが、ぼくらボランティアができることも、これからも変わらずあるはずだ。

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