茨城・常総:今年最後のお手伝い 長大な用水路は開通! 「ボランティア」の枠を超えて人のために(援人 1227便)

Posted on 2015年12月29日. Filed under: volunteer | タグ: , , , |

人は現実をそのまま見ているのでなく、選択的に解釈しているから、年の瀬、世の中に抱く思いは人それぞれだろう。

茨城県常総市でボランティア(鬼怒川豪雨水害 援人 1227便)

2015年12月27日の6時58分、ぼくのウォールには「常総へ」という仲間の投稿があふれていた。
だからどんな現実「にもかかわらず」、ぼくが見ている世界は明るい。2015年最後のお手伝い、今年最大24人のチームで!

常総市若宮戸、越水地点にほど近い田んぼ脇、深く長い用水路。積もった土砂は最大1m。今年最後のお手伝いだった。
天気はぎりぎり寛容さを保ってくれ、筑波山の稜線が今までで一番くっきりと見えた。

茨城県常総市でボランティア(鬼怒川豪雨水害 援人 1227便)

常総のだだっ広い平野で黙々とお手伝いしていると、お日様をはじめ自然に恵まれているところだと身に染みてわかる。がんばれよ、と励まされている気さえする。

24人のメンバーみんなが力を尽くし、持参を呼びかけたヘッドライトが必要となる“残業時間”の前にスッキリ開通させることができた!
朝8時から17時まで、休憩は少ししか取らず、本業だってそこまでやらないよというキツいレベルのお手伝い。わざわざ汚れ疲れる活動の呼びかけに集まってくれた仲間が沢山いたことが本当に嬉しい。

ぼく自身はもう少し長丁場を覚悟していたため、終わったときはちょっとだけ余力を残していたが…。

事前に立てていた作戦はこうだ。ともかく「終わらせる」ため余計なことはせず、達成水準も高望みせず。

目標と作戦(目標:用水路脇土砂の撤去、用水路泥上げ開通、2つ必ず完了させる!)

午前:
1. 用水路脇「砂」は袋詰めし、Kさん田んぼ傍に放り投げる(残置、来年対応を想定)
2. 用水路脇「土」はホー、鍬でゴミ選り分け後、軽トラ2台に直接積んでIさん宅へ
(コンパネ、単管などで手動ダンプ的な工夫をし、土を降ろす時間をできるだけ短縮!)
午後:
3. 終わったらすぐ用水路泥上げへ。目標は「水を通す」、仕上げ水準は「足首が埋まる程度の泥はよし」
* 泥掻き・袋詰めは土嚢スタンドなど利用して1人で。上に数人土嚢引き上げ要員を置く
* 泥掻き要員の効率が最も重要なので、ペースが落ちたら引き上げ要員とすぐ替わる
* 土嚢袋は、後日Iさん宅への運搬を想定して道路脇へ並べていく(口を開けたままだとクレームになる可能性あるので縛る)

茨城県常総市でボランティア(鬼怒川豪雨水害 援人 1227便)

振り返り

Keep:継続現場で、消化率から考えて成り行きでは完了見込みが立たなかったため、進め方・達成水準を考え抜いた。が、アテは外れた。手動ダンプ、コンパネと竹でうまくいったが、土は思ったほどなくそこはボトルネックにならなかった。午前の砂の袋詰め、予想外に早く終わって午後へのアドバンスとなった。当初見込みと違ったが、考えたことは無駄ではなかった。やはり事前段取り(情報を集めやり方を考えておくこと)は重要。

Probrem:人数が多く指示が伝わりきらなかったり、手薄な場所があったりしたが、動き回って解決した。25人もいたので必要な道具がやや不足する場面もあった。次回同規模になるようなら道具についての注意喚起をしたい。

Try:もう一度あの現場をやるとしたら、もっとうまいやり方があるか? 泥上げは最初は用水路内で袋詰めまでと考えていたが、途中から道路端に出す作戦に変更した。人数も多く袋詰め要員に不足もなかったためあの方法でよかったはず。

追記:現場でKさんの田んぼはす向かいのオーナーから声がかかり、大学生ボラのやりかけらしいお手伝いについて、Yさんら2人を徴用されてしまう(笑)。2人は本チームと離れ、軽トラでひたすら土嚢袋運びのお手伝いを暗くなるまでやり、完了してくれた。

茨城県常総市でボランティア(鬼怒川豪雨水害 援人 1227便)

狭い世界から抜け出せ、小さな言葉で自分を定義するな、というあるインタビュー記事を読んだ。

ぼくは仕事以外の時間はほぼ100%いわゆる「災害ボランティア」にぶっ込んでおり、そのことばかりが頭にあるので、そこから考えたことを書いてみる。

「制度的なものに乗っかった狭義の災害ボランティア」、それによって規定されるような活動は超えていかなきゃならないな、やがて超えていくんだろうな、と最近何度か考えている。

今年学んだことがある。
南相馬へ行き、慰霊碑の周りのゴミがあまりにも酷いので拾った。拾うべきではない、というメンバーもいたっけ。でも制度に乗っかったボラをわざわざ東京からしにきて、落ちているゴミを見て動かない奴らってなんだっけ? と。人のために、の本質はなんだろう。

その慰霊碑と海岸で、8匹の子犬を拾ってしまった。拾った後ぼくはただ見守っていただけだが、グループのネットワークが里親さんと出会うまでを全て解決してしまった。本来の災害ボランティアとは違う活動だが、何かあったとき動くという志向を持つ仲間が集まっていたからできた動きだ。これも本質に迫りたいと考えるきっかけになった。

常総では、メンバーのツテで最初たまたま元気村(私設ボラセン)に行き、以来毎週日曜日はずっとお手伝いに行くことになった。そして前述の「制度的なものに乗っかった狭義の災害ボランティア」の枠を超えるという意味で、強烈にいい体験ができた。

小高の松本ボラセンは、震災後各地にあった“紳士的な”“レイドバックした”災害ボラセンに比べれば相当前衛的だ。そこで学んだことは多い。が、元気村でのお手伝いの「自由度」からはさらに多くを得ることができた。

ボラセンのHさんは、ニーズについてこちらをかなり尊重し、常に相談してくれた(もちろん100%受けたのだが)。
道具はほぼ全て自分たちで研究し、持ち込むようになった。
朝8時から日が暮れるまでお手伝いする、終わるまで何度でも行く、と限界までやり切ることを許された(許可が必要なかった)。
グループ内で事前に段取りを話し合い、現場でも創意工夫をして作業を進め、次回に向けて反省をした。
その場で依頼主にヒアリングをして、追加作業もどんどんやった。

「私たちはここまでしかできません」「制度的にこれはできません」という枠を片っ端から取っ払っていったとき、困っている人のために何をどこまでできるのか? その問いに向けて進むことができた気がする。

「ボランティアチーム」という言葉は外の人向けに付けているが、ぼくは「ボランティア」という言葉にますますピンとこなくなった。
困っている人のために動くことを突きつめていくとき、ボランティアという言葉はあまりに皮相で、営為のごく一部を言い表わしているに過ぎないからだ。

若宮戸でのお手伝いが終わって元気村に戻る時間、あたりはまたも真っ暗だった。やり切った、という満足感がこみ上げた。

茨城県常総市でボランティア(鬼怒川豪雨水害 援人 1227便)

元気村に戻り、ボラセンをずっと支え続けてくれたHさんとAちゃんに、皆でカンパして買った結婚祝いを渡す。

茨城県常総市でボランティア(鬼怒川豪雨水害 援人 1227便)

フェニックス救援隊のFさんにメンバー全員の集合写真を撮ってもらった。

茨城県常総市でボランティア(鬼怒川豪雨水害 援人 1227便)

今年最後の活動は八重洲への車3台の帰着をもって無事終了。
そして有志で“真・忘年会”へ。

茨城県常総市でボランティア(鬼怒川豪雨水害 援人 1227便)

9月中旬から日曜日と祭日はグループとして一日の休みもなく常総へお手伝いに行き続け、広い広い常総のほんのわずかな場所だが、復旧させることができた。

困っている人がいるとわかれば、行ってみることが大切だ。
そしてニーズがある限り、行き続けることはさらに大切だ。

来年も行く。

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