茨城・常総:若宮戸でのお手伝い年内あと2回 震災の年と同じ土嚢袋詰め運び(援人 1223便)

Posted on 2015年12月24日. Filed under: volunteer | タグ: , , , |

常総へ、今日は車2台、14人のチームで。
まだ真っ暗なうちに集まって八重洲で夜明けを見るのも、今日を除くと年内あと2回だけ。

茨城・常総 豪雨水害ボランティア(援人 1223便)

水害で崩れた道路の工事がどんどん行われている。がんばれ!

茨城・常総 豪雨水害ボランティア(援人 1223便)

朝、若宮戸に向かう途中、本石下で床下泥出しチーム4人と分かれる(のち合流)。

茨城・常総 豪雨水害ボランティア(援人 1223便)

若宮戸では、前回終わらなかった泥上げ済みの土砂の袋詰めに集中する作戦。

Iさん宅で進む“自前堤防”づくりでは、土嚢袋に詰めた砂と土はそのままで受け入れてくれる話になっていたため、メンバーE君の軽トラ、元気村の軽トラ2台でのピストン輸送を並行する。

茨城・常総 豪雨水害ボランティア(援人 1223便)

16:52、Iさん宅前タスク終了。最後は軽トラのライトの前で運んだ土の土嚢袋を開けた。
17:07、Kさんの田んぼ前を撤収。小雨が降りはじめていた。さすがに真っ暗で何も見えなかった。

茨城・常総 豪雨水害ボランティア(援人 1223便)

Kさんの田んぼの用水路はまたも継続になった。泥上げ済み土砂はまだ15mほど残っている。次回、今年最後の便では1227便ではこの残務と、そしてほぼ丸々残った用水路泥出しの完了までが目標になる。なんとかやり切りたいが…。

お手伝いを振り返って。

よかった点。ニーズの事前把握に基づいて床下隊をあらかじめ編成、コンパネ用軽トラ打診の準備などができ、現地で時間ロスしなかったこと。さらに当日朝、Yさんの機転で日産レンタに戻ったばかりのバンバン(商用キャラバン)を把握、マーチ→バンバンに車種変更し、コンパネ輸送をより確実なものにしたこと(コンパネは結局使わなかったが、現地で軽トラで直接乗り入れるというアイディアが出たためで、備えは無駄ではなかった)。

問題。
援人メンバー以外の3人が現地で加わったが、やはり連携面で少し問題があった(災害ボラ経験者だからといって連携や協働の感応性は必ずしも高いわけではない)。次回はオリエンをもっとしっかりやろう。

全体の感想。
Yさん、Mさんのようなサブリーダーに各所を任せることができたため、中野は終始軽トラでの土嚢袋積み、運び、投げを肩が脱臼しそうになるまでがんばった。
次の常総は、今年最後の1227便だ。Kさんニーズを完了させたいが、ダメな場合でもすっきり年越しできる“区切り”まで終えたい!

2011年(言うまでもないけど、東日本大震災のボランティアをはじめた年)、12月23日から25日まで、ぼくは福島県南相馬市にいた。…と、Facebookの「過去のこの日」機能がプッシュしてきた。

小高区ではなく、当時は原町区仲町にあったボラセンの下でこんな活動をしたようだ。丸ごとコピペする。

「午後は、午前中に作業したお宅そばの畑の脇の側溝横の斜面が崩落しつつあるため、そこを補強するための土のう作りだった。五月に始めた被災地ボランティアの今年の締めが、花形と言えないこともない土のう作りか…と思いながら取り掛かる。が、南相馬には土のうスタンドの類がなく、バケツで代用しているため、ほどよく土を入れるには一度バケツから出して継ぎ足す必要があり、作業は思ったようなペースで進まない。昼頃から大粒の雪が断続的にパラつきはじめたが、作業すれば寒くない。土のう作りチームは五人。この少人数のせいもあり、いつもは最低でもバス一台分のチームと一緒に作業するときに得られる疾走感とは程遠いペースだった。
作業にはボラセンのリーダーの松本さんも加わっていた。休憩後、彼にスコップを渡し、土のう袋を支え、結び、斜面に運ぶ役割をやりはじめた。吐く息がますます荒くなり、眼鏡が曇りまくったが、体はスムーズに動き、まったく意識せず全体の部分として動く快さを味わうようなフロー状態が訪れた。毎週やってきたボランティアで、無心になることはあるが、それ以上のフロー状態を味わったことは思い出せる限りではないかもしれない。

その後、なぜかあと残り時間10分ぐらいというタイミングで、松本さんに手伝ってほしいと誘われ、別の場所へ。田んぼ地帯のある斜面に湧き水が出る水たまりがあり、その水を抜くための簡易水路を以前ボランティアたちが作ったのだが、道路脇にある土のうに車が乗り上げたらしく、土のうが破裂したことからその水路が塞がれていた。その代わりに新たな水路を作るため、二人で剣スコップを振るった。その場所に向かうときに、犬の散歩中の農家のおばあさんと行き会い、かけられた感謝の言葉、松本さんと交わした話しながら作業したこと、などが、ああ、これはボランティアに没頭した今年の自分の最後の作業なのだな、という思いとパラレルに走っていて、現実感の乏しい夢のような時間だった。」

このときの感覚をよく覚えている。この頃はまだ援人というグループはなく、しかしこのときの「荒涼とした風景の中でごくわずかな仲間と、徒労にも思えるお手伝いをする」という体験は、後に援人の仲間と共にどんな集団より数多く南相馬へ足を運ぶという実践とつながっている、と気づいた。

ちなみにこの冬、松本センター長はこんなことを言っていた(当時の投稿からまんまコピペ)。

「原町(のニーズ)はまだ終わらない。鹿島はニーズがないことにされた。(社協と)戦ったがダメだった。小高は来年四月以降に入ることになるだろう。発災から一年経つが、状況は直後のようだろう。」

そして今日、2015年12月23日、茨城県常総市若宮戸で、ぼくは再び泥出しと土嚢袋にまつわるお手伝いをしていた。今回は、朝8時から真っ暗になる17時前まで。14人の仲間で。
手首がおかしくなるほど土のうを持ち上げ、右肩が抜けそうになるほど放り投げた。

軽トラに土のう袋を満載してピストン輸送する往路と復路、立派な古民家が少しずつ解体されていくのを見た。
越水で塀がぶち抜かれ砂だらけになった庭に、か細い苗木が植えられていた。

茨城・常総 豪雨水害ボランティア(援人 1223便)

荒涼の中の小さな希望。
信頼できる仲間とのキツい労働。

自分はこういうところに身を置きたいんだな、と再確認した。

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