関東・東北豪雨:シルバーウィークの常総ボランティア記録(援人号 0920便・0921便・0922便・0923便)

Posted on 2015年10月5日. Filed under: volunteer | タグ: , |

金曜深夜に出発、土曜日に南相馬から戻った援人号0918便の翌日から4日連続、0920便・0921便・0922便・0923便として茨城・常総へ水害ボランティアに行ってきた。急な呼びかけにも関わらず多数のメンバーが手を挙げてくれた。

5日間連続のお手伝いをやりきるため夢中の毎日。内容を忘れまいと書き殴ったメモを少し手直しして、備忘として載せておく。

0920便 常総行き(2/5日め)

常総から帰宅し、軽いランニングの後に寄ったコンビニのレジに、クロネコヤマトの告知が貼ってあった。豪雨災害の配送への影響を伝えるもので、集荷・配送ともに停止中の町の一覧に「常総市委三坂町」があった。

茨城県常総市で水害ボランティア(援人 0920・21・22・23便 関東・東北豪雨 2015年9月)

今日ぼくらがお手伝いをしたお宅はそこにある。
その家の塀には約1.8m、ぼくの身長を越える高さに水の跡が付いていた。

11人チームで家屋二棟・八部屋、そして長い廊下の床板を剥がし、泥を上げ、家財類を搬出し、集積場まで運ぶトラックに載せるお手伝いをした(これ以前のほとんどの家財出しと畳上げは、大半がご家族でやったのだろう。かなり大変だったはずだ)。

古い家だったが、床板の種類はベニヤ、合板、頑丈な木材など多様だった。それらの床板を剥がすため、人生で一番バールを使った日になったかもしれない。この地域の家は東北より根太の間隔が狭い。そこで、床の泥上げでは3人の女性メンバーが活躍した。また、先日鹿沼のお手伝いで役立った「十能」を参考に、各々が持ち寄った小スコップやジョレンなどが今日一番使えた道具だった。

茨城県常総市で水害ボランティア(援人 0920・21・22・23便 関東・東北豪雨 2015年9月)

床板剥がしを最後まで保留していた部屋には家財が集められ、そこでお母さんと娘さんが思い出の品を整理していた。大量の濡れた写真について、東日本大震災で写真洗浄ボランティアをした経験があるメンバーがアドバイスをする。お母さんは、創刊号から取ってある趣味の雑誌が全部水浸しになってしまったことに落胆していた。

進捗は上々だった。
だが一方で、ボランティアをやった、片付けが進んでよかった! では済まないその先を覗いた。

依頼主のお母さんはぼくらに難度もお菓子を振る舞い、快活だった。が、きっとカラ元気なんだろうと何度も感じられた。併設されている工場の重要設備は冠水で使えなくなり、生活の先は見えない。

災害ボランティアは、被災者に降りかかる沢山の復旧作業のほんの一部を手伝うだけだ。
しかし足を運び手を動かすこともしなければ、その身の上を引き寄せて考えることもできない。

明日も常総へ。

0921便 常総行き(3/5日め)

3/5日、折り返し日。

豪雨災害、常総・Tさん宅でのお手伝い2日め。

最後に残った一部屋の床板外し・泥出しは慣れたメンバー数人に任せ、いよいよ母屋の奥の工場へ。水を被った大量の段ボールが山積みのままひしゃげている。持ち上げようとするとグズグズに壊れる。中には製品・半製品や廃材が。それをひたすら土のう袋に詰めていく。その他道具、瓶類、書類なども泥に塗れて散在している。這いつくばって拾い集め、早速泥だらけになった。

昨日は家屋主体だったのでXさんの指示を仰ぎつつ進めた。が、今日は工場だ。主にYさんの様子を伺い、急かさないよう進める。一人でやろうとするのを補いつつ、被災財出しする範囲をじりじり増やしていく。そして搬出が済んだ場所は速やかに泥かきをする。メンバー間の連携はよかった。

Yさんがぼくらに指示したがらないのは、一人でじっくり選別したいからだろうと考えていた。が、いきなり外から来て汚れ仕事を買って出るぼくらを頼ってよいか、迷っている面もあるのではと気づいた。Yさんとつかず離れず、また手空きのメンバーが出ないように多正面作戦で進める。

廃棄物置き場から戻ったトラックに皆で一斉に荷物を積み込む作業をしているとき、キツいなぁと思いながら、自分が一瞬誰だかわからなくなった。しばらく後、自分が何をしているかわからなくなった(半ば冗談、半ば本気)
数日間、こんなに根を詰めてお手伝いしたことはない。

茨城県常総市で水害ボランティア(援人 0920・21・22・23便 関東・東北豪雨 2015年9月)

今日で終わることはできなかった。

撤収の時間が近づき一番気になったのは、Yさんが継続応援を希望されるかどうかだった。広大な工場内に多数残る被災財出しを1人でやるのは無理だ。しかしボラが急かしてやるものでもない。

最後にご挨拶をし、半ば諦めの気分で一緒に敷地を巡った。残り作業を確認し、シルバーウィーク過ぎるとぼくら多くのボランティアは来られないんです、と言い添えた。それじゃ明日もお願いしようか…という言葉に、心の中でやった! と叫ぶ。

2日間懸命に、ドロドロになって働いたお手伝いは未だ終わらない。後はご自分で、は絶対にダメだ。辛い目に遭ったこのお宅の汚れ仕事を、きっちり終えてあげたいのだ。

0922便 常総行き(4/5日め)

Tさん宅のお手伝い、三日め。

茨城県常総市で水害ボランティア(援人 0920・21・22・23便 関東・東北豪雨 2015年9月)

今日のメンバーは16人、さすがに密度が高すぎか…と心配したが、「あそこの家をやっている人たちに手伝ってほしい」と二軒の家から声がかかったということで、早々に6人を引き抜かれてしまう(6人のメンバーは二軒の泥出しを担当、昼過ぎに帰還した)。

昨日の作業に続き、今日はいよいよ奥行き25mはありそうな平屋の工場本体へ入っていく。

まずは工場脇の廊下から廃棄する板をリレーで運び出す。かさばらないが数は大量だ。廊下の奥の方、屋根が壊れて瓦が落ちそうになっていたので先に叩き落とした(後でご主人に聞くと、東日本大震災で壊れ、応急処置だけしてあったという)。やはり被災後の屋内作業ではヘルメットがとても重要だ。

工場内の廃棄物出し、午前中一杯頑張ったところで、進捗は思ったより悪かった。プラ板などが膨大にあり、単位面積あたり運ぶべき点数が見た目よりかなり多いためだ、と途中で気づいた。

今日の作業の効率化ポイントは以下のようなものだった。
人は十分いるので重いものはリレーする。
トラックが最大のボトルネックだ。だから着いたら他の作業をやめ皆で一斉に載せる。
細かいもの、濡れて不定形になったものを運ぶのに役立つカゴやバケツのようなものを見つけたら、「通り箱」として往復させる。
箱に入っていた細片の類いは浸水してない箱があれば詰め直す。底が溶けてもなんとか形を保てる箱は、豊富にあるプラ板に載せて運ぶ、
床に残った残滓類は、トラックが出払いカゴも払底したとき、または作業の最後に限って土嚢袋詰めする。

これらのポイントは、作業はじめにすぐ気づいて声掛け・励行させたものもあれば、メンバーの誰かがやっていたのを途中で気づいて全体に浸透させていったものもある。

終わらせるには、各々が辛さに耐える意思とメンバー全体の最適化による効率アップがやはり大切。でないと人数が多いほど動きがバラけてしまう。

茨城県常総市で水害ボランティア(援人 0920・21・22・23便 関東・東北豪雨 2015年9月)

お手伝いはだいたい15時半までの見込みだったが、トラックの最終輸送に合わせる重要性を考え、17時過ぎまでという超長時間やることになった。

16時の時点で皆を集め意向を聞いた。体力の限界を超えていたが、言い出しづらい人もいただろう。疲労で怪我しやすくなるという指摘も出た。もっともだ。だが、絶対に終わらせたかった。だから延長しよう、と皆に話した。

余談だが、自分よりスキルの高いボランティア、体力があるボランティアには会ったことはあるが、自分以上に「終わらせることに執心するボラ」には会ったことがない。

浸水被災なので長靴を履いて作業をしたが(最近の小高では安全靴を履いている)、長時間立ち働くうちに足が蒸れ、汗が長靴に溜まり、足がふやけたところに汗が浸みて痛い、という新体験をした。
また16時を過ぎた頃、体はまだ動いたが、お腹が減ってしまい(いわゆる「シャリバテ」か)キツかった。

こうして、工場内の廃棄物出しはあらかた終わった。

シルバーウィークの常総のお手伝いは、このTさん宅が強く記憶に残ることになるだろう。それで満足だ。

0923便 常総行き(5/5日め)

Tさん宅、最終日。

朝伺うと、Yさんの様子が前日までと少し変わっている。どスッキリした表情になっていたのだ。

追加でいくつか機械を搬出。トラックが来ればそれらを一斉に積み込み。仕上げに土砂の土嚢袋詰め。11:00過ぎには全て終わった。

今日もXさんには沢山のものを振る舞ってもらい(中でも浸水を免れたという自家製ジュースが本当に美味しかった)、名残を惜しんで別れた。

茨城県常総市で水害ボランティア(援人 0920・21・22・23便 関東・東北豪雨 2015年9月)

次のお手伝い先へ向かう途中、ボラセンH氏に近所の家の家財出しを頼まれる。が、依頼主不在のため移動。

車で15分ほど北上し、石下という地区の個人宅へ。

4~6人家族向けの家に老齢女性が1人暮らし。離れて住むお子さん(成人)が応援に来ている。ニーズを聞き、床板剥がしと泥出しを開始する。進捗を見ながら、浸水で床がグズグズになっている物置スペースなど、依頼主に自分の目で確認してもらい、手伝いに来ている娘さんの了承も取り、床板剥がし、泥出し、消毒剤撒き。常総では、悪徳な建築業者などが徘徊していると聞いた。だから信頼が得られるよう、丁寧な確認に努めた。

休憩中、依頼主が玄関に腰かけ、絵に描いたように肩を落としていた。普段の南相馬のお手伝いでは自分がその役を買って出ることはあまりないが、気になったので話しかけてみた。

こんな話だった。
まさか自分の身にこんなことが起こるとは。先に逝った人によかったね、と言いたいほど。水は本当に怖いと知った。この地域は災害が避けてくれる場所で、東北の震災を見て気の毒だと思ったが、周りの人とここは何も起こらなくていいね、と話し合っていた。
まだガスは使えず煮炊きできない。電気は通っているが(たぶん断線と思われる)テレビもラジオもない。世間の情報がわからない。子どもたちが来てくれて本当によかった…。

茨城県常総市で水害ボランティア(援人 0920・21・22・23便 関東・東北豪雨 2015年9月)

今日ぼくらは時間の限り、依頼されたお手伝いをしっかりとやった。しかし依頼主の一番厳しい時期は今これからなのだな、と思った。

まとめ

小高→常総→常総→常総→常総と続いた、ボランティアチーム援人初の5日間連続のお手伝いが終わった。

傲慢を承知で書くが、ぼくらのような規模のチームが、この時期にTさん宅を集中的にお手伝いできたのは本当によかったと思う。そうでなければ、連休が明けてボランティアの助力は望み薄になり、Yさんは1人で何ヵ月もあの広大な工場内を整理することになっていたかもしれない(最後に、「自分で1年かけてやると覚悟していた」と仰っていたのだ)。

ボランティアに行ってきたことを「自分が」という視点で書く人はとても多い。が、今回の常総便に参加したメンバーは、「自分たちが」「チームで」という視点で振り返っている人が多かった。

援人は個人のスキルの足し合わせ以上のチーム力が強みなのだと、今回の厳しく長いお手伝いで改めて強く認識した。力やスキルが高くてもそれがわからない人は残らない。今いるのは、連携のパワーを知っているメンバーばかりだ。
この力はほぼすべて、毎週粘り強く続けている、松本ボラセンの下での南相馬・小高でのお手伝いで養われたものだ。

5日間を終えて。
人間は「がんばる」も「休む」も、自分に対して決定することができる。「がんばる」と決めれば、体の動きも、思考も、食事も、睡眠も、少々の飲酒さえもそれに向けて臨戦態勢になる。一方「休む」ことを許可すると、どこからともなく疲れがドッと出てくるんだな、と思った。

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