少しずつ前へ進む ときどき足を止めながら(援人号南相馬行き 0606便)

Posted on 2014年6月12日. Filed under: 未分類 |

ボランティアチーム援人、0606便、2014年6月7日土曜日の南相馬・小高(避難指示解除準備区域)でのお手伝いの記録。

この日は梅雨空の下、二軒のお宅でのお手伝いとなった。

午前は、敷地内に店舗や蔵などもあるお宅で、ベッドや家具などの搬出作業だ。

室内の掃除は行き届いていて、依頼主は捨てるものをきちんとリスト化されていた。何もかも捨てるのではなく、再び住むための家財の整理なのだ。避難中に古くなった畳もやがて張り替えるつもりだという。
しかしお話を聞きながら作業を進めるうち、家屋内にあるベッドのいくつかを外に出したのは、会津地方に避難中のご家族のうち何人かはもう南相馬にはもう戻らない、というのが理由だとわかった。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 0606便)

二件めは、断続的に雨が振りはじめた午後、小高川に近いお宅での草刈りだ。家の裏の斜面、正面の庭、勝手口周りなど。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 0606便)

依頼主は遠方に避難中で作業への立ち合いはなかった。しかし、いやだからこそ、次に一時帰宅された際に違いがはっきりとわかってもらえるようにという思いをこめて、刈払機と手鎌を使って丁寧に仕上げていった。

お手伝いした一帯は、手入れがされている家・全くされていない家の差が激しい。隣の家は、門の間を塞ぐように雑草が立ち、庭に敷かれた砂利も見えなくなろうとしていた。

家々や町の景観の荒廃を防ぐことができれば、そこへ帰ろうと思う人はきっと増えるだろう。しかし大震災と原発事故という経験がない状況の中で国や行政の手はそこまでは届かず、避難中の人たちが頻繁に通うのも無理がある話だ。
だからこそぼくたちのようなボランティアがお手伝いに行く意味があるのだと、改めて思う。

一件めの依頼主(シニアの男性)は、孫はもう小高の家には遊びに来ないだろう、囲碁の仲間も離散してしまった──と悲しい話を聞かせてくれた。一方で、捨てるもの・残すものを吟味し、家の修繕計画を立てているなど、この境遇に押し潰されるだけではなく、賢く考えて前へ進もうという気概があった。

人は希望を持てば前へ進み、絶望を感じれば完全に立ち止まる、そんな単純なものじゃないな、と改めて思う。事実小高には、ときどき足を止めながら、少しずつ前進している人たちがいるのだ。

最近南相馬のセブンに来る度に、誰にも言わずに朝食用に買っている(数が少ないので・笑)「豆パンロール」。盛岡の白石食品のものだ。これが素朴で結構おいしい。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 0606便)

帰りは二本松、いつも立ち寄る「杉乃家」さんで夕食。

今回、テーブルにあった新聞の切り抜きの一つを見て、ショックを受けた。恐らく今年3月頃の読売新聞の記事で、その中で店主の芹川さんが「もう浪江町には戻らないと心に決めた」と語っていた。

南相馬市小高区でボランティア(援人 2014年 0606便)

原発事故の前まで杉乃家さんがあった浪江町は、2017年3月の避難指示解除をめざしている(解除される区域は常磐道よりほぼ海側のみ。山側の広い範囲は帰還困難区域となる)。今は南相馬に通っているぼくらだが、浪江の人たちの本格的な帰還準備がはじまったらボランティアの出番もあるだろう、そのときには杉乃家さんの再開のお手伝いもできたらいいな──と考えることもあった。

戻るか戻らないか。選択は最終的にはその人のものだ。
しかしこの原発災害で、地縁や血縁など慣れ親しんだものから引き剥がされてしまった沢山の人たち、そして自分が顔を知っている人が「戻らない」と決めざるを得なかった心の内を思うとき、易々とそういう納得のしかたはできない。

この日は東京に戻った後も、もやもやした思いが収まらず、深夜に湾岸を走った。

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