愛着がある沢山のものを捨てること 戻れるから戻るわけではないこと(援人・南相馬行き 0418便)

Posted on 2014年4月22日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、0418便(活動日:2014年4月19日)、南相馬市小高区(南相馬市ボランティア活動センター傘下)でのお手伝いの記録。

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から3年2カ月、南相馬市の避難指示解除準備区域、居住制限区域の解除(平成28年4月)まであと2年

いつものように土曜日早朝に南相馬に着き、小高区に行く前に原町区の「夜の森公園」に初めて寄ってみた。原発事故で休止されていた「桜まつり」が4年ぶりに再開、というニュースを読んで以来気になっていたのだ。

斜面や小高い丘の上に沢山の桜の木があり、その中心に草原の広場があり、花見シーズンだけなのか飲み物や軽食の売店もあり、雰囲気のよい公園だ。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0418便)

残念ながらソメイヨシノはもう時季を過ぎ、沢山の花びらが穏やかに舞っていた。が、枝垂れ桜はちょうど見ごろだった。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0418便)

この日のお手伝い先は、社協会館から南へ車で一分ほどのお宅を指定された。が、現場に着き依頼主に電話してみると、スケジュール調整の手違いでこの日は不可だとわかり、いったんセンターに戻る。
再度ニーズ票をもらって向かったお手伝い場所は、小高区大井。センターから北東方向へ1kmほどの丘陵地帯にあるお宅だ。もう原町区との境界に近い。

ニーズ票には「外に出した廃棄物を分別して袋詰め」とあった。

高台の家から道路まで伸びた私道脇の草原に、家財類が野積みされていた。長く雨風に晒されたらしく、木製家具などは朽ちはじめている。
まずはそれらを道路まで運び出し、大きなものは壊し、分別し、トンパックに詰めていった。運び出すときに持ち上げるとその下で沢山の虫が蠢いている。営みを壊すことを、ちょっと申し訳ないと思う。
ブラウン管テレビを持ち上げてみると、なんと根が生えていた──ように見えたのだが、実際には地中から伸びた草がテレビ内に食い込んだらしい。植物はたくましい、と思う。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0418便)

お手伝いをしていると、依頼主が軽自動車で到着された。
車にはカゴ一杯の差し入れが積まれていた。この日はペットボトルの飲み物にはじまり、和菓子、果物、漬け物など沢山のもてなしをいただいてしまうことになる。

依頼主Sさん(年配の女性)と共に改めてお宅の敷地内を見て回り、大きな納屋の周りや中にある家財も出すことになった。納屋の中は途中まで片付けたようで、立派な座卓と写真などの思い出の品が手前の一角に選り分けられていた。

軽トラックとネコ(一輪車)を使って納屋から家財を運び出す人、タンスやふすま、木製ベッドなどを壊す人、ガラスや陶器を詰める人、その他を分別しながら詰める人などに分かれて作業を進めていく。いつも難物なのはプラスチックの収納ケース類だ。分解することも折り畳むことも難しく、重くはないがかさばってしまう。

こういう風に小高のお宅で家財を整理・廃棄するお手伝いを、ぼくは何度もやってきた。
必要な作業なのだと頭ではわかっているが、黙々と運び、分別し、トンパックに詰める作業をやっているとき、どうしてこれを捨てることになってしまったのかな、という疑問符が浮かぶことは今でもある。今回もそうだった。
自分が手に取り、分別し、トンパックに詰めていくものの大半は津波を被ったものでも地震で壊れたものでもなく、まだ使えるものだからだ。

普通、人は本当に必要なものだけでなく、必要とはいえないが愛着がある沢山のものにも囲まれて暮らしている。
ここ(南相馬の避難指示解除準備区域)では、沢山の人が愛着をもっていた家財類をほとんど捨て、さらには、必要な物品さえ身を切る思いをしながら捨てるという決断を強いられる。ぼくらはお手伝いを通じて、その現場に立ち合うことになる。

残り1時間というところで作業のペースを上げ、15時前には無事終了。集積場所にはぎゅうぎゅうに詰まったトンパックが15個、その他に家電、タイヤ、キャビネットなどが積み上がった。

南相馬・小高でボランティア(援人 2014年 0418便)

昼休みにお宅周辺の空間線量を計ってみると、0.15~0.25μSv/h程度だった。年間追加被ばく線量1mSvの基準となる0.23μSvをやや上回るところはあるが、草むらや側溝の中など数値が高そうなところに線量計を直置きしても0.3μSvぐらいで、十分に居住可能な地域といえるだろう。

Sさんとの会話の中で、今後について聞いてみた。お手伝いしたこのお宅に住むことになるのか、やはり気がかりだったからだ。すると、家の修繕に多くのお金がかかり、放射線が幼いお孫さんに及ぼす影響も心配で、また息子さんは関東に移ってしまったので迷っている、少なくとも避難指示が解除されてもすぐに戻るつもりはない、という。
戻れるから戻るというわけでは必ずしもない、という現実を一つ見た。

お手伝いが終わり、玄関口まで報告に行った。
上がって休んでくださいと何度も言われ、熱いコーヒーやおまんじゅうをいただく。まだ話したいことが沢山あり別れ難そうなSさんに挨拶をし、センターに戻る。
残念なのだが、当日のうちに帰京する行程なので仕方がない。

今回も、依頼主の安堵の表情と笑顔を見ることができた。
こういうことを一つひとつ覚えておくことが、お手伝いを続けていく力になる。

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