その家の歴史が染み込んだ家財を捨てることに“慣れ”はない ヘッセの「知と愛」を読んだ人を思う(援人号 1213便)

Posted on 2013年12月15日. Filed under: 未分類 | タグ: |

援人号1213便(活動日:2013年12月14日土曜日)、お手伝いの記録。

福島は毎週少しずつ寒くなり、行きと帰りは何度か雪に見舞われた。
往路、未明に通った県道12号線の飯舘村あたりでは、降りはじめた雪がどんどん積もっていた。

援人号 1213便(南相馬・小高)

しかし小高は終始快晴だった。浜通りの人と話をすると「ここは冬でも過ごしやすい。“東北の湘南”だ」などと言うのだが、冬の小高でその意味を実感することが多い。

この日のお手伝いは、先週(1206便)と同じNさん宅での家財出しのお手伝いとなった(同じお宅に二度、それも連続でお手伝いに行くことは珍しい)。先週終えることができなかった家財と倉庫の在庫出しの継続作業だ。

援人号 1213便(南相馬・小高)

二階建ての倉庫に詰まった荷物は多く、午前の時点では最後まで終えるのは厳しいのではと感じたが、今回の便は二台・16人チームであり、倉庫内チームが埃まみれになりながら終始運び出しのペースを落とさなかったせいもあり、なんとかやりきることができた。

倉庫に詰まっていた沢山の段ボール箱の中身は、思っていた以上に業務用の品よりも長年貯め込まれた家財が多かった。

それらを捨てるための仕分けは否が応でもそのお宅の、そこで暮らした人の生活の歴史に向き合う作業になる。愛用された跡がある洋服、文房具、本、束ねられた賞状や答案用紙、写真、習字の半紙…。徐々に分別の手が遅くなり、思わず手が止まってしまう瞬間もある。
帰りの車中で話したのだが、ご依頼主に「これはどうされますか?」と何度も尋ねることをつらく感じるメンバーもいたようだった。

ぼくが分別を進めているとき目に留まった一冊の本。「小高町」(南相馬市に編入される前の地名)の呉服店の包装紙でカバーされたそれは、ヘルマン・ヘッセの「知と愛」だった。ヘッセを読み思索したこの人が──2011年3月の時点で存命だったなら──この大天災、そして自分や近親を含め沢山の人を流浪の身に陥れた原発事故に、何を感じたのだろう。
またもう一つ印象に残ったのは、古いハーモニカだ。実用に供するのでもなく高級品にも見えないが、人の手に収まるもの、対となる人の存在を想像させる楽器の類いは、常に捨てがたい。

このように、人が手にしたものに触れることで、「被災者」ではなく「人」がいたのだ、とわかることには、度々愕然とする。家財の廃棄は何度もやっているが、その意味で慣れることはない。

援人号 1213便(南相馬・小高)

Nさんご夫婦は、現在は東京で暮らしている。しかし避難指示が解除されればNさんのご両親は小高に戻るだろう、そのためにはまだまだ片付けるものがある、と話してくれた。そのとき表情は、最初にお会いしたときより柔和な印象になっていた。

彼らが生活の再建のために踏んでいかなければならない膨大なステップ。そのひとつでも、ぼくらのお手伝いによって進んでもらうことができたのなら、とてもうれしいことだ。

この日のお手伝いの数日前、「南相馬市小高区全域でようやく水道が復旧した」というTweetが流れてきた。Nさん宅では先週はトイレが使えなかったが、この日お邪魔すると「2、3日前に」水道が使えるようになった、どうぞトイレを使ってください、と言われた。震災から3年近くたつ時期の、明るいニュースだ。

サイヤさんに、原町区の岡田農園の「章姫(あきひめ)」が並びはじめた。大粒で甘いいちごだが、お手伝い後に食べると特別な味がする。

援人号 1213便(南相馬・小高)

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