小高でボランティア お手伝い現場3つ、終われなかった悔しさ(援人 0927便)

Posted on 2013年10月1日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , |

ボランティアチーム援人、2013年9月28日、南相馬・小高(南相馬市ボランティア活動センター傘下)でのお手伝いの記録。

今回はいつものワゴン10人に加え、乗り切れなかったメンバーを率いたYさん号6人も現地で合流し、総勢16人のお手伝いとなった。

震災から二年半。あの頃世の中を広く覆っていたボランティア熱はもう去った。
去る人、続ける人、新たに合流する人。顔ぶれも変わる。ここから先どうなる? と考えることもある。
でもぼくの周りではモメンタムは未だ死んでいない。車2台分のメンバーで現地へ行けることは、素直にうれしいと思う。

南相馬市小高区でボランティア(ビニールハウス解体, 農地草刈りなど 援人 0927便)

今回は、なかなか大変な現場(群)だった。
チームは三つの現場に対応するため分割になり、作業途中のメンバー移動、各現場でのリソース不足による苦戦。滅多に経験しない厳しさだった。

朝、この日はまずボラセンに集まった活動者が少なかった(センター発表で42名。先週土曜日は114名)。さらに個人ボランティアを統率できる経験者も不足しているというので、援人からGさん・Sさんを個人ボラ隊のリーダーとして出すことになった。
そしてマッチングを経て各チーム出発──のはずだったが、Sさんチームに刈払機を使えるメンバーがいない。そこで援人からさらにCさんとKさんを出し、代わりに個人ボラ2人は援人本隊に入ってもらう。若い女性2人、福島の人だ。

南相馬市小高区でボランティア(ビニールハウス解体, 農地草刈りなど 援人 0927便)

本隊はセンターから北西、車で10分ほどのお手伝い先へ。

大きな母屋の他に蔵(大正時代のものだとか。震災でもほぼ無傷だ)、工場棟(平成のはじめまで養蚕をやっていたという)があるお宅で、前面の大きな農地にビニールハウスや畑が点在している。
依頼内容はビニールハウス群の解体(効率的に進めるにはハウス周りや中にまで旺盛に繁った雑草刈りが必要だ。しかし復興組合はハウスがある農地の草刈りは不可、という話だった)、強制避難以降は使われていない畑のイノシシ避けの柵の撤去などだ。

天気は快晴。強い直射日光のせいで体感温度は高く、暑さと戦いながらの作業となった。

南相馬市小高区でボランティア(ビニールハウス解体, 農地草刈りなど 援人 0927便)

昼食休憩の時、G・S両チームに電話してみる。
どちらも人手不足で、このままだと厳しい、と。そこでまずG隊にYさんチーム6人を送り出すことにした。

残った本隊も一時間でお手伝いを終わらせてS隊のヘルプに向かうと決め、午後の作業にかかる。
しかし人が減って皆徐々に疲れも溜まり、ペースは落ちはじめた。14時に短い休憩。依頼主と話して残り作業の優先度を決め、人の配分を建て直す。

なんとかかんばった結果、ハウス5つの解体の残り(午前中に終わっていたのは2つと半分)、イノシシ除けの柵の撤去が終わり、一帯の草刈りが見られる程度になったのは、15時30分。S隊の応援に行くのは無理だった。

南相馬市小高区でボランティア(ビニールハウス解体, 農地草刈りなど 援人 0927便)

今日お手伝いしたお宅は、こんな状況だ。

震災前、お母さん(依頼主)は農作物をつくって直売所などに出していた。
今はご主人と共に原町の借上住宅に住む。「お父さんの具合が悪くて仮設には住めなかった」という。息子さんは福島市に転勤になったため、家の維持・復旧を手伝える人はいない。
お宅の地震による被害はほぼゼロで、茶碗1つ落ちなかったという。内陸なので津波被害もない。住めない原因は原発災害だけだ。
警戒区域が解除されてから家にはよく帰っていて、ハウスなどに除草剤をまいたことはあったが、本格的な草刈りは震災後初めてだという。
今日の依頼はもちろん、お母さん1人でできる量ではなかった。

センターに戻り、メンバー全員が合流する。他の隊も同じような進捗で、不満が残ったという。

南相馬市小高区でボランティア(ビニールハウス解体, 農地草刈りなど 援人 0927便)

帰路のワゴン内で皆の感想を聞く。“未完”“不完全燃焼”と感じている人が多かった。
ぼくは、そういう考え方もあるだろうけど皆できるだけのことはやった、少しは誇りに思っていいんじゃないか、などと話をした。

しかし今あの一日を振り返ってみて、突如違う感情が湧いてくることに驚く。
帰京するまでぼくはリーダーモードで、メンバー慰労の心持ちが勝(まさ)っていたのだろう、“よくやった、善戦した”と考えていた。しかし今ははっきりと、“悔しい。ちゃんと終わらせたかった”と感じている。

そうだ、自分の感情を抑えつけていた。一ボランティアとしては終わらせたかった。あのお母さんに見違えるようになった農地を引き渡し、スッキリとした気持ちで次の心配ごとの解消へと進んでほしかったのだ。

もっともらしい理由づけをするのはやめよう。
この悔しさを糧にまたお手伝いに行く。より多くの仲間を支援の輪に引き入れて。
それがやるべきことだ。

コメント / トラックバック1件 to “小高でボランティア お手伝い現場3つ、終われなかった悔しさ(援人 0927便)”

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仙台在住の男性です。素晴らしいブログですね。
ボランティア熱は冷めていますね・・。全く持って日本人の国民性だと思います。
私も、毎週末南相馬にボランティアにいっています。ニーズある限り、何十年でも通います。周りへの声掛けも重要と思います。南相馬で会いましょう。


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