「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉)

Posted on 2013年8月12日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

東日本大震災に関するテレビ番組はよく観るけど、録画リストを消化中に強く惹きこまれたのがこの番組だった。

岩手県釜石市で津波防災教育に約10年に渡って取り組み、2011年3月11日に起こった東日本大震災では小中学生の生存率が99%という“釜石の奇跡”を生んだ片田敏孝教授。
番組は、彼が和歌山県田辺市のある中学校を訪れ、座学や地域での実践、釜石への訪問などを通して津波防災を生徒たちに体得させていくという構成だ。震災当時に釜石東中学校で防災リーダーをつとめた菊池のどかさん(現在は高校3年生)も登場する。

マグニチュード9.0の東南海地震が起こると、田辺市は高さ12mの津波に襲われるという予測がある。
東日本大震災では、同市にも大津波警報が出た。しかしほとんどの生徒は避難しなかった、と答える。
このように津波を自分ごとだとは考えられない中学生たちだが、菊池さんが「小さい子は助けれたけど、高齢者の方は波に呑まれて悔しかった」と語る様子を食い入るように見つめるなど、徐々に考えを変容させていく。

3月11日、釜石小学校ではすでに全員が帰宅していた。そして地震が起こると、184人の生徒は全員(!)自分の判断で避難をし、1人も死ぬことがなかった。1人で家にいた子も、親の帰りを待つことなどなく単独で行動できたという。

この“釜石の奇跡” の下地を作った片田教授だが、番組内で「津波避難の3原則」を説明する。
(この3原則、いくつかの報道などでぼくは知っていたが、有益だと思うので改めてまとめておく。)

1. 想定にとらわれるな

ハザードマップ(災害予測図)はあくまで参考にすぎない。明治三陸津波で釜石は6,000人の死者を出した。そのとき浸水しなかった地域にも今回は津波が入り、ハザードマップの予測も大きく超えてしまった。そしてハザードマップ上では津波が到達しないとされた地域で、多くの人が亡くなった。

2. 最善を尽くせ

釜石の子どもたちは「津波が来るぞ。逃げるぞ」と大声を挙げながら逃げた。そして最初の避難場所(ございしょの里)に入ったが、「先生、ここじゃだめだ」とさらに高い場所の避難所(やまざきデイサービスホーム)に向けて率先して逃げはじめた。中学生は小学生たちの手を引いて逃げた。結果、二次避難した先こそがギリギリ津波が達しない場所だった。第一の避難所は二階まで津波が達していた。

3. 率先避難者たれ

火災報知器の非常ベルが鳴っても人は逃げない。前は大丈夫だった、自分は大丈夫、自分だけ逃げるのはカッコ悪い、といった理由で。そういう雰囲気を断ち切り、誰か1人が勇気を持って逃げはじめることが皆の命を救うことになる。

片田教授は「中学生はもう守られる立場ではない。人の命を守る立場。この田辺にもいつか津波は来るけど、きみたちの力で、一人も死なない地域にしてほしい」と投げかける。

田辺の中学生たちはその後、防災マップ(避難場所やその経路)を作り、お年寄りと共に避難する過程で避難経路の問題(階段が急で手すりもないことなど)を認識する。また別のグループは近くの幼稚園に行き、園児たちと共に避難訓練をする。幼稚園は中学校より海側にある。東南海地震では高さ12mの津波が20分で到達すると予測されている。限られた20分で幼稚園児を助けに行けるのか、という難題が浮かび上がる。

片田教授は次の講義で、釜石の中学生たちが幼い子どもの手を引き、お年寄りをリヤカーに乗せて避難する訓練の様子を見せる──。

ここまででも、十分に優れた啓発番組だと思う。

しかしぼくが驚いたのは、ここから先の片田教授の言葉だった。
実践的な津波防災に身を捧げてきた彼が、実際に“本番”(東日本大震災)に直面しておののきながら達したのであろう、「本当にそれでいいのか?」という真摯な問いかけだ。それはおよそ中学生相手にするものとは思えない深さを持ったものだった。

番組のウェブサイトを見るとなぜかこの部分が紹介されていないので、ぼく自身が強く印象づけられた片田教授の言葉を書き起こしてみよう。

「あれ(中学生が子どもの手を引き、お年寄りをリヤカーに乗せて避難すること)だったら助けられるだろうなと思うよね。
実際のあの日の話をしますと、実はあの3月11日のあの地震の瞬間ぼくはどこにいたか。

青森県の太平洋岸、八戸市に講演会に行っておりまして、そこで震度6強、本当に大きな揺れ。

で、ぼくはあの揺れのさなか、中学生がリヤカーを引いておじいちゃんおばあちゃんを助けに行く姿を想像してました。

正直、ぼくはその時どう思ったか。

行くな、って思いました。

ぼくは釜石の学校へ行ってね、助けられる人になれ、なるんだ、で、ああいう練習をしている彼らを見て、立派だなと思ってました。

でも、正直怖かった。間に合わないと思った。

あの子たちがリヤカーを引いて、おじいちゃんおばあちゃんを助けに行く。何が起こるか。考えただけで恐ろしかった。

矛盾してるよね。日ごろはああやってね、避難訓練やってる、小さな子どもやおじいちゃんおばあちゃんを助けてくれる、あんな訓練してる子どもたちを、中学生はもう助けられる立場じゃない助ける立場だって言ってたんだ。

でもあの日、あの瞬間、中学生がリヤカーを引いて迎えに行く姿を考えたときは、もう耐えられなかった。

あの日この子たちはどうしたのか。

(といって新たなスライドを見せる。ジャージ姿の中学生たちが小さな子どもたちの手をひいて急ぎ足で避難する様子が写っている)

釜石の子どもたちはリヤカーは引かなかった。余裕がなかったんです。

日ごろリヤカーを引いて助けに行く訓練をしてたんだけども、やっぱりあの日、それだけの余裕がなかった。

本当に、それを知ったときに、胸をなでおろしました。

ここからみんなに聞きたいんだけど、本当にその日そのとき、行けるんだろうか?

だいたい津波の到達する時間というのは、20分しかないのに、いい? あの保育園の子どもたちが駄々こねるなか、あやしながら、皆が逃げるとすると、きみたち自身の命も危ないかもしれない。

釜石の子どもたちは、自分の命もしっかり守りながらも、その中でできる精一杯のことをやるという行動の中で、小さな子どもたちの命をいっぱいいっぱい守ってくれた。

それでも、それでもね。それであってもこの地域は、600人の方々が亡くなりました。

その日そのとき、できることには限界がある。

きみたちは、おじいちゃんやおばあちゃんや小さな子どもたちを、一生懸命守ろうとしてくれてる。その気持ちはすごく大事だし、中学生が、もう地域の一員として果たす役割、それを果たそうとしてくれてることに対して、ぼくは、いいぞって心から応援したい。

でもね、その一方で、自分の命はしっかり守り抜くということは、ぼくは堅持してもらいたい。

でもその一方で、お年寄りや小さな子どもたちに対する思いやりを、しっかり持ってもらいたい。これを、両立するためには、どうしたらいいのか」

防災訓練で幼稚園児を抱え上げていた、野球部に入っているという体格のいい男子中学生も、やや硬直した表情でこの話を聞く。

中学生たちは釜石を訪れ、旅館「宝来館」に泊まる。津波が襲来したとき最後まで他の人を誘導し、自らは津波に呑まれ、そして九死に一生を得た女将は、「生きるか死ぬかが真正面に来たときに、その場その場での判断になる」と語る。

中学生たちと再会した菊池のどかさんは、中学生たちの問いにこう答える。
「少しだけでも命が救えたのはうれしかった。でもやっぱりそれ以上に、高齢者の避難については来年にやろうね、と先延ばししてしまったことが裏目に出てしまった。小さい子は助けることができたけど、高齢者の方々は多くが命を…。階段をあと二段昇れなくて死んでしまった方もいて。自分の中ですごく悔しかった。田辺の子たちはこれからできるから、先延ばしすると後悔するから、自分でやりたいと思ったときはすぐに行動に移した方がいいと思います」

津波と戦った人の言葉、からくも生き延びた人の言葉からにじみ出る“生死を分かつ原則”は重い。
想定にとらわれず、最善を尽くし、率先避難者であれという原則のより深い意味を、観る者に問いかける番組だったと思う。

追伸。
その後、片田教授の著作「人が死なない防災」を読み、以下のような記事を書きました。よかったらこちらも読んでみてください。

 

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[…] 2013-08-12 04:06:00「あの大きな揺れのさなか&#12…教育 […]

同様にNHKの番組で近所の高齢者を助けに行き、高齢者が避難を拒んだことを説得していたために避難が遅れたという事例が紹介されておりましたことを思い出しました。
正確にはかなり遅れて第一の避難所に移動、その後第二の避難所に移動しようとするも再度まごつき、間に合わなかったと記憶しております。
中高年の方でも説得に苦慮する高齢者に対して中学生が説得できるのか、不可能と悟った際に見捨てられるのか、または強引に連れだせるのかという疑問があり、中学生を避難活動に駆り出すことに対して疑問を抱いておりましたが、本記事を拝読させていただき、多少なりとも納得がゆきました。

高齢者が助かったとしても、どのみち遠くない未来、仮設住宅や環境が激変したことのストレスで早く死んでしまいます。
人は必ず死にます。ましてや高齢である以上、友人や親族の死も身近に感じているでしょうし、過去の津波の話は聞いている筈です。
老人は家を離れたがりません。それでも危険を承知でそこに住んでいる以上、彼らはそこを死に場所と選んだのです。
ならば彼らの意思を尊重しそのままにしておくことも、彼らに対して薄情であるという誹謗を受ける理由にはならないでしょう。
残った者が彼らの分まで精一杯生きることで、彼らに対しての最大の供養となるのではないでしょうか。


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