南相馬市小高区で蔵の片付けのお手伝い “長い戦い”の今どこにいるのか(援人号 0712便)

Posted on 2013年8月2日. Filed under: 未分類 | タグ: |

ボランティアチーム援人、2013年7月13日(土)の南相馬市小高区でのお手伝いのメモ。

深夜3時の安達太良サービスエリア。
おやつは酪王牛乳とあだたら亭のかりんとうまんじゅう(この日は酪王だけど、「べこの乳」に心が傾きつつある最近だ)。

南相馬市小高区で個人宅片付けのお手伝い

南相馬に到着。
いつもお弁当を頼んでいる原町のスーパーサイヤさんには、福島産の桃が並びはじめていた。確か先週は山形産だけだった。

南相馬市小高区で個人宅片付けのお手伝い

お手伝い先は、常磐線の小高駅からそう遠くないお宅だった。付近は津波浸水エリアだが、このお宅は少しだけ高台にあり水は達しなかったそうだ。家にいた方は、流れてくる家やさまざまなものを目撃したという。

この日の依頼は、かなり大きく立派な蔵の中の片付け。要るものと不要なものを分別し、廃棄物改修に備えて庭の一角に出していく作業だ。

開始時間、小柄で人あたりのいいシニアのお母様と40代ぐらいの息子さんが車で来られた。
息子さんは体格がいい方で、この後は終始厳しい表情をし、率先して埃まみれになりながら立ち働いていたのが印象的だった。

電気がないため、発動機を回しライトで照らしながら作業を進めていく。
蔵の中からは、きっと骨董品好きなら一つひとつ見惚れてしまうような品々も含め、この家の歴史を感じさせるものが出てきた。沢山の「盆提灯」があった。また、このお宅で営んでいた生業にちなむ機織り機も沢山出てきた。

あまり詳細に描写してもプライバシーに触れてしまうが、もう一つだけ挙げておく。
昔は「蚕種(蚕の卵)」を木箱に入れ郵便で送っていたらしく、表面に達筆な文字で宛名が書かれたA4サイズほどの古い木箱がいくつか出てきた。宛先の住所は「相馬郡小高町…」だった。
これなど、捨てるのはもったいないのでは…と思ったが、結局は廃棄物の山に載せられた。

南相馬市小高区で個人宅片付けのお手伝い

お蔵の二階部分も含めて片付いたタイミングで母屋の方はどうしますかと声をかけると、息子さんが言いにくそうに、冷蔵庫がありますと切り出した。震災から2年4ヵ月たった冷蔵庫。きれいなものであるはずがなく、頼むのを躊躇されたのだ。

最終的に運び出した冷蔵庫は3つになった。震災当時そのままではなく腐敗物はある程度出されていたが、内部や床には黒々としたものがこびりついている。

キッチンに土足のまま上がると、ダイニングテーブルの上にはさまざまなものが一時的に置かれたまま、食器棚の中の沢山の食器は手前側に倒れ掛かったままだった。

ふと廊下の方に目をやると、中学生の詰襟の上着がハンガーにかかっていた。ここに三代の家族の生活があったのだ。別の場所で作業していたメンバーは、子どもの参考書やテスト用紙を見て思わず手が止まってしまったという。

14時ごろ、まだ余力はあったが、ご主人の判断で今日はここまでとなった。

お手伝いしたお蔵はこの後業者に清掃とネズミ対策をお願いし、その後で母屋内の残す家財を運び込む。損壊した母屋は取り壊し、新たに家を建てる考えだという。
それをぼくに説明する過程で、ご主人は「長期戦だから」と仰った。

お手伝いしたお宅の近くには、まだこんな光景が広がっていた。

南相馬市小高区で個人宅片付けのお手伝い

道の駅南相馬には、いよいよ月末に開催が迫った相馬野馬追のタオルの新作が並んでいた。

南相馬市小高区で個人宅片付けのお手伝い

夕食は、二本松の杉乃家さんで。

南相馬市小高区で個人宅片付けのお手伝い

小高の人が元の生活を取り戻すのは、本当に長い長い戦いになる。だがこの日のご主人の「長期戦だから」という言葉にぼくは頼もしさを感じた。“戦い”になぞらえた言葉が出るのは、いずれ戻ってくると強く決意し計画も立てている証しだろう。

残念ながら小高のお手伝いで前向きな言葉を聞ける機会は多くないだけに、そういう方のお手伝いができるのは本当に誇らしいことだ。

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