南相馬市小高区でお手伝い 彼らがこれ以上頭を下げたり泣いたりする必要はない(援人号 0614便)

Posted on 2013年6月18日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

ボランティアチーム援人、2013年6月15日(土)、南相馬市小高区でのお手伝いのメモ。

安全長靴の五代目がデビュー。四代目は複数個所に穴が開いてしまったため。「丸五 鋼製先芯入耐油長靴」、質実剛健そのもの。

南相馬小高区大富でお手伝い(ボランティアチーム援人)

人のいない飯舘村の朝焼け。おはよう。

南相馬小高区大富でお手伝い(ボランティアチーム援人)

南相馬。コンビニで朝食と福島民友を買う。社説にこんな一節があった。

「未曾有の原発事故であり、帰還を断念せざるを得ない区域が古里に生まれることに不安を抱えている避難住民もいるだろう。国や県はもっと丁寧に除染をはじめとする復興作業の進捗状況を説明しながら、正しい情報を被災地に発信し、不安の軽減に努めるべきだ」

本当にその通りだ。

南相馬市ボランティア活動センターの建物の裏にいた白猫。缶詰をやると、完食してくれた。

南相馬小高区大富でお手伝い(ボランティアチーム援人)

この日のお手伝い、ニーズ票には納屋の片付けと家の周りの草刈りとあった。依頼主(年配のご夫婦)が来られ、加えて田んぼの草刈り、ハウス2つの解体、裏庭の竹の伐採も依頼される。10人チームで終わるかな…という量だった。

南相馬小高区大富でお手伝い(ボランティアチーム援人)

天気は薄曇りから完全な曇りへ。途中にわか雨も降り、とても蒸し暑い日になった。

南相馬小高区大富でお手伝い(ボランティアチーム援人)

皆が汗びっしょりになりながら、なんとか依頼の作業を終えることができた。納屋の整理などで詰めたトンパックの数も最後は10個超え。依頼主は、2日ぐらいかかる作業だと思っていたとのことだ。

南相馬小高区大富でお手伝い(ボランティアチーム援人)

この日は、依頼主との交流が少なからずあった。

ご主人は、今後この場所で農業は無理だろう、と悔しがった。
さらに、原発事故当時、情報が錯綜し不安だらけの気持ちで避難を決めたこと、国道36号線を沢山の車が連なっていたこと、飯舘村で避難所に入ることができず一歳のお孫さんを抱えて車の中で夜明かしをしたこと──などを話してくれた。

昼食時には奥様が漬け物などを出してくれ、当時の状況を話され、涙を流した。
何人かのメンバーが傍でお話を聞いていたので、ぼくは感情を抑えてお手伝いを終えることに集中することにした。

お手伝いを全て終えてセンターに戻る際にも、奥様は深々と頭を下げ、また涙ぐんでいた。

たった一日草刈りや片付けのお手伝いしたぐらいで頭を下げてもらっても恐縮するし、ましてや泣いてもらっても本当に困る。

原発事故のせいでわけもわからない状態で自主避難をし、避難所に入れず車中で寒い夜を越し、2年以上も戻れないわが家をネズミやイノシシに蹂躙されているような人が、これ以上頭を下げ涙を流すことはないと思う。
彼らに本当に申し訳ありませんでしたと頭を下げ、涙を流して謝るべき者が別にいる。できることなら、そいつらを小高の人たちの前に引っ張り出したい。

道の駅南相馬には、相馬野馬追のタオルが並んでいた。

南相馬小高区大富でお手伝い(ボランティアチーム援人)

夕食は、二本松の杉乃家さん。浪江焼そばとハーフかつ丼のセットを食べた。

南相馬小高区大富でお手伝い(ボランティアチーム援人)

この日お手伝い先のご夫婦は、「あの家も。あの家も…」と戻る予定のない近所の家について説明しながら、それでもご自宅に戻る日をめざして片付けを進めていた。

また小高にお手伝いに行こう。

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