「想像ラジオ」(いとうせいこう)感想:生きる者には死者が必要だ、と説く不思議な融和効果がある話

Posted on 2013年5月28日. Filed under: book | タグ: , |

いとうせいこうの小説「想像ラジオ」を読んだ。

2013年3月11日に発売されたという。最初の発表は「文藝」誌上だというから、純文学というジャンルになるんだろうか?

東日本大震災が起きておそらく数ヵ月から1年ぐらいだと思うが、ぼくはフィクションがほとんど楽しめない時期があった。
震災についての膨大な記録を読んだり見たりし、ともかく向き合わなければならないという責任感と、フィクションを楽しむことはよくないという自罰的な思いが合わさったもの。その思いは衰えたが消えてはいない。

こないだ「ヒア アフター」(クリント・イーストウッド監督)という映画を観た。
冒頭、スマトラ沖地震をヒントにしたと思われる大津波のシーンがある。とてもよくできた映像だったが、「ここは違う」「こんな風じゃない」と、粗探しをやめることができなかった。そしていらいらした。

毎年終戦記念日前後に第二次世界大戦下の日本を扱った啓発ドラマがつくられるように、これからは3月になると東日本大震災の悲劇をテーマにしたドラマがつくられるようになるのかもしれない。
しかし個人的には、まだ早い、という思いがある。作り手がより普遍的な訴求力を高めようと、起こったことを丸めたり事実を脚色したりするのはまだ許せるとして、それを多数の人が「消費」するという行為に強い反発を感じる。
丹念に探せば沢山の体験談があり、証言があり、話を聴くことができる人がいて、行って見ることができる場がある。まずはそれらに向かい合ってほしい、と思うのだ。

いとうせいこうは、彼の日本のヒップホップ草創期の活動を(後追いだけど)リスペクトしていたし、最近だと話題になった「善のネーション」(だっけ?)というダブ・ポエトリーには感動したし、あとついでにいえば昔「ノーライフキング」を読んだ記憶もある。
が、彼の東日本大震災絡みの活動や言動について、ぼくは記憶がない。
そういうわけなので、Amazonで彼の震災をモチーフにした(久々の)新作小説を見つけたときは期待と不安が入り混じった気持ちだったけど、レビューをいくつか読み、数分後にはKindleにダウンロードして読みはじめていた。

この小説は、簡単にいえば「生きる者は死者がいなければいることができず、死者もまた生者がなければいることができない」ということを書いている(と思う)。

この時期、東日本大震災の死者・行方不明者のことを虚構の物語の題材にする、それも多分に文学の想像力を駆使して行う、というのはそれだけで十分に論議を呼ぶはずだ。ある人は、読んでいる途中で沸点を超えてしまうかもしれない。

ぼくも最初は猜疑心をもち、どちらかといえばけんか腰を保ちながら読みはじめた。が、最後には見事に折伏されていた。この物語には、とても不思議な「融和」効果がある。

あと一つ。東北での支援を終えたボランティアたちが帰京中の夜のワゴン車内で、支援やボランティアについての考え方を戦わせる場面があるのだが、とても揺さぶられる内容だった。生者・死者・弔いといったテーマを掘り進む上での挿話の一つなのだけど、ここで登場人物たちの言葉を薄っぺらいと感じれば、ぼくは先へ読み進むことはなかったかもしれない。

引用をいくつか。

「自分が完璧じゃないからこそ余計に他人の便利だけ考えるようにして、自分がどう見られるかはまったくどうでもよくて、そういう気持ちで行動する癖を作ってきたつもりだよ、俺はゴホッ。問題は役に立つか立たないかで、あとは全部考えるのをやめるっていうのがナオ君の教えだからね。  だけど、そこでもう少し俺なりに思ったことがあって、さっきのSさんたちの話聞いてたらなんとなくコトバになったんだけど、亡くなった人の声を自分の心の中で聴き続けてることを禁止にしていいのかってことなんだよ、ナオ君。」

「あなたを送る方にとって、あなたを失ったことはしばらくそうであるような、ないようなことであって欲しいんだよ。」

「テレビラジオ新聞インターネットが生きている人たちにあるなら、我々には悲しみがあるじゃないか、と。だから亡くなったけれども悲しみを持つ余裕が今はないという人には僕の声は残念ながら届かないし、逆にひょっとしたら生きて悲しんでいる人にもこの番組は届く。」

これ以上、物語のディテールについては触れないことにする。ぜひ読んでみてください。

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