小高区のお宅で四世代ぶんの家財の処分をお手伝いする(援人 0315便)

Posted on 2013年3月18日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

ボランティアチーム援人0315便、2013年3月16日の南相馬市でのお手伝いの記録。

朝の小高センター(南相馬市ボランティア活動センター)は快晴、空気もゆるんでいた。冬の間センター前の天幕を囲んでいた風除けの幕が取り外されている。2度めの3月11日を過ぎ、南相馬は3年めの春だ。

8時前、よく見かける個人車組や小チームのほかに大型バスが四台到着し、この日の活動者数は214人に達したそうだ(センターのブログから)。朝のミーティング時には、見たことがないほどの数の活動者たちがテントを何重にも取り巻いていた。足元には真新しい安全長靴もちらほら見えた。

南相馬小高区・鹿島区でお手伝い(援人 2013年3月16日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

ぼくらのお手伝い先は南鳩原というところに決まった。軽トラックに道具を積んでワゴンと共に出発し、センターから3~4kmほど西進。小高は内陸部へ向かうと田んぼや畑が多くなり、小川や小山もあり、田園地帯という呼び方がふさわしい場所になる。

お手伝い内容は、小川が横を流れる個人のお宅での家財の運び出しとトンパック詰めだ。

四世代で暮らしていたという大きなお宅で、原発事故の後は、二世代めにあたるシニアのご夫婦(この日の依頼主でもある)が通いで少しずつ整理を続けているという。震災前は三世代めの息子さん夫婦も同居していたが、現在はすでに埼玉県に生活を移しているという。

南相馬小高区でお手伝い(援人 2013年3月16日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

最初に作業の段取りを打ち合わせするため、依頼主と一緒に家の中に入った。

こたつがあり、戸棚や机の上には色々なものが乗っていて、生活感が残っている。着の身着のまま避難をしたのだろう。
あわただしくものを選り分けたような様子もあった。お子さんやお孫さんは何度か必要なものを持ち出しに戻ったというから、そのときの跡なのかもしれない。
床には黒い粒が沢山落ちていた。ネズミの糞だった。鉛筆の削りかすのようなものもところどころにある。これはネズミがかじり散らしたものだ、とご主人が教えてくれた。

家の中を見て回りながら頭の中に蘇ったのは、去年のつくば竜巻災害のときのお手伝いの記憶だ。

竜巻被害に遭ったお宅でのお手伝いだったが、あのときは、滅茶苦茶になった家を前に落ち込んでいた依頼主に「全部捨ててしまってください」と言われ、その通りにした。が、後でFacebookのあるグループで「災害のとき人は一時的に冷静な判断ができなくなっている。捨ててと言われてもできるだけ捨てない方がよい」という趣旨の投稿を読み、自分の行動を振り返り、強く反省した。

その後、小高区でも何度か家財を廃棄するお手伝いを経験してきた。あるお宅のお手伝いでは、大切そうな蔵書や賞状を見つけ、ご主人に「捨てますか」でなく「残しますか」と聞いたりもした。
捨てるお手伝いは難しいと思う。そして気が重い。

今回はお手伝い開始前にメンバーと軽く打ち合わせをし、先回りしてどんどん捨てることはせず、大切そうなものを見つけたら「残しますか」と尋ねることを心がけた。

それでもトンパックは廃棄物でどんどん一杯になっていく。おもちゃ、本、学校のプリント、さまざまな世代の洋服、ゲームカートリッジ、家電…。
積み上げられた衣類の中に、消防団の半纏があった。よく着こまれた藍色。思わず取り上げ、ご主人に「本当にいいんですか?」と食い下がってみたが、「(息子が)十分に考えた上だからいいんだよ」と言われてしまった。

南相馬小高区でお手伝い(援人 2013年3月16日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

依頼主のご夫婦はやがてこのご自宅に戻るつもりだ。が、小さなお子さんもいる息子さんは、もう関東で新しい生活をスタートしている。思い出がある品でも、何もかも持っていくわけにはいかないのだろう。

原発事故によって起こった四世代家族の分断。残る人、出ていく人の思いの違い。本来なら捨てなくてよいものを捨てざるを得ない理不尽さ。そして震災・事故から二年たっても、未だに家財の処分をはじめたばかりの家々があるという異常さ。

「くやしいよ」
「本当にがっかりだな」
「家ってのはダメなんだな、住んでないと」

休憩のとき、ご主人の口からはこんな言葉が出た。
が、庭の奥手、土手との境目で勝手に咲きはじめたというフクジュソウのことを話すときにはうれしそうだった。小さな花が、こういう心持ちにある人の心さえ慰めるんだな、と眺め入った。

南相馬小高区でお手伝い(援人 2013年3月16日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

結局この日のお手伝いで、トンパック約15袋分の家財道具がガレージを埋め尽くした。全部を終えることはできなかった。
また住むつもりの家をコツコツと片付け続けるお二人。微力だけどお役には立てたと思う。

お手伝い後は、また二本松の杉乃家さんへ。今回の夕食は定番の浪江焼そばとソースカツ重にした(ソースカツ重はYさんとシェア)。

南相馬小高区でお手伝い(援人 2013年3月16日) Volunteer at Minamisoma, Fukushima. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

安定のおいしさでお腹いっぱい。ご主人のニコニコ顔を見て心も満足した。
また行こう。

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