小高区のお寺でお手伝い 震災で断たれた幸せもさまざまだと考えた(援人)

Posted on 2013年2月2日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , |

2月2日(土)、援人の仲間と共に行った南相馬市小高区でのお手伝いの覚え書き。

早朝の原町は重い雲が空に垂れ込めていて、小高に移動してからも曇り。にわか雨が降る。が、やがて雲は少しずつ消え、浜通りらしい晴天に変わっていった。

南相馬市小高区でお手伝い(援人, 2013年2月2日) Volunteer work at Minamisoma city, Fukushima pref. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

センターで朝のお手伝い先マッチングが始まる。今日はJTBの大型バス参加者が35名、その他は小グループが2、3。そして個人参加者が何人か…と、休止が迫った週末にしてはあまり多くはない活動者数だ。東電ボラの姿は見えず。

複数のマスコミにも報道された「資金難のためセンター一時休止」について、松本センター長から回避することができた、と発表があった。思わず沸き起こる拍手。

小高は、今ぼくが最もお手伝いしたいと考えている場所だ。だから個人的にもこの件は最近ずっと心痛の種であり、気分がすっと明るくなった。センター長も焦燥した顔つきだったが、笑顔を覗かせていた。

南相馬市小高区でお手伝い(援人, 2013年2月2日) Volunteer work at Minamisoma city, Fukushima pref. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

ぼくらの今日のお手伝い先は、センターから車で数分のお寺。

第十五代相馬藩主の夫人を弔うお寺として1500年代に建立され、その後何度か場所を移して今に至ったとのこと。小高には、相馬藩というこの地域の人々の精神的ルーツを示すものがいくつもあるんだなと感じる。

境内は、敷石に大きなひび割れがあり、地盤沈下で傾いた場所もあるなど、震災後そのままという印象だった。

立ち枯れたりしおれたりした雑草を取り、依頼に従って境内の玉砂利をはぎ取るように数ヵ所に山積みにする。ぶっ通しでやるとなかなか重労働で、腰が悲鳴をあげた。

南相馬市小高区でお手伝い(援人, 2013年2月2日) Volunteer work at Minamisoma city, Fukushima pref. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

監督に現れた町の世話役の方や、奥さんと休憩時間に話をした。

このお寺の檀家の数はとても多い。ざっと千軒ぐらいだろう。寺は雑草を震災後伸びるに任せてきたが、センターが一時休止するという話もあり、初めて依頼した。熱心な檀家が手入れを勧めたようだ。

寺には隣接した住居がある。被災して使えなくなった家財などは市がまだ回収してくれないので、2年近くたった今も一部屋に押し込めてある。小高区内の地区毎に処理場ができないと出すことはできない。

「かめさんぶんこ」と書いた小さなお堂の中では、本棚がいくつも倒れたままで児童書やコミックが散乱していた。聞くと、震災前は近くにある小高小学校の生徒たちのためのスペースとして開いていたという。生徒たちが学年を越えて交流できる場だった。「町にまた住めるようになっても、子どもたちがまた帰ってくるのか…」と。

震災前の人々の生活はさまざまであり、断たれてしまった幸せも一つひとつ形が違うのだ。

南相馬市小高区でお手伝い(援人, 2013年2月2日) Volunteer work at Minamisoma city, Fukushima pref. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

お手伝い先で地元の人と話をすると、先の見えない不安から、皆さん口々に

「小高はどうなるんだろうねぇ」
「小高はどうするんだろうねぇ」

と言い、そしてほぼ決まって

「でも若い人が皆出ていっちゃったからねぇ」

と言う。

先日ある人が言っていた。共通のルーツを確認することなしに地域の再興はできない。一見よさそうな復興のアイディアであっても失敗する。なぜなら歴史に接続することができないからだ、と。

小高の町は、ぼくのような余所者にとっても魅力がある。小高の人々が、地域のルーツを再確認することからはじめて、新たな勢いを自ら取り戻してくれればいいな…と思った。しかしそれで若い層が戻ってくるだろうか、という不安もある。

15時過ぎ、作業が終わったことを報告すると住職さんが挨拶に現れた。

立派な鐘楼門(震災前に基礎をしっかり打った上に建てたので大きな被害はなかったという)の下でしていただいた震災時の話が、不意討ちのように衝撃的だった。

地震が起きたとき、本堂内ではシニアのご婦人たちが何かの稽古をしていた。そして多くの人は、地震でうねり大きな段差もついた道を、車で戻っていった。海沿いの自宅の方へ。そして何人かは還らぬ人となった。

隣の小学校は、液状化で水が噴き出し校庭が泥沼のようになった。そんな中、子どもたちは泣きながら寺の前を通って下校していった。学校にいれば安全だったのに…。

南相馬市小高区でお手伝い(援人, 2013年2月2日) Volunteer work at Minamisoma city, Fukushima pref. Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident.

本当に悲しい話だ。こういった話を聞くと、できるだけ自分に引き寄せたいと思う。それだけでなく、他の人たちにも小高の人たちの悲しみを知ってほしいとも思う。だから、こうして書いておく。

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