南相馬で2013年最初のお手伝い(ボランティアチーム援人)

Posted on 2013年1月20日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , |

2013年1月19日(土)、 南相馬市小高区での今年はじめてのボランティアの振り返り。

金曜深夜に東京を出発。休憩で寄った吾妻パーキングエリアでは、雪がかなり強い勢いで降っていた。

2013年 災害ボランティアはじめ(南相馬市小高区, 援人) Volunteer work at Minamisoma city, Fukushima pref. (Volunteer team "Engine")

お手伝い先は大井地区の個人宅で、被災材を分別し家の前に並べるという作業だった。
中身は家具、家電、畳、板、本などさまざま。8人のチームでフレコンパック(約1トン入る土のう袋の親玉のようなもの)約10個分の被災材をまとめることができたのは、依頼主のEさん(明るく健康だがそれなりに年配の女性)があらかじめ多くを整理しておいてくれたからだ。

2013年 災害ボランティアはじめ(南相馬市小高区, 援人) Volunteer work at Minamisoma city, Fukushima pref. (Volunteer team "Engine")

しかし、震災から1年10ヵ月もたった2013年1月に未だにこの量が残されているというのは岩手や宮城などでは考えられない。やはり原発事故の影響で長く立ち入りが禁止されていた場所ゆえの特殊さだと思う。

庭には大きな土砂の山があり、雪を被っていた。Eさん宅は一階部分に津波が浸水したそうで、後にボランティアが泥出しをしたが、小高区の土砂は廃棄しようにも外に出すことが禁じられている。だから、やがて行われるはずの回収を待っているのだという。


今回のニーズの直接のきっかけは、海沿いの塚原地区に仮のゴミ収集場ができたため、行政による無料回収を希望する場合は1月25日までにゴミを分別してまとめておくようにというお達しがあったため。このニーズに応えるため、小高ボラセンからは連日多数のボランティアたちが個人宅へお手伝いに向かっている。
Eさんの例を見ればわかるように、年配の人が結果的に多く残ることになった南相馬で、トン単位のごみを自力でまとめよというのは相当非情な話だと思う。

2013年 災害ボランティアはじめ(南相馬市小高区, 援人) Volunteer work at Minamisoma city, Fukushima pref. (Volunteer team "Engine")

Eさんのお宅の放射線量はさほど高くなく、年間追加被ばく線量にすれば1mSvを超えるか超えないかといったあたりだ。住み慣れた家を持つEさんは、行政の許可が下りれば戻りたいと考えている。今は仕事でいわきに行っている息子さんもやがて帰る意向だという。

お手伝い中、Eさんは自らも働き続け、ぼくらに温かい缶コーヒーを用意してくれ、最後は深く頭を下げて見送ってくれた。

帰路、東北道の国見サービスエリア(上り)の果物直売コーナーで「あんぽ柿」が売られていた。

福島県内でつくられるあんぽ柿の素材となる柿は、徹底除染にも関わらず、2012年度も(加工後の)検査で基準値超えの放射線が出てしまい、全て出荷自粛・破棄されたというニュースを読んでいた。どこの柿かな? と思って見ると全部宮城産だった(以前安達太良で見たものは西日本産だった)。ちなみにあんぽ柿に使われる蜂屋柿(生)も売られていた。

あんぽ柿は、普通の干し柿と違って「硫黄燻蒸」してから干す、とWikipediaにあった。干した後でも実がしっかりと大きい。中身もトロリとしている。とてもおいしい(これを書きながら2個食べてしまった (^-^;; )。

あんぽ柿

震災、津波に加えて原発災害にも苛まれ、先になかなか進めない人が現にいる。
Eさんのような境遇を知れば自然と、お手伝いすることはありますか、お手伝いさせていただけませんか、という思いが湧く。手助けするのに、難しい資格や技術がいるわけでもない。

自分の気持ちに正直に、また南相馬へ行きたいと思った。

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